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笠置城/京都府笠置町

笠置城は、歴史的事件のあった場所です。
訪問日は2022年7月31日です。

【位置】笠置城・再
【軌跡】別ウィンドウで表示

笠置城は、鎌倉幕府討幕を目論んだ後醍醐天皇が拠った場所です。
周囲を険しい絶壁で囲まれた天然の要害です。
どうやら観光名所のようで、境内散策には拝観料が必要です(300円)。
さらに、6から先は反時計回りの一方通行となります。
11の「二の丸」までは崖っぷちの岩場を通る細く険しい道が続きます。
二の丸から先の道は平坦で、貝吹き岩やもみじ公園などの平坦地があります。
そして、山頂部の平坦地が「行在所」と呼ばれています。
険しい道を経てようやく辿り着くのですが、分岐の6まではすぐです。
下りて来た時にT字路となりますが、帰りは右へ進みます。
案内が無いのでどっちだろう?となりますが・・・
矢印に従うと、私のように一方通行の2周目を回ることとなりますあせる
(2周目の軌跡は削っています)

【1】笠置城
【1】笠置寺の有料駐車場(500円)

麓の「登山口」から細道を登り切った所が駐車場です。
それまでの細道が嘘のように広々としています。
ここも曲輪だったのでしょうか。

【2】笠置城
【2】案内図 拡大表示

駐車場から境内へ向かう道の入口に、この案内図があります。
大きさといい配置といい、とてもわかりやすいです合格
惜しむらくは、城跡の案内ではないこと。
そっとどこかに書き加えて頂けると、城キチ的にはヽ(^o^)丿です。

【3】笠置城
【3】境内への分岐箇所

駐車場から上がると、何やら賑やかなココに着きます。
もしここにこれらが無ければ、大抵の人は真っすぐ進むと思います。
真っすぐ進んだ先は、雉料理屋さんです。
笠置寺の境内へは、右の細道へ入ります。

【4】笠置城
【4】境内へ続く道

右へ曲がった細道です。
掘り下げられた道で、寄せ手はここを通らないと進めません。

【5】笠置城
【5】山門 笠置山縁起笠置型燈籠の説明板を表示

細道を上がった所には、厳重な門が待ち構えています。
「拝観料を申し受けます。」の文字がやたらデカイですw

【6】笠置城
【6】境内の散策路

拝観料を払って境内へ。
入ってすぐのここで、右の道と左の階段とに分岐します。
ここからは一方通行となるので、右の道へ進みます。

【7】笠置城
【7】胎内くぐり 説明板を表示

城跡としての痕跡を探しに訪ねたのですが・・・
それらしさは今の所あまり感じられず。
断崖絶壁の岩場が続き、要害堅固な場所だというのは実感出来ます。

【8】笠置城
【8】太鼓岩 

所々にこんな感じの岩の通路があります。
城だった時のものか、お寺の時のものか・・・
通りにくいので、お城だった時のものと思いたいです。

【9】笠置城
【9】ゆるぎ岩 説明板を表示

でもこれは・・・w
お城的発想だと、この上に首を置きそうです叫び
だなんて勝手に想像していましたが、違いました。
これは、攻め寄せた敵の上に落とそうと準備した岩だそうです。
こんな大きな岩が上から降って来たら、イテテじゃ済みませんあせる

【10】笠置城
【10】平等岩

ゆるぎ岩から急坂を登ると、今度はこんな岩が立ちふさがります。
どう進むんだろう?と見回すと、左側に彫った跡が見えます。
左へ進むと、その先で岩の割れ目を下ります。
この割れ目が人の背丈よりも高く、足を掛ける場所はかなり浅いです。
半分くらい下りた所で、結局飛び降りることに。
右へ進むと、緩く盛り上がった岩の上を進みます。
その先に足場はなく、やはりちょっと飛び降りる感じになります。
なぜ両方知ってるかと言えば、2周しちゃったからですあせる
白シャツに黒ズボンの坊主頭が山道を駆け抜ける姿はまるで・・・w

【11】笠置城
【11】二の丸 説明板を表示

平等岩から九十九折れの岩道を登った所が二の丸です。
後醍醐天皇の仮皇居がここに置かれたのだそうです。
二の丸は、行在所を本丸に見立てた呼び名だそうです。
ということで、笠置城には「本丸」とか「主郭」はありません。

【12】笠置城
【12】二の丸から見えた貝吹き岩のある場所

二の丸から一気に行在所へ行っても良かったのですが・・・
何となく、物見っぽい所がチラっと見えちゃいました。
城跡らしさに飢えた私の足は、ふらっとそちらへ吸い寄せられました。

【13】笠置城
【13】貝吹き岩 説明板を表示

尾根先端には二の丸と同じ位の広さの平坦地があります。
そして、その先端右側には、きっとこの上に乗るであろう巨岩が。
その足元に「貝吹き岩」の説明板がありました。
攻められた宮方は、ここで法螺貝を吹いて士気を高めたのだとか。

【14】笠置城
【14】もみじ公園

貝吹き岩からは、さらに下に広い場所が見えました。
かなり広く、きっと重要な場所に違いナシ!
・・・と、黒なぽ様がボソッと呟き背中を押します。
まぁ、ここまで来ておいて来ないなんて選択肢はありませんが。
一面苔に覆われ、木々の新緑を合わせて緑一色の世界でした。
それはそれでとても美しいのですが、木がみんなもみじでした。
紅葉シーズンには、赤と緑のハイコントラストになりそうです。
大勢の人が押し寄せるのは、ここが原因だったんですね!

【15】笠置城
【15】行在所入口 説明板を表示

貝吹き岩から二の丸へ戻り、再び先へ。
二の丸から先の道は、平坦そのものです。
そしてついに中核部分に辿り着きました。
ここには説明板だけではなく、石碑まであります^^

【16】笠置城
【16】行在所

ここが笠置山の山頂で、後醍醐天皇が居た時の中核部分です。
城で言えば本丸とか主郭に相当する場所です。
中心部分は、石の柵で囲まれています。
柵の端は楽々通れますが、だからと言って中には特に何もありませんあせる

【17】笠置城
【17】大講堂

行在所の下には小さな平坦地があり、そこから下り坂に。
下には大講堂の建物が見えます。
大講堂の前の階段を下りたら、一方通行のスタート地点です。
私は気付かず矢印の方に進んでしまい、一方通行2周目に突入あせる
笠をかぶった石像があったら、右へ進んで下さい。

【18】笠置城
【18】稲荷社

さて、スタート地点に戻ると、反対側にも小高い場所が見えます。
ここまで城跡らしさはほぼ感じられず。
もしかしたらの願望を胸に、そっちにも登ってみました。
ここはすぐの行き止まりに稲荷社があります。
まぁ、曲輪なんでしょうけど・・・
虎口も土塁も堀もありません。



◆歴史◆

飛鳥時代には既に山寺があったと考えられています。

笠置寺の創建時期には諸説あり、時期は不明です。
・笠置寺縁起では682年、大海人皇子(天武天皇)
・『今昔物語集』ではその先代、大友皇子(弘文天皇)
が創建したとされます。
文献上の初見は『東大寺要録』の879年だそうです。
とにかく古くからあった山岳寺院ということになります。

1331年、戦の舞台となりました

鎌倉幕府討幕計画が露見した後醍醐天皇が、身を潜めました。
囮の近臣を比叡山に潜ませたものの、ココに隠れているのがバレます。
すると鎌倉幕府は7万5千もの軍勢を集め、笠置山に殺到しました。
守備勢の兵力は3千程でしたが、天険の要害を盾に約1ヶ月持ち堪えました。
しかし、幕府軍は決死隊50名を選抜し、断崖からの侵入を決行。
各所に火を放ち、ようやく陥落しました。
後醍醐天皇は捕らえられ、隠岐島へ流罪となりました。
これが元弘の乱の始まりです。
鎌倉幕府は、隠岐島を脱出した後醍醐天皇に討伐軍を派遣しました。
その軍を率いていたのが足利高氏(尊氏)です。
あとの展開はあまりにも有名なので、省きます。

1541年、木沢長政が居城としました

木沢長政は、内部抗争を続けていた畠山家の家臣です。
畠山義就を祖とする総州家に仕えましたが、次第に自立します。
1539年、細川晴元と三好長慶が主従で争いました。
将軍・足利義晴は、六角定頼と木沢長政に調停を命じました。
この時の功により、木沢長政は河内国北半国守護代と信貴山城を得ます。
木沢長政はこの時に、笠置城を「修築」し居城としました。
・・・何気に気になるワードです。
笠置寺は1300年代だけで焼失→再興を3度繰り返していました。
お寺としての勢力が、それだけで相当衰えたのでしょうね。

1542年、木沢長政が討死しました

木沢長政が命令違反を繰り返したため、室町幕府は遂に討伐を決定。
細川晴元が、前年に和解した三好長慶を中心に動きます。
まずは伊賀国守護の仁木長政に、笠置城攻略を命じました。
仁木長政は忍者部隊を編成したものの、返り討ちに遭って失敗します。
歴史上、忍者による攻城はこれが初めてとされます。
その後、細川晴元の挙兵を知った木沢長政は、兵を率い迎え撃ちます。
両陣営は木津川・淀川を挟んで対陣したまま年を越しました。
その後、畠山稙国、遊佐長教も参戦し、木沢長政は大和に撤退。
二上山城に籠り、信貴山城の畠山政国とともに敵方の高屋城に備えます。
1542年3月17日、高屋城の軍勢と木沢軍の偵察隊が激突。
木沢長政は主力部隊を率いて、偵察隊の援護に向かいました。
そこに現れたのは、信貴山城の軍勢ではなく三好長慶軍でした。
木沢長政は飯盛山城を目指し撤退しますが、途中で討ち取られました。
木沢氏は以後衰退し、代わって若い三好長慶が台頭することとなります。


所在地:京都府相楽郡笠置町笠置 GPSログダウンロードページ

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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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