2013/10/22
大越城/埼玉県加須市
大越城(館?)跡は現在は八幡神社となっています。訪問日は2013年10月12日です。

▲八幡神社
大越は東西に走る県道60号沿いにある街です。そこにある八幡神社は・・・ちと場所がわかりづらいです

城(館?)跡は、神社裏のこんもりした所だそうです^-^
◆歴史◆(というより周囲の状況)
古くは平安時代末に小山朝政が居を構えたという伝承があります。地理的にはありえそうな場所ですね。小山朝政は源頼朝お気に入りの武将で、戦功を重ねて下野南部に一大勢力を築きました。
戦国時代、大越城は羽生城の支城だったようです。羽生城は扇谷上杉氏に仕えた木戸氏の沼城です。1536年までには築かれていたとされ、1574年まで後北条氏に抵抗を続けました。大越城は羽生城の東にあり、利根川対岸の古河に備えるような位置にあります。
古河公方が後北条氏に屈服したのが1552年なので、大越城が築かれたのはこの頃でしょうか。すぐ西には忍城を本拠とする成田氏が控えていました。本気で戦えばおそらく木戸氏に勝ち目はなさそうですが・・・潰し合うことは無かったようです。
1560年頃、上杉謙信は忍城の目の前にあった皿尾城に木戸忠朝を置いて監視させました。成田氏はこの皿尾城を潰そうと木戸氏に戦を仕掛けた事ならあります。ですが、この時は岩附城の太田資正の援軍を得て撃退しています。既に山内上杉氏も事実上滅びた中でも、後北条氏一色とはなっていなかったんですね。
1574年、羽生城の木戸氏は上杉謙信により上野国へ移されます。この年、関宿城が北条氏政により落とされました。上杉謙信は数少ない関東の上杉派・簗田晴助を救援しようと遠征してきましたが・・・増水で利根川を渡れないため間に合いませんでした。
これ以上関東への援軍は無理と考えたのか、上杉謙信は羽生城を破却しました。そして羽生城の木戸一族を上野国・膳城と山上城へ移しました。
以後、木戸氏の領地は成田氏のものとなりました。大越城主らしき人物は成田氏の家臣に見られます。成田氏の家臣団の記録として『成田分限帳』というものがあります。これは1582年版と1588年版の2版があるそうです。そのどちらなのかはわかりませんが・・・
・永楽50貫文 大越彦四郎
・永楽21貫文 大越彦八郎
と大越氏の名が記されています。この時代、新たな所領に赴任して名を改めるということはあまりありません。・・・と色々勝手な前提を付けると、大越土着の土豪かもしれませんネ^^
彼らがどんな活躍をしたのかはわかりませんが



所在地:埼玉県加須市大越馬場
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