2023/10/07
高舘城/栃木県大田原市
高舘城は、展望台のある山城です。
訪問日は2022年5月4日です。
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城跡まで舗装された林道が通っています。
その突き当りに駐車場があります。
城内は整備され、藪掻きは一切ナシ。
三郭を除いては、ですが。
削平をしただけの、古い形式のお城です。 |
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【1】手前の駐車場 上に戻る
お、着いた(*'▽')
ナビアプリではもうちょい先っぽいけど。
まぁでも誤差みたいなもんでしょう!
なんて、ザル坊主は気楽なもんです。
なんだか立派な案内図もあるし♪ |
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【2】神社 上に戻る
あ!堀切!なんて喜んでましたが・・・
実際そうだったのかもしれません。
もうちょっとしっかり見ておけば良かったデス。
よく見てないので、何神社なのかも?のままです。
一度バイクを降りたものの、城跡に上がる道が見つからず。
あれ?また早とちりか?とメットを被り直し。
林道を更に先へ進みました。 |
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【3】突き当りの駐車場 上に戻る
そして、今度こそ林道の終点です。
駐車場もさっきよりずっと立派。
しかも、木陰に「高舘城跡」とあります。
もう一歩前に出せなかったでしょうか。
ちょうど木陰で目立ちませんし・・・
でも、それ位で城キチは見落としませン! |
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【4】登城口 上に戻る
で、どこから登る?
と、奥へ行くとこの道が。
ちゃんと案内もあります。
0.1KMって、すぐです(*´ω`*) |
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【5】堀切 上に戻る
すぐというのは、普通の人なら。
息を吸うように横道に反れるのが城キチ。
わざわざ整備された道を外れて我が道へ。
だって、何だか人の手が加わった感じが。
上がる道から右には帯曲輪っぽい地形が。
その先の段差の付け根がちょっと窪んでました^^ |
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【6】三郭 上に戻る
この細長い平坦地が三郭です。
細い尾根に沿って帯曲輪に囲まれています。
百聞は一見に如かずということで。
ココにもこういう所があるんです。 |
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【7】帯曲輪 上に戻る
だと思います。
駐車場の奥から二郭先端まで続いています。
幅がアレなので、車が通れるようにしたかもですが。 |
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【8】主郭 上に戻る
東に伸びる三郭の藪を満喫後、道を上へ。
割とすぐに上の平らな場所に辿り着きます。
ここに大きな説明板と石碑が。
誰が何と言おうとも主郭です。
古い形式の山城なので、土塁や虎口などはありません。 |
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【9】主郭から見た二郭 上に戻る
草が刈られているので見通しバッチリ。
尾根を少し下った所も平らになっています。
ココが二郭です。
主郭と二郭の間は、ただ緩い傾斜があるだけです。
何処から何処までがどっち?
それは100人いれば100通りの答えが出そうです。 |
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【10】二郭にある展望台 上に戻る
主郭から少し下った所が二郭です。
その先端に「さぁここから眺めやがれ」があります。
よく見る展望台は木々に埋もれていますが・・・
ここのはちゃんと展望が利きます(*´ω`*) |
【11】空撮動画 上に戻る
空が開けていたので飛びました。
当然デス(`^´)
木が伐採され、城の形がわかりやすそうだったので。
こうして見ると、麓は田んぼが多いです。
那須資隆がここを拠点とした理由の1つだそうです。
他にも馬や矢竹の調達に便利な地だったとか。
見晴らしもいいですし、ちゃんと理由があったんですね! |
◆歴史◆
那須資隆により築かれたとされます
那須資隆は、那須氏初代です。
藤原道長の曾孫・藤原資家が下野国に下向。
土着して須藤氏と名乗り、その7代めに当たります。
須藤氏は源義朝に従い平治の乱で3代めと4代めが戦死。
以後平家に従い、源平合戦では源平両軍に分かれました。
那須資隆と9人の子は平家方に。
そのため、源頼朝に命じられた梶原景時に攻められました。
尚、十男と十一男の2人だけ源氏方でした。
家名を残すために二手に分かれたのでしょうが・・・
世間的には平家が圧勝するという見方だったんですね。
十男は源義経の命令に背いたため一時流罪に。
そのため、十一男の那須与一が家督を継ぎます。
河田氏の詰城だった説があります
河田氏(川田氏)は、那須資頼の六男・資成を祖とします。
那須資頼は初代・那須資隆の庶子とする説があります。
宇都宮朝綱からの養子とする説もあり定かではありません。
前者であれば、那須氏の2代から4代は兄弟ということに。
河田氏は、那珂川近くの居館を本拠としました。
高舘城からは北へ800メートルの所です。
川田館(こう表記されます)は痕跡も無いそうですが。
那須六家の1つと紹介されます。
「那須六家って何?」とググりますが・・・
明確に記したサイトが見つからず。
何となくですが、那須資頼の6人の子の家系を指すようです。
河田氏の他は那須氏、伊王野氏、備中那須氏、味岡氏、稲沢氏です。
ググっていると他に「那須七騎」や「那須十家」も出て来ます。
那須七騎は那須氏とその重臣。
那須十家は那須与一の10人の兄を指すようです。
どこにも明確にそうだと書かれた所はありませんが。
河田氏は『那須記』に1520年代まで登場するそうです。
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