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白旗城/栃木県大田原市

白旗城は、大関氏の居城でした。
訪問日は2022年4月2日です。

白旗城【写真位置】大きな地図を表示
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白旗城は、川沿いの舌状台地上にありました。
構造は曲輪を一直線に並べた連郭式です。
全般的に藪化していますが、遺構は良く残っています。
主郭には愛宕神社があり、参道が整備されています。
南北にある二郭と三郭は、全面の藪です。
二郭の北には、堀切を挟んで加茂神社があります。
こちらから城内に入ることも出来ます。
三郭の南には、堀切を挟んで薬師堂があります。
ただ、三郭内は藪が深いので、一度表から回り込みます。
薬師堂の周りにも堀切や土塁、曲輪などが見られます。
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表の道の曲がり角にあります。
すぐ脇に観光用の駐車場がありますが・・・
2台分しか無いので多分埋まってます。
まぁ、城跡の前の道を奥まで進めば大丈夫ですが。
それは後程。
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【2】入口 上に戻る

状況的に城跡に入る感じ、で吸い込まれます。
結果はアタリでしたけど(*´▽`*)
案内がある事は、後で知ることとなります。
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【3】主郭と三郭の間の堀切 上に戻る

木を横一文字に埋めた通路が続きます。
って、まぁ、堀切ですね^^
城キチなら一瞬で気付きます。
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【4】主郭の虎口 上に戻る

堀切から主郭への入口です。
堀底から上がるのが何か違う気がしますが・・・
神社が置かれ、このような形になったのか。
お隣の三郭から橋が架けられていたのか。
いづれにしても、虎口自体はあったと思われます。
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【5】三郭 上に戻る

三郭部分に軌跡が無い言い訳と言いますか。
まぁ、こんな感じです。
主郭の虎口を上がった所から撮りました。
要するに、まぁ、見た通りという事で(;'∀')
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【6】主郭の愛宕神社 上に戻る

一方、主郭は下草がありません。
中央部には愛宕神社が鎮座しています。
・・・周りだけは。
周囲は三郭同様、下草が生い茂っています。
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【7】主郭と二郭の間の堀切 上に戻る

それでも意地で外周を回り二郭側へ。
こちら側も堀切で隔てられています。
端まで行かなかったのですが、東側に通じています。
というのも、外の道からこっちへの入口があります。
ただ、行かなかったのか行けなかったのかが?です。
15から少しでも入って見ればよかったです。
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【8】二郭 上に戻る

二郭内部です。
まぁ、こんな感じです。
何となく意地になって外周歩きました。
ただ、三郭に入らなかったのはこれを見たから。
流石に私も視界ゼロの世界は嫌デス。
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【9】二郭から下る道 上に戻る

二郭内部は藪ですが、北西側に下る道が。
北側の堀切に通じていると思われます。
まだ志半ばと、下りなかったので。
造りから往時のものには見えず。
農作業用に通したのでしょうか。
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【10】二郭北側の土塁 上に戻る

そのまま外周を辿り北端へ。
端には立派な土塁がありました。
緑が濃いとは言え、線は細い!
・・・何て言いながらの強行軍です。
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【11】二郭北側の堀切 上に戻る

土塁上からは、堀切が見えます。
すごく深いです。
もうちょっと視界が開ければいいのですが。
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【12】二郭北側の堀切と賀茂神社 上に戻る

北東側から下り堀切へ。
上から見た通りの堀切があります。
堀切の向こう側には鳥居が。
地図では賀茂神社が描かれています。
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【13】賀茂神社 上に戻る

上がって見ると「村社雷神社」の板碑が。
まぁ、複数の神社が1ツ所にってよくありますし。
でも見た所、お社っぽいのってコレだけです。
中に小さな祠がいくつもあるの加茂?
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【14】賀茂神社の入口 上に戻る

堀切に通っている道を東に出た所です。
入口に、神社の縁起の説明板があります。
ここには賀茂神社=雷神社と記されています。
祭神は加茂別雷命、五穀豊穣の神様です。
白旗城が築かれる前は、粟野駅と神社だったそうです。
源義頼・義家父子が、奥州へ出陣の際に立ち寄りました。
この時に戦勝祈願に白旗を翻したのが由来だそうです。
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【15】白旗城の標柱 上に戻る

東側の道を南へ戻る途中にありました。
ここから城内に入れそうに見えます。
でも私はなぜか入らず。
写真をよく見ると、奥は藪になっています。
7の堀切の写真も藪でした。
多分そういう理由があって入らなかったのかも。
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【16】直箟温泉神社への入口 上に戻る

最後に、南端の曲輪を見に行きました。
とは言え、すぐ北の三郭は猛烈な藪です。
一応二足歩行なので、簡単に入れる道へ。
だいぶ戻りますが、水路沿いに道があります。
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【17】三郭南側の堀切 上に戻る

道を進むと、堀切を通ります。
ここはどちら側も大自然に埋もれています。
とりあえず素直に真っすぐ進みます。
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【18】南側の城塁 上に戻る

神社があるので城のものかは?ですが。
それでもここも曲輪だったことを覗わせる造りです。
城内とは違い、とても綺麗に整備されています。
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【19】直箟温泉神社 上に戻る

南の曲輪に鎮座する神社です。
神社の名前が書かれた板を撮影しましたが・・・
超達筆というか、独特のフォントで読めず。
Google Mapに書かれている文字を書いてみました。
字の形はハッキリしましたが、それでも読めず。
ググったら「すぐの」という読みでした。
元々は那須与一が扇を射た矢竹の産地にあったそうです。
江戸時代の享保年間にココに遷座したのだとか。
一体何があったのでしょうか?
気になる方は調べてみて下さい(∀`*ゞ)
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【20】神社裏の曲輪 上に戻る

神社は一段低い所にあり、背後が高くなっています。
その上は、平らな曲輪となっています。
奥は堀切沿いの土塁で、手前が横一線に窪んでいます。


◆歴史◆

応永年間(1394-1428)、大関増清により築かれました

大関氏は那須七騎に数えられる一族です。
大関増清は大関氏7代目です。
那須郡松野の館から移り、白旗山に城を築きました。
この頃、那須家は上那須家と下那須家に分裂。
那須資之と沢村資重の兄弟による対立でした。
応永23年にあった上杉禅秀の乱でも両者は対立。
この内紛は約100年続くこととなります。
大関氏も、戦乱により城が必要になったようです。

1542年、大関増次が討死しました

大関氏はその後、八幡館や大関城に移りました。
大関宗増は那須家統一に活躍。
1518年には讒言により大田原資清の追放に成功。
ライバルの居なくなった大関宗増は専横を極めます。
その子・大関増次は、白旗城を改修し居城としました。

しかし、大田原資清が逆襲に転じます。
密かに那須に戻り、鷹狩り中の大関増次を奇襲。
大関宗増は後継ぎを失います。
そのため、大田原資清の子を養嗣子として迎えます。
大関宗増が何故後継ぎに困っていたのか・・・
少し調べると、大関増次は56歳で授かった子のようです。
大関増次が討死したのが25歳ですから、父は71歳?
流石に後継者を育て盛り返すという訳には行かなそうです。
大関家を継いだのが、大田原資清の長男・大関高増です。
大関高増は白旗城を居城としました。
大田原資清は福原氏も次男に継がせました。
那須七騎の内、3つの家を大田原氏父子で占めました。

1576年、居城を黒羽城に移しました

大関高増は、那須七騎の筆頭として活躍。
宇都宮氏や結城氏らとの戦で功を挙げました。
しかし1560年、那須資胤と対立。
大関高増は上那須衆を率いて離反しました。
さらには佐竹義昭と結び、那須資胤と争います。
しかし那須資胤は度重なる戦に勝利。
・・・強ぇっす(*^^*;)
1568年、ようやく和睦します。
佐竹義重が那須領への侵攻を続けましたが・・・
1572年、那須郡の武茂・茂木を割譲し和睦しました。
その後、1576年に大関高増は黒羽城を築き移りました。
黒羽城は、八幡館の南側に築かれた巨大城郭です。
八幡館に居た角田氏は、奥沢館に移り改姓しています。


所在地:栃木県大田原市余瀬 GPS軌跡ダウンロードページ
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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