2023/08/13
亀ヶ城/兵庫県豊岡市
亀ヶ城は、畝状竪堀が巨大です。
訪問日は2023年8月1日です。
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まだ昨年の分を書き終えていませんが・・・
その後の栃木のもサッパリですが・・・
今年の夏休みで一番印象に残った城跡を紹介します!
堀切大好きな私が、とても感動した所です。 |
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【1】駐車場所 上に戻る
登城口近くにある駐車場所です。
真ん中に自動販売機が3台並んでる所です。
これだけ広ければとは思っていましたが・・・
右端にちゃんと亀ヶ城の標柱がありました。
ということで、ここは停めても大丈夫そうです。 |
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【2】地蔵堂 上に戻る
ただ、案内はありません。
登城口へは、駐車場所の奥の路地を右へ。
180m程進むと、右手にこの地蔵堂があります。
ここが目印です。 |
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【3】登城口 上に戻る
地蔵堂の正面に、フェンスで挟まれた道があります。
ここが登城口です。
一番奥が扉になり開閉出来ます。 |
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登城口脇に素晴らしい説明板があります。
しかし、なぜかフェンスの向こう側。
民家の敷地に侵入しなければ正面から見られません。
なぜこんな事になっちゃってるのか・・・
ということで、カメラだけ突っ込んで数枚撮影。
その中で一番うまく撮れたのがコレです。
あとはITのチカラでちょっといじって綺麗に^^ |
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【5】登城口の入口 上に戻る
フェンスの向こう側です。
真冬でもちょっと躊躇しそうな草むらです。
少なくとも真夏に進んで入りたくない感じです。
ホントですよ^^;
でも、奥を見ると草の層は薄そう。 |
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【6】登城路 上に戻る
「あぁ、結局入っちゃったのね」
という声が聞こえて来そうです。
入りましたとも。
草むらはほんのちょっとで、あとはこんな感じです。
スギがメインで、下草はほぼありません。
これなら真夏でもイケますよね!
入ってすぐの段々の平坦地は屋敷跡。
もうとっくに城内なのでした。 |
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【7】竪堀 上に戻る
屋敷跡の平坦地群を過ぎるとありました。
うっすらですが、このサイズなら私にもわかります^^ |
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【8】東城主郭 上に戻る
そして間もなく東城の主郭に到着です。
登城口から19分でした。
かなり低い方ですね^^
山城あるあるで、ものすごく広いです。 |
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【9】堀切 上に戻る
そしてお目当ての堀切様へ!
鋭くて深いです^^
まっすぐ下りるのはどう見ても無理。
そんな時は、端へ向かうと割と楽に下りられます。 |
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【10】堀切 上に戻る
ということで、下りて見上げる堀切様です。
あまりの規模で、デジカメでは入り切らず。
ということで、iPhone様の×0.5で撮影です。
まぁそれなりにデカイという感想でした。
これでも十分私としては感動しました。 |
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【11】西城主郭 上に戻る
最初の堀切は普通に大きな堀切としてクリア。
その先にまた大きな曲輪があります。
東城、西城という位なので、別々だったのでしょうか。
同じ位の規模なので敢えて優劣付けなかったのかもですが。 |
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【12】堀切 上に戻る
そして、西城の奥にも堀切様がいらっしゃいます。
というか、これはもう普通に崖です。
さっきの3倍以上は深い超特大の堀切です。
しかも深過ぎて見えませんが、二重です。
ココ下りるのは無理かと一瞬思いましたが・・・
二度と来ないだろうと思い、下りようと決心。 |
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【13】畝状竪堀 上に戻る
いつも通り端に向かいますが、そのまま急斜面に。
それでも堀切の底は遥か下でした。
それならと、急斜面を緩々と斜め手前に下りました。
急斜面の下に下りたのは、東城の堀切の真下でした。
上の地図で左上に大きく膨らんでるのがこの下りです。
そこから先へ進んで、超巨大堀切の下へ。
そこにあったのは、堀切の下の超巨大畝状竪堀でした。
1本1本が背丈以上の深さがあります。
こんなにデカイ畝状竪堀は初めてです。 |
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【14】堀切 上に戻る
竪堀を苦戦して登り切ると、そこにおわしました。
西城の超巨大堀切様です。
深さは15メートルくらい。
こちらは底までV字の薬研堀です。
普通と違うのは、その両サイドです。
手前側は先程見た通りの畝状竪堀ですが・・・ |
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【15】反対側の畝状竪堀 上に戻る
反対側もほぼ同じ規模の畝状竪堀です^^
ただ、こちら側の方が本数は少なめです。
それでも1本1本はデカイですが。 |
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【16】奥の堀切 上に戻る
手前の竪堀を登り超巨大堀切様。
反対側に回り超巨大畝状竪堀。
奥へ進むと、再び堀切様が^^
西城主郭の所で二重と書きましたね。
こちらはそんなに大きくはありません。
よそで見れば、十分感動するサイズではありますが。 |
【動画】 上に戻る
2次元の静止画像ではたぶん伝わらない!
ということで動画を録りました。
今夏たった一度キリの出番でしたが。
メンド臭がりなので、動画撮影は敷居が無駄に高いです。
風が強かったのですが、対策バッチリ。
風切り音がするのは、それだけ風が強かったということで。 |
◆歴史◆
鎌倉時代の但馬守護・太田氏の城でした
初代・太田昌明は比叡山の僧兵でした。
源行家を捕らえた功により、但馬と摂津に領地を得ます。
当初は賞されるどころか、罰せられるような内容だったとか。
その事に抗議すると、源頼朝に気に入られたそうです。
本拠を但馬国太田荘にしたため、太田姓を名乗りました。
この時に築いたのは大将軍館とされます。
「大将軍」というのも太田昌明の逸話に由来します。
太田昌明は源頼朝に従い、奥州征伐に従軍しました。
まるで自分が総大将だったように自慢していたそうで・・・
いつしか「大将軍」と呼ばれるようになりました。
亀ヶ城が築かれたのは、承久の乱の後です。
太田昌明は幕府に味方し、宮方からの誘いを断りました。
宮方からの誘いの使者を5名斬ったと伝わります。
当然宮方に攻められますが、小屋谷砦で凌ぎました。
その内に幕府方が宮方を撃破。
戦後、功により太田昌明が但馬守護に任命されました。
大将軍館では手狭になり、堀の内に亀ヶ城を築きました。
以後、6代にわたり太田氏の居城となります。
1333年、廃城となります
足利高氏が建武新政に叛き挙兵しました。
6代目の太田守延も、但馬の兵を率いて参戦しました。
しかし、六波羅攻撃の際に落馬した所を討たれます。
大将を失った但馬の軍勢は統率がとれなくなり敗走。
どうやら後継者が居なかったようです。
太田一族はその後も太田荘に暮らしたと伝わります。
羽柴軍に攻められた伝承があります
1580年、羽柴秀吉が但馬・因幡に進軍しました。
山名氏が毛利氏と同盟関係にあったためです。
しかし、宇喜多氏や南条氏が織田方に寝返ります。
そのため、毛利軍の救援を受けられず。
但馬は1か月程で羽柴軍が平定しました。
この時に亀ヶ城も攻められたという伝承があります。
亀ヶ城は、羽柴軍の攻撃を受けても陥落しませんでした。
この時に霊亀に守られているという伝承が伝えられました。
それを聞いた羽柴秀吉は、首に当たる箇所を攻めさせます。
すると、間もなく亀ヶ城は落城したというのです。
『盾の勇者の成り上がり』では首が再生したのですが・・・
戦国時代の霊亀は、そこまで不死身ではなかったようです。
所在地:兵庫県豊岡市但東町西野々 GPS軌跡ダウンロードページ
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