2023/07/26
鴇ヶ堂城/兵庫県赤穂市
鴇ヶ堂城は、展望台のある山城です。
訪問日は2022年8月5日です。
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鴇ヶ堂城は、山上に展望台のある城跡です。
尾根先端にあり、物見の砦っぽい感じです。
城跡近くの験行寺まで車で登れます。
すぐ下のお寺で下りたくなりますが・・・
「まだ逝ける!」で痛い目見てるので、私は慎重です。
歩いて見た感じですが、5の辺りまでは車で行けそうです。
大した距離ではないので験行寺から歩くのが無難ですが。
案内はあるのですが、必ずしもわかりやすくはありません。
道があるような、無いような・・・
5で行き止まりになり、ちょっと?でした。
何となくアレ?となり、他を当たって辿り着いた感じです。
難なく辿り着いても面白くありませんからね! |
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【1】験行寺 上に戻る
広い駐車場があります。
雰囲気的にすぐ下のお寺までと思ってました。
ここまでは安心して車で来ることが出来ます。
もうちょっと乗れそうですが・・・
地面が少し柔らかいかもしれません。
ココに停めておくのが無難です。 |
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【2】城跡への道 上に戻る
城跡へは、験行寺から更に奥へ進みます。 |
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【3】案内 上に戻る
道端には案内があります。
展望台あるんだからと、この時は思ってました。 |
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【4】広い場所 上に戻る
そのまま道なりに進みました。
すると結構広い平坦地があります。
虎口は無いものの、ここが城跡?
でも標示も展望台も無いし、、、
さらにここから先は行き止まり
一瞬「アレアレ?」っとなりました。 |
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【5】別の道が 上に戻る
押してダメなら退いてみる
そう思い回れ右すると、来た道とは別の道が。
来る時は広場に気を取られ見落としていました。
広場が見えたら、左側に気を付けましょう。 |
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【6】左奥へ続く尾根 上に戻る
他に選択肢は無いのですが、こっちで合ってそう。
地形も少し人工的な感じに見えてきました。 |
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【7】堀切 上に戻る
もう少し進むと、両サイドがえぐれ少し低い所が。
お、コンニチハ!
堀切さんですね(*´▽`*) |
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【8】遊歩道 上に戻る
ハナからこういう道なら迷いようも無いのですが。
かと言って、あまりやり過ぎると遺構が・・・
悩ましいものですね。 |
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【9】堀切 上に戻る
遊歩道は尾根の側面にあります。
尾根の高い所は、こんな感じです。
ポツリポツリと堀切が^^div>
これを潰さない為?
ということにしておきます( ̄ー ̄) |
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【10】堀切 上に戻る
1つあったら○あると思え!
だったら、城キチとしては嬉しいのですが。
まぁでも、1つだけで終わることはあまり無いですね^^div>
ということで、いくつか見られます。 |
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【11】石積み 上に戻る
中には、切岸に石積みが見られる所も。
こういう変化があるから、1つ1つじっくり見てしまいます。 |
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【12】堀切 上に戻る
まだありますヾ(*´∀`*)ノ |
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【13】展望台 上に戻る
そうこうしている間に視界が拓けてきました。
木立の合間から、物見櫓が見えて来ました!
・・・展望台が見えて来ました!
こういうモニュメントは好きですが、私は登りません。
威張る程のコトでもありませんケド^^;iv> |
◆歴史◆
赤松一族・太田弾正の城とされます
赤松則景が太田弾正と名乗ったのが始まりとされます。
とは言え、あまり詳しい話は伝わっていません。
『赤穂郡志』の記述が一般に伝わる内容です。
そこで記されているのは
・小田弾正が居住していた
・老齢になり子の治内に譲った
・龍野刑部(小河丹後秀春?)がこの城を攻めた
・三宅与左衛門が背後から寄せ手を奇襲
・小川丹後は自害、享年24
といった感じです。
これは1571年の出来事とのこと。
この年代だと織田軍の侵出絡みかと思いましたが・・・
単に、日頃から仲が悪かっただけのようです。
所在地:兵庫県赤穂市有年横尾 GPS軌跡ダウンロードページ
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