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平井山ノ上付城/兵庫県三木市

平井山ノ上付城は、三木城を攻めた時の付城です。
訪問日は2022年8月4日です。

平井山ノ上付城【写真位置】 大きな地図を表示

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「付城」をググると
①出城
②敵の城に相対して築かれた城
の2つの意味が出て来ます。
でも、今まで①の意味で使われた城跡に出会ったことがありません。
私の経験上では圧倒的に②の意味で使われている気がします。
ココも②の意味で、三木城攻めの際に本陣だった陣城です。
有名ドコロなためか、遊歩道が整備され真夏でも散策出来ます。
顔の周りを飛び回るコバエがうじゃうじゃ居ましたが・・・
遺構はしっかり残っているので、見る価値はあると思います。
軍師・竹中半兵衛最期の地でもありますし。
平井山ノ上付城【1】
【1】駐車場 上に戻る

有名ドコロなので、駐車場もあります。
ありがたや、ありがたや。
有名ドコロなので、説明板もあります。
バッチリ綺麗な図まで載ってます。
至れり尽くせりです^^
平井山ノ上付城【2】
【2】遊歩道 上に戻る

こんな感じです。
これ位の幅があれば、真夏でも大丈夫!
平井山ノ上付城【3】
【3】段状の平坦地群 上に戻る

歩き始めてすぐですが、これが現れます。
これが無ければ全然わかりませんでした。
・・・あっても?w
平井山ノ上付城【4】
【4】(伝)太閤道 上に戻る

遊歩道は太閤道と呼ばれています。
そう思い拡大表示を見るとカッコ伝!
しかも「思われます」
じゃぁ誰がそう呼んでたんでしょう?
出典は?
もう、色々ツッコミたくなって来ます。
平井山ノ上付城【5】
【5】主郭の展望台 上に戻る

傾斜が緩くなって、平らな場所に出ました。
主郭の案内板があったのでそうなんでしょう。
「低い土塁に囲まれ」とありますが、地面掘った写真。
あんまり主郭らしくないような。
まぁでも、城攻めの時の陣ですからね。
平井山ノ上付城【6】
【6】土塁 上に戻る

端に寄ったら見えました。
周りを囲んでいる土塁です。
主郭は半円形で、三木城側に土塁があります。
あちらから内部を見られないように、ですね!
平井山ノ上付城【7】
【7】半円形の土塁に囲まれています 上に戻る

もう少し引いた位置から撮るとこんな感じ。
土塁があるだけでなく、手前側が低くなっています。
こんなに斜めだと、ここで過ごすの大変なような。
住宅でも、傾いていると病気になると言いますし。
大丈夫だったんでしょうか?
平井山ノ上付城【8】
【8】虎口 上に戻る

奥に抜けて振り返った所です。
通路の両脇に土塁があります。
ということで、虎口ですね。
攻める側の陣なので、そんなに凝っていません。
・・・攻められたんですけどネ!
平井山ノ上付城【9】
【9】櫓台状の土盛り 上に戻る

もう少し奥へ進むと、今度は土盛りが。
案内板には「櫓台状の土盛り」と書かれています。
櫓台なんだ~って思ってましたが・・・
2つ3つと振り返り冷静になると、そうでもなし。
城跡にある土盛りだから「櫓台」なんですね。
古代墳墓だと考えられているそうです。
平井山ノ上付城【10】
【10】谷部に造成された曲輪 上に戻る

更に奥へ進むとまた案内板が。
今度は「谷部に造成された曲輪」です。
山城に行くとよく見かけるヤツです。
気のせいだろうな~で通り過ぎますけど。
キッチリ区切られた何とか丸の方がレアなんでしょうか。
こういうのまで曲輪認定すると、縄張りが見えなくなるんですよね。
平井山ノ上付城【11】
【11】大手口 上に戻る

本当は奥へ通り過ぎて藪にツッコミましたが・・・
戻って来て大手口へ。
本当はこっちから登って来るんでしょう。
そう思いつつ、綺麗な虎口を期待してました。
平井山ノ上付城【12】
【12】大手口 上に戻る

まぁでも、大手口は大手口。
こっちが正面の入口、という事ですよね。
何となく両サイドに何かあった感じはします。
さっきの曲輪の事もあり、目のビョーキなのかどうなのか。
本当は妄想を極めた先に、真の姿があるのかもしれません。


◆歴史◆

1578年、三木城攻めの際に築かれました

三木城の別所長治は東播磨の大名です。
織田信長が畿内に進出すると、一時は従いました。
1578年3月、毛利攻めの先鋒として出陣する予定でしたが・・・
別所長治は、そのまま三木城に立て籠りました。
そのため、織田軍の毛利攻めはいきなりとん挫します。
播磨には別所長治に従う勢力が多くありました。
そのため、羽柴秀吉は彼らを個別に撃破。
次第に三木城の包囲網を狭めて行きました。
織田信忠が神吉城、志方城を落した頃に、平井山ノ上城を築城。
1578年8月に豊臣秀吉が本陣としました。
羽柴軍は三木城には攻め込まず、兵糧攻めを開始。
しかし、毛利軍が海上から補給をしていました。
その内に摂津の荒木村重も織田信長に対し挙兵。
別所軍が平井山ノ上付城を攻めたこともありました。

1579年秋になると状況が変わって来ました。
10月に、西の宇喜多直家が織田方に寝返ります。
11月には、荒木村重が立て籠もった有岡城が陥落。
年明が明け1580年になると、羽柴軍は攻勢に出ました。
三木城の宮ノ上砦と鷹尾城を相次いで攻略。
すると、別所長治が降伏勧告に応じました。
三木城の開城により、付城は役目を終えました。


所在地:平井山ノ上付城 GPS軌跡ダウンロードページ
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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