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三木城/兵庫県三木市

三木城は、山全体を使った巨大城塞です。
訪問日は2022年8月4日です。
三木城【写真位置】 大きな地図を表示
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三木城は本丸、二の丸の他に新城、鷹尾山城、宮ノ上要害から成ります。
羽柴軍が20カ月にわたりに包囲したことで有名です。
城跡は全般的に市街地化しています。
本丸、二の丸は公共施設が多く、訪ねた時は空き地が増えていました。
麓の中嶋丸、三の丸や東側の新城などは完全に住宅地となっています。
南側にあった鷹尾山城は、主要部が残っています。
南構にある雲龍寺には、別所長治夫妻の首塚があります。
三木城【1】
【1】二の丸 上に戻る

まずは二の丸へ。
市街化された城跡にあって、広い駐車場があります。
公共施設が多く、建物が壊された跡もあります。
今後、この辺りが公園化されるかもしれません。
三木城【2】
【2】石碑 上に戻る

左奥にある美術館前には、この石碑があります。
2014年には美術館自体無かったような・・・
当時は本丸しか見て無いので不確かですが。
三木城【3】
【3】二の丸の説明板 上に戻る

石碑のすぐ近くにこの説明板があります。
発掘調査の結果、大甕が発見されたと書かれています。
その中の1つには、炭化した麦が残っていたそうです。
16個が綺麗に並び、食物貯蔵庫だったと考えられるとか。
文面読むまでは、勝手に古代人のお墓だと思ってました^^;
三木城【4】
【4】水門口 上に戻る

本丸と二ノ丸の間から1本の道が出ています。
ここは水門口と呼ばれています。
何となく雰囲気があって撮りました。
やっぱり虎口ありましたよね?
三木城【5】
【5】稲荷神社 上に戻る

本丸の中央には稲荷神社があります。
市街化を免れたのは、この神社のお陰かも。
三木城【6】
【6】別所長治像 上に戻る

本丸にはこの像もあります。
作風が坂本城跡にある明智光秀像と似てるような気が。
あっちは直立不動ですが、こちらは乗馬姿です。
三木城【7】
【7】石碑と説明板 上に戻る

本丸には沢山の説明板があります。
2014年に訪ねた時にも沢山ありました。
当時の写真と見比べると、かなりリニューアルされています。
この説明板には等高線付の縄張図と古い絵図が載っています。
この左にあった三木合戦図は無くなっていましたが。
代わりに本丸跡の石碑が増えていました。
三木城【8】
【8】伝天守台 上に戻る

全般的に平坦な本丸に、ひと際高い土盛りがあります。
ここは天守台跡と伝わります。
この上には別所長治の辞世の句が彫られた石碑があります。
三木城【9】
【9】本丸からの眺め 上に戻る

余り高さは無いように見えます。
でも、この先は断崖絶壁。
たぶん忍者でも登れないと思われます。
すぐ近くを堀になる川が流れています。
お城になる要素たっぷりの地形です。
三木城【10】
【10】かんかん井戸 上に戻る

本丸の先端にはこの井戸があります。
要害とは言え大した比高ではありません。
そんな城が20カ月も抵抗出来たのはこのお陰かも。
十重二十重に包囲されても本丸に水があるんですから。
三木城【11】
【11】大手門に通じる道 上に戻る

本丸の北側にも麓に通じる道があります。
というか、表から上がって来るのがこの道です。
下には三の丸と大手門がありました。
なのでここは大手口と呼ぶべきでしょうか。
三木城【12】
【12】新城跡 上に戻る

本丸と二ノ丸の東側は住宅地です。
ここが新城跡です。
別所長治討伐後に築かれた城です。
一応城跡なので何か無いかな?と思いました。
段差のある地形が、その痕跡なのかと思います。
三木城【13】
【13】雲龍寺の説明板 上に戻る

南側は南構えの跡で、雲龍寺があります。
その説明板に、三木城の縄張図が載っています。
かなりイイ図です(*^▽^*)
三木城【14】
【14】別所長治・照子夫人首塚 上に戻る

雲龍寺の南側に、別所夫妻の首塚があります。
このお寺は別所氏の時からあったそうです。
羽柴軍に降伏後、別所長治が後事を託したのが住職です。
と、2014年には本丸にあった絵巻に描かれていました。
切腹後にここで弔われるのは自然な流れですね。
三木城【15】
【15】三木市役所 上に戻る

雲龍寺から東側に近代的な建物があります。
ここが三木市役所です。
市街地の中心部からは外れた場所ですが。
ここも城域だったと思われます。
三木城【16】
【16】鷹尾山城の案内 上に戻る

ここに来たのは鷹尾山城跡を見るため。
市役所の西側、体育館前にこの案内があります。
駐車場があるので、車でそのまま乗り込めます。
三木城【17】
【17】鷹尾山城の説明板 上に戻る

その駐車場の一番奥にコレがあります。
付け根はガッツリ舗装されてますが、国史跡なんですね。
図では、先端だけはしっかり残ってそうです。
三木城【18】
【18】堀切 上に戻る

コンクリートを抜けるとすぐに堀切があります。
背後に体育館が見えますが、ホントにすぐ裏です。
三木城【19】
【19】土塁 上に戻る

堀切といえば、手前には土塁。
セオリー通りにちゃんとあります^^
三木城【20】
【20】鷹尾山城主郭 上に戻る

堀切、土塁の奥にある広いスペースが主郭です。
土塁に囲まれ、城キチ憩いの空間です。
山上の砦というイメージだったのでこの広さは意外でした。


◆歴史◆

1492年頃、別所則治により築かれました

別所則治は、出自不詳の人物です。
赤松氏の庶流という説もあるそうです。
歴史に登場するのは、1484年です。
赤松政則が山名氏との戦で失態を犯し堺へ出奔。
筆頭家老の浦上則宗は、赤松政則の家督と守護職の廃位を宣言。
有馬慶寿丸を赤松家に次期当主にすると幕府に申請しました。
この時、赤松政則の復帰に活躍したのが別所則治です。
将軍・足利義尚との謁見を手配し赤松政則の復帰を実現。
以後、赤松政則は別所則治を重く用いるようになりました。
播磨東部守護代となった別所則治は、対山名軍との戦でも活躍。
新たな本拠として三木城を築きました。
権力浸透を図り、勢力基盤を確立しました。

1530年、浦上村宗に攻め落とされました

細川晴元と細川高国の争いのとばっちりです。
当時の別所就治は、衰退した赤松家から独立していました。
浦上村宗は赤松家に残り、傀儡を立てて専横を極めていました。
この争いで浦上村宗が東播磨に進出し三木城を攻め落とします。
翌1531年、浦上村宗は細川晴元と戦い戦死。
細川高国は捕らえられ、大物で自害しました。
この機に乗じ、別所就治は三木城を奪還しました。

1580年、羽柴軍に攻められ落城しました

1578年、畿内を制圧した織田軍が中国地方へ進出。
別所長治は織田家に従い、その先鋒を務めるはずでした。
戦支度を整えた別所長治は、叛旗を翻し三木城に籠ります。
当時、織田家と毛利家の勢力境が播磨でした。
どちらに味方するかが、国人達の運命を左右する状況でした。
迷いに迷った別所長治は、毛利輝元を選びました。
別所氏は播磨東部に影響力があり、毛利方への寝返りが相次ぎました。
出鼻を挫かれた羽柴軍、標的を三木城に変更。
そんな中、摂津の荒木村重も織田家に叛旗を翻します。
三木城には海上や摂津から兵糧が運び込まれました。
そのため羽柴軍は支城を落しながら、徐々に三木城を包囲。
毛利軍は東に進み、羽柴軍の上月城を攻め落としますが・・・
1579年10月、毛利方だった宇喜多直家が織田方に寝返ります。
11月には荒木村重の有岡城も陥落。
これにより、三木城への補給路が断たれました。
1580年1月、宮ノ上砦と鷹尾城が相次いで陥落。
織田軍の降伏勧告を受け入れ、三木城は落城しました。
戦後、羽柴秀吉は三木城に城番を置きました。

1601年、伊木忠次が城主となりました

関ヶ原の戦の後、池田家の家老・伊木忠次が城主となります。
伊木忠次は、1560年頃に池田恒興にスカウトされました。
美濃進出の際、織田信長から井木姓を与えられた人物です。
池田家中では森寺秀勝亡き後、筆頭の重臣となります。
その実力は豊臣秀吉も認め、自ら5000石の領地を与えた程です。
伊木忠次が1603年に没すると、子の井木忠繁が城主となります。
1615年、一国一城令により廃城となりました。


所在地:兵庫県三木市上の丸町 GPS軌跡ダウンロードページ
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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