2023/06/10
尼崎城/兵庫県尼崎市
尼崎城は、復興天守のある城です。
訪問日は2022年8月4日です。
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尼崎城は、復興天守のある平城です。
城跡は完全に市街地となっています。
だから天守だけ見て終わり、になりがちです。
ガッツリ市街地ですが、縄張りの痕跡は残っています。
ということで、シリーズ化した感のある平城痕跡巡りです。
歩いたコースは基本的に堀跡をなぞっています。
そういう目で見ると、縄張りが何となく見えますよね? |
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【1】復興天守 上に戻る
何を置いても最初に見るのはコレです。
建てられた場所は、本来とは違います。
ですがイイんです。
どうせ地形は残っていませんから。
せっかくなので堪能させて頂きました。
駐車場は復興天守の南側にあります。 |
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【2】復興天守 上に戻る
上の立ち位置とは真逆の北側からです。
近いのでiPhoneの超広角で撮っています。 |
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【3】復興天守 上に戻る
東側から見た天守です。
白漆喰には青い空が似合います♪ |
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【4】復興天守 上に戻る
南東側からです。
右側の出っ張りがのっぺら坊なのが気になりますが・・・
贅沢言ったらバチ当たりますね。 |
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【5】石垣 上に戻る
天守周りの石垣です。
積み方とか位置とかどうなのか?です。
そもそも縄張無視した感じがするので。
石が真新しいので、造った感がまだします。
苔生すくらいになれば、多少は雰囲気出るでしょうか。 |
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【6】門? 上に戻る
この感じだと、櫓門がありそうな雰囲気です。
左側の石垣が薄いので、支えられるのかが?ですが。
枡形虎口ではなく、右側に櫓を置いて冠木門でしょうか。
無いなら無いで、妄想ばかりが膨らみます。 |
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【7】・・・ 上に戻る
もうここが何をイメージしたのかすら?です。
櫓台でもなく、虎口でもなし。
こういう形で痕跡があったのでしょうか。
ココだけなぜか角が算木積みですし。 |
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戸田氏鉄といえば、大垣城に銅像があったような。
大垣の前はココだったんですね。
ココは確か天下普請だった気がするのですが・・・
築城だけでなく運河まで掘りまくってたとは。
江戸幕府、エグイです。 |
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【9】北側の堀跡 上に戻る
さて、ここから先は禁断の領域です。
まずは北側の堀跡です。
そのまま道になっています。
風景は変わっても、地形には痕跡が残っています。 |
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【10】東側の堀跡 上に戻る
今度は東側です。
こちらの堀跡は、そのまま公園になっています。
なので、どこが堀だったのかわかりやすいです。 |
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この公園の木陰に、石垣めいたオブジェが。
近付いて見ると、説明文と見事な図まで。
誰もこんな所まで見に来ないだろうに。
だって、事前のリサーチで出て来ませんでしたからw
痕跡巡りをすると、こんな発見がよくあります。 |
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【12】東大手橋跡の石碑 上に戻る
今度は石碑が出て来ました。
松の丸から東三の丸への橋がココのようです。
復興天守のある城跡なので、訪ねる人は多いでしょう。
でも、説明板的なものはそういう所にはありません。
・・・天守の中に集約したのかもですが。
中に入ってないので、それはわかりません^^; |
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【13】南側の外堀 上に戻る
内堀は完全に埋め尽くされましたが、外堀は残っています。
これ、埋めるの大変ですよね?
川が直角に曲がってるということで、運河のようです。
地図を見ると、自然にはこんな流路になりませんし^^; |
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そんな外堀が見れただけで満足でしたが・・・
こんな所にも説明板があります。
しかも、曲輪の名前まで入ったスゴイ奴(*^▽^*)
内容自体は南側の築地町のものですが。
それでもゴチソウ様モノです^^ |
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【15】西側の外堀 上に戻る
西側の外堀は普通に川です。
南側の外堀と繋がっていますけど。
この曲がり方、自然っぽく見えますが・・・
地図見ると、やっぱり本来の位置とは違うような。
江戸時代初期に築かれましたからね。
やはり先を見通せないようにする構造でしょうか。 |
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【16】西側の石垣 上に戻る
外堀跡を一周して戻って来ました。
出発した時はこの内側を歩いていました。
なので、厳密にはあとちょっとで一周という所です。
どうでもいいですけど┐(´д`)┌
完全破壊された痕跡から戻って来たので、造り物とは言え萌えます^^
外堀の内側に道を造り、その道沿いに石垣ってネ
時間が経って冷静に考えれば、城としてはあり得ません。 |
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今度は内堀の跡に沿って歩きました。
この城址碑は、人によっては紹介されています。
本丸の南側、現在は中学校校庭の南側にあります。
築地町の説明板に載ってる図だと、ココら辺が門だったようです。 |
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もう少し東側へ進むと、これが見えます。
校庭の奥まった所なので入れません。
望遠レンズでゴチソウ様します。
このミニチュア天守、中々の出来栄えです。
こんなモノ見せつけるなんて、城キチ殺しです。 |
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【19】消火栓の蓋 上に戻る
さて、外堀程には痕跡がわかりづらいのが内堀跡です。
堀の形に道は通ってるので、地図では何となくわかりますが。
歩いて見る限りは、もう完全に市街地です。
でも、下を向いて歩くのも悪くありません。
だって、こんな発見もあるんですから!
・・・って、9番にも写ってますね。
今日から「うっかり★なぽ」に改名でしょうか。 |
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【20】石垣の石 上に戻る
最後は歴史博物館前にある石垣の石です。
長い花壇に並べて展示されています。
流石は歴史博物館です♪
ここは北側の内堀沿いの本丸跡。
もっと言えば、天守があったのがこの辺りです。
地形はペッタンコで、天守台らしき痕跡もありませんが。 |
◆歴史◆
1617年、戸田氏鉄により築かれました
大坂夏の陣後、戸田氏鉄が尼崎藩5万石の藩主となりました。
戸田氏は三河出身の譜代大名です。
徳川家直轄となった大坂城の西を守る城という位置づけです。
1635年、戸田氏鉄が大垣藩10万石へ移封。
青山幸成が尼崎藩主となります。
青山氏も徳川家康に近侍していた譜代大名です。
以後、青山氏が4代、桜井松平氏が7代、尼崎藩主を務めます。
1873年、廃城となりました
1871年、廃藩置県により、尼崎藩は尼崎県に。
1872年、兵庫県に編入。
1873年、尼崎城は陸軍省から大蔵省に所管換えとなり廃城が決定。
建物は取り壊され、堀は埋められました。
石垣は、尼崎港修築のため防波堤の石材に利用されました。
2019年、復興天守が一般公開されました
天守の再建話は何度かあったそうです。
しかし、先立つモノの問題が立ちはだかり消滅。
2015年11月、エディオン創業者の安保詮氏が私財12億円の寄付を発表。
「創業の地・尼崎に恩返ししたい」という趣旨だそうです。
本人は「城には全然興味が無い」と話していたそうですが。
城の建築は安保氏が行い、完成後は市が維持管理をすることに。
当初の計画では外観が往時とは全く異なっていたそうです。
本来の位置からも約300m離れ、専門家からは異論が出たとか。
位置や向きは違うものの、外観は往時に近い形で再建開始。
2019年3月29日より一般公開となりました。
尼崎城
営業時間 | 9時~17時(入城は16時半まで) |
入城料 | 一般・学生:500円、小中高校生:250円 |
休城日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月2日 |
駐車場 | 1時間400円 |
所在地:兵庫県尼崎市南城内 GPS軌跡ダウンロードページ
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