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園部城/京都府南丹市

園部城は、日本で最後に出来た城とされます。
訪問日は2022年8月3日です。

園部城【写真位置】 大きい地図を表示

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「最後に出来た城」というと、今までいくつか記憶にあります。
覚えてる範囲ですが、松前城、五稜郭、旭城、福江城など。
なぜか全国各地にいくつもあります。

この中で一番最後なのが旭城(福岡)です。
旭城は、元々は小倉藩の支藩である新田藩の藩庁でした。
小倉藩は1866年、第二次長州征討の際に小倉城を自焼。
香春を経て1870年に新田藩の藩庁に拠点を移しました。
この時に豊津藩と名を改め、藩庁の改修に着手。
しかし、1871年の廃藩置県により未完成のまま廃藩となりました。
「旭城」と呼ばれていますが、正式名称は「豊津陣屋」です。

次に新しいのが、1869年の園部城です。
江戸幕府が滅び、明治時代になってからの完成です。
そのため、園部城も「最後に出来た城」と呼ばれています。

1866年に完成したのが五稜郭(北海道)です。
1854年、日米和親条約により箱館港が開港。
アメリカは中国航路と捕鯨の寄港地として箱館を選びました。
しかし開港は幕府の本意ではなく、危機感を抱きます。
そのため、海防拠点として箱館に奉行所が築かれました。
構造や目的はお城なのですが、あくまで行政拠点の奉行所です。
箱館には各国の領事館もあり、刺激したくなかったのかもしれません。

その次が1863年の福江城(長崎)です。
こちらも海防のため、石田陣屋を改修しています。
幕府が命じたものの費用はもらえず、築城に14年掛かりました。

1854年に完成した松前城も、日本最後の城と呼ばれます。
上に挙げた「城」には、天守がありませんでした。
しかし、松前城には天守がありました。
それ以外は構造的には城なものの、決定打に欠けます。
名前が「城」で最後に完成したということなら、園部城が最後です。
天守があれば松前城、天守無しなら、園部城でしょうか。
旭城も御三階櫓を建てる予定はあったそうですが・・・
建てる前に廃止されています。
「城」の定義によってそれそれといった所なんだと思います。
園部城【1】
【1】城址碑 上に戻る

園部城といえば、門と櫓だけ?
ネット上で見るのはこれしか残ってないという印象。
でも、ちゃんと調べると色々残ってます!
という感じで痕跡巡りをしてきました。
京都では田辺城に続く、痕跡巡り第2弾です。
園部城【2】
【2】現存櫓門 上に戻る

園部城で紹介される定番その1はこの櫓門。
現役で高校の正門を務める現存の櫓門です。
私の母校も城跡でしたが、ココもそうです。
そういう意味では、郷土への理解を深める場所なのかも。
私の母校はそんな雰囲気ゼロでしたけど^^;
それでも毎朝この門をくぐるのは羨ましいのデス。
園部城【3】
【3】南丹市国際交流会館(城郭風建築物) 上に戻る

でも、一番目立つのはこの建物。
駐車場から見えるのがコレなので。
2008年に撮影したものですが、今もそのままです。
歳を感じさせないというのは、とても凄いコトなのです。
今回はスルーしちゃいましたケド^^;
園部城【4】
【4】中堀跡と現存巽櫓 上に戻る

園部城名物・巽櫓です。
櫓門から入ればもっといいアングルで撮れるのでしょうけど。
でも、部外者なので遠慮して、外から撮りまくります。
一応城跡としては格好のターゲットなので^^
手前にはテニスコートがあります。
部活動中だと、ここでカメラを構えるのに勇気が要ります。
でも、タイミングよく誰も居ませんでした。
このテニスコートが、園部城の中堀跡です。
園部城【5】
【5】現存巽櫓 上に戻る

でも、やっぱりいいアングルで撮りたい!
ということで、校内に入らない所までは迫ります。
警備員さんが居るのは昨今の情勢故でしょうか。
それでも構わず撮っちゃいます。
ひと昔前までは、関係無い人が居ると撮らない主義でした。
松下村塾前で数十分粘ったのは、今では笑い話です。
今は「邪魔なテメー晒したる」ぐらいな勢いで撮ってます。
・・・モザイク入れた方が良かったでしょうか。
別に悪い事してる訳ではないんですけどね^^;
園部城【6】
【6】南門跡 上に戻る

櫓門と巽櫓を撮ったら終わり。
14年前の私はそうでした。
でも、今は違います。
何も無さそうな遺構を撮って回ります。
病状が進行したという見方もありますが・・・
温かい目で見守って頂けたらと思いマス。
ココは南へ伸びる道にある南門跡です。
一見するとただの道ですが、ちょっとだけ枡形っぽさが残ります。
よくぞ残ってくれましたヾ(*´∀`*)ノ
基本的にはこんな感じの痕跡探しとなります。
園部城【7】
【7】切岸 上に戻る

園部城というと平城のイメージがあります。
でも、実はそんな事はありませんでした。
東側の外堀跡を見に行く途中、こんな光景が目に付きます。
平城だと思いきや、意外と地形的段差もあったりします。
全般的には東が低く、西が高いという感じ。
外堀沿いは、こういう光景が続きます。
園部城【8】
【8】東側の外堀跡 上に戻る

南北に長い園部城は、外堀に囲まれていました。
その東側の外堀跡がコレです。
城域の端に道があり、一段低い所が田んぼになっています。
航空写真で見ると、見事に南北に細長くなっています。
道は犬走だったのでしょうか。
ということで、あまり見向きもされていない城の痕跡です。
園部城【9】
【9】不明門跡 上に戻る

そして、そんな東側にも城門が1つありました。
それが不明門です。
地図で見ても、東側から真っすぐ城内に入るのはこの道1本だけ。
城の痕跡探しをする上でも、貴重な目印となります。
園部城【10】
【10】切岸 上に戻る

東側の外堀跡を北に向かって辿りました。
ココは北東側の外堀脇です。
やはり、切岸でかなりの高低差があります。
これを城の痕跡として見ればヾ(*´∀`*)ノなのです^^
園部城【11】
【11】釘貫門跡 上に戻る

今度は中央に戻ります。
駐車場前の道の、市役所前の交差点が釘貫門跡です。
流石にココら辺はガッツリ潰され、痕跡も見当たりません。
ただ、どこの城跡でもよくあるのですが・・・
道はそのまま使われてたりします。
再構築する場合、区画はそのまま使われる傾向があります。
園部城【12】
【12】大手門跡 上に戻る

釘貫門跡の交差点から西側が大手門跡です。
ここも言われなければわかりません。
・・・言われてもわかりませんが^^;
事前に探し当てた資料でココが大手門跡だと知りました。
そういう目で見たのですが、やっぱり?でした。
園部城【13】
【13】石垣 上に戻る

大手門跡から脇道を北に進んだ所がココです。
地形的には切岸が続き、外堀跡です。
裁判所の入口は、この切岸を貫いています。
ここに石垣がありますが、城の遺構ではない感じです。
だって、ココに虎口ありませんでしたから。
入口の石垣は、裁判所を建てた時のものと思います。
園部城【14】
【14】小麦山櫓跡 上に戻る

続いて、北西部にある小麦山です。
山頂には天守代わりの櫓があったとされます。
その櫓跡がココです。
フェンスで入れないので、隙間から内部を撮りました。
櫓台っぽいものも無く、ちょっとガッカリではありました。
ただ、地形的には最後の砦たり得ると感じました。
周囲を外堀で囲み、山の出入口は北側のみ。
一朝コトある時には、容易に要塞に加工しやすい感じです。
園部城【15】
【15】堀跡 上に戻る

小麦山の外周に沿って堀跡が続きます。
それは内側にもあり、市役所の裏がこんな感じです。
城内ですが、意外と深い堀だったようです。
園部城【16】
【16】内堀跡 上に戻る

建物群の中央部は、中庭のようになっています。
その目印がコレでしょうか。
南丹市園部女性の館の入口です。
橋のようになっており、周りが低いことがわかります。
この低い所が内堀の跡です。
園部城【17】
【17】内堀跡 上に戻る

中庭っぽい所では、南北に地面が窪んでいます。
ここが内堀の跡です。
本当はビッシリ建物を建てたかった筈。
埋められた後に沈下したのでしょうか。
堀の形に窪んでいます。
園部城【18】
【18】切岸 上に戻る

内堀見たし、さぁ次へ。
そう思いながら駐車場へ向かいました。
でも何だか地形が・・・!
ということで撮った1枚です。
堀跡っぽかったのですが、ここに堀は無し。
本丸内で段差があったようです。
園部城【19】
【19】移築櫓 (地図) 上に戻る

園部城の櫓が移築され現存しています。
場所はかなり離れた、亀岡市との中間地点。
安楽寺にある太鼓堂が、園部城の太鼓櫓でした。
住宅街にあるお寺ですが、すぐにそれとわかります。
本物の櫓、カッコイイです^^


◆歴史◆

1619年、小出吉親により陣屋が築かれました

小出吉親が3万石で園部に入封。
当時宍人城に滞在したため、拠点とするかと思われました。
しかし、城主が健在のため新たに城を築くことにしました。
2年かけて居館や外郭線などを小麦山周辺に構築。
園部藩の藩庁としましたが、幕府から城と称する許可は下りず。
一国一城令が出された後でしたからね。
構造的には城そのものですが、陣屋として出発しました。
江戸時代を通じ、藩主・小出氏の拠点として存続します。

1869年、城になりました

幕末になると、京都の治安が悪くなりました。
そのため藩主・小出英尚は、幕府に改修の許可を申請しました。
1867年10月に内諾を得たものの、大政奉還のため保留。
1868年1月、明治政府からようやく許可が下りました。
この時に櫓門や巽櫓、三層櫓、堀などを新たに造成。
翌年完成し、園部「城」となりました。

1871年、廃城となりました

廃藩置県により、7月に園部県となりました。
園部城はそのまま県庁として利用されました。
しかし、翌月になり京都府に編入。
園部城は廃され、跡地は民間に払い下げられました。


所在地:京都府南丹市園部町小桜町 GPS軌跡ダウンロードページ
京都府の城跡/なぽの城跡巡りを表示

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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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