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田原山城/大分県杵築市

田原山城は、田原氏発祥の地とされる山城です。
訪問日は2023年5月1日です。

田原山城【写真位置】大きな地図を表示

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田原山城は、沓掛城の南の山にありました。
某大聖典では、城へは東から行けるとあります。
登城記はネット上では1件しか見つからず。
そのルートを辿ってみました。
木ノ下橋の交差点から南東へ進みすぐに西側の細道へ。
細道は、民家が途切れるとすぐに未舗装となります。
道はみるみる荒れ、ぬかるんだり崩れたり。
途中、倒木を1つどけて進んだりしました。
嫌な音を立てつつ進み、やがて目印の田原山橋に。
そこから坂を登ると、右手前への分岐があります。
ここからひたすら荒れた林道を歩き山上へ。
開けた場所に出たら右へ進み、標高403m地点へ。
そこから北の尾根を少し下った所が城跡です。
田原山城【1】
【1】田原山の山頂 上に戻る

そんな情報をキャッチ出来ずに挑んだ昨年の年末。
田原山の山頂から稜線を辿る作戦でした。
遠目にギザギザで「鋸山」の異名を持つ田原山。
さぁ稜線辿ろう!として見た光景がコレです。
田原山城は、右斜め前方の尾根上です。
これは空でも飛べなければ無理です。
そりゃそうだよね、ギザギザなのは稜線だし・・・
という事があって、今回のリベンジとなりました。
田原山城【2】
【2】田原山橋 上に戻る

田原山城を訪ねる上で、目印となるのがこの橋です。
ネット上で見つかったのは、山キチ様の会報のPDFただ1つ。
道案内は、地元の人にしかわからなさそうな地名が並びます。
その中に出て来る唯一の固有名詞がこの橋でした。
思わずガッツポーズです!
田原山城【3】
【3】城跡へ続く林道 上に戻る

橋から坂を登ると、右斜め手前への道が現れます。
これが城跡の手前まで続く林道です。
某山キチ様はココに車を停めています。
なので私もココまで車で来ましたが・・・
車が大事な方は、なるべく早い内から歩くことを勧めます。
田原山城【4】
【4】車を停めた場所 上に戻る

もうこれ以上はムリw
・・・で停めた感じです。
倒木が塞ぐような道ですからね。
あまり端ではないですが、これで精一杯。
大きな石が沢山転がり、切り返しもままならず。
こんな道は二度と走りたくありません。
地図ではこの道が南の大きな道に繋がっています。
でも、ストビューではこっちに入る道が見当たらず。
大した距離ではなさそうなので、辿ってみればよかったです。
田原山城【5】
【5】荒れた林道 上に戻る

車を停めた場所からは、ひたすら林道を登ります。
某山キチ様情報は、そこら辺が少しアバウトでした。
路面は草木が生えてないだけで、完全に山の斜面です。
しかもUターン出来る所がありません。
オフ車の方でも、ここ走るとゼッタイ後悔します。
田原山城【6】
【6】林道の転回場所 上に戻る

荒れた林道は、進むにつれ傾斜がキツクなります。
元車道というか、ちょっといい登山道です。
宿題をギリギリ終える感じで登り切った所がココです。
さて、ここからどっちへ進んだものかと迷います。
某山キチ様情報だと、たぶんここから右。
Google Mapのアイコンだと左です。
・・・結局両方とも見て来ましたケドw
それだけ情報が無かったというコトです。
田原山城【7】
【7】まずは右側へ 上に戻る

右側には、幅の広い緩い尾根が続きます。
その左脇に、林道の最後の部分が寄り添います。
ここを車で走って何かする予定だったんですね。
一応植生はスギ林なので。
田原山城【8】
【8】・403地点 上に戻る

やがて辿り着いたピークです。
GPSを確認すると、標高403メートル地点。
某山キチ様が書かれていた場所に到着です。
でも、城跡に関する情報はここまで。
城跡の位置についてはこれ以上書かれていません。
鎌倉時代の城跡なので、平らなだけというのもあり得ます。
そういう意味では、既にココが城跡なのかもしれません。
以後は完全に城キチとしての経験と勘だけが頼りです。
GPSの地形図だと、北の尾根が何となく怪しい・・・
ということで、北へ向かいました。
【動画】 上に戻る

せっかくなので動画を撮りました。
内容は、ココから城跡を探索する様子です。
下手な文章よりこっち見た方がわかりやすいかも^^;
迷わず歩いているのは、一度見て来たからです。
ネタバレ気味ですが、北へ向かったのは正解でした。
その先には更に驚くべき発見が!
田原山城【9】
【9】北側の尾根 上に戻る

・403地点から緩い尾根を下ります。
しばらくすると、尾根は幅の広い平坦地に。
戦国時代の城跡だと「馬場」がこんな感じです。
こんな所まで馬を連れて来るのかどうか?ですが。
人の手が加わった感じもしませんし。
でも、険しい山上が平らなのは不自然なのです。
田原山城【10】
【10】目印の倒木 上に戻る

しばらく進むと、大きな倒木が見えて来ます。
正直邪魔だなぁと思いましたが・・・
その向こう側が一段高くなっています。
お!です^^
田原山城【11】
【11】堀 上に戻る

一段高いだけだと思いましたが、手前は堀でした!
気付いたのは帰りでしたが^^;
ただ、ちょっと堀が浅くて上手く撮れず。
一番堀らしく撮れたのがコレです。
田原山城【12】
【12】虎口 上に戻る

そして、木がかかる所で土塁が窪んでいます。
ここが虎口のようです。
それにしても邪魔な倒木です。
私にチカラがあれば、こんなモノどけるのに・・・
なんて、ちょっと痛いジジィですね^^;
もちろん魔法なんて使えませんヨ!
田原山城【13】
【13】土塁 上に戻る

そして、堀に沿ってある土塁です。
曲輪全周とはいきませんが・・・
堀に沿ってあります。
田原山城に辿り着けたと確信しました。
主郭は奥行きもありかなり広いです。
田原山城【14】
【14】北の尾根先端 上に戻る

さて、辿り着いただけでは満足しません。
情報の乏しかった城跡なので、隅から隅まで堪能します!
主郭を時計回りに進み、まずは北の尾根へ。
山城に来たら、尾根は全部見なきゃデス。
大抵の場合、堀切がありますからネ!
でも、ここはハズレでした。
ただただ下り、ココで行き止まりです。
田原山城【15】
【15】南東の尾根 上に戻る

更に時計回りに進み、今度は東側の尾根へ。
幅の広い尾根が緩やかに下ります。
当日は時間もあり、半日ここだけでもokな予定。
という事で、気になる所は迷わず見て回ります。
田原山城【16】
【16】大堀切 上に戻る

緩い尾根を進むと、地面が何だか凄く凹ンデル!
尾根をぶった斬るソレは、まごう事なく堀切です。
しかも、超デカイヾ(*´∀`*)ノ
鎌倉時代の城跡には似つかわしくない遺構です。
こういうモノがあるのは戦国時代後期の城跡なのですが・・・
とりあえず現状を受け入れて先へ!
田原山城【17】
【17】大堀切の切岸 上に戻る

最初は林道の切通しかと思っていました。
でも、両端は真っすぐ奈落の底へ落ちています。
なぜこの城跡に?とは思いましたが・・・
現に在るんだからしょうがない(〃▽〃)
切岸はかなり岩っぽいです。
野面積みともちょっと違いますが、石垣でしょうか?
田原山城【18】
【18】大土塁 上に戻る

更に、大堀切の向こう側に登ってビックリ。
向こう側の切岸は、大きな土塁でした。
主郭側にはありませんでした。
ということは、重要度は奥の方が高い?
ということは、本当の主要部はこの奥?
これは確かめねば!
田原山城【19】
【19】南東尾根先端 上に戻る

しかし、土塁から先に目立った遺構はありませんでした。
土塁のある所はそれなりに曲輪っぽかったですが。
その先は堀も土塁も無くそのまま尾根に。
少し下った鞍部には堀切ナシ。
ちょっとした高台を通り過ぎると、そのまま行き止まりに。
・・・動画見た方がわかりやすそうです^^;
田原山城【20】
【20】Google Mapが示す場所 上に戻る

今度はGoogle Mapで田原山城のアイコンがある場所へ。
さっきしっかりした遺構を見たので、こちらは期待せず。
それでも自分の目で確認しないことには気が済みません。
もしかしたらこっちにも!なんてあり得なくはないので。
けっこうしっかり登山させられましたが・・・
こちらはただの自然地形でした。
いい加減なアイコン置かないでね、知ったかサン(# ゚Д゚)


◆歴史◆

田原氏最初の城とされます

1213年、大友能直の第12子・泰広が田原別符の地頭となりました。
某大聖典では「12男」と書かれています。
当時の名乗りは「豊前六郎」です。
12「子」と12「男」ではだいぶ意味が違いますよね?
領地の地名から、田原泰広と改名。
後に大友家中最大勢力を誇る田原家の祖となりました。
この時に築いたのが田原山城とされます。
ただ、史料上での記載は「沓掛に」とあり、混乱を招きます。
田原山城があるのが大字大田沓掛字田原山
沓掛城があるのは大字大田沓掛字城山
・・・小字でもややこしいw
田原泰広は文永の役に従軍するなど活躍。
2代めの田原基直も弘安の役に従軍し功を挙げました。
田原基直の嫡男・田原盛直は若くして戦死。
この時に田原盛直の子・田原直平はまだ幼少でした。
そのため弟の田原直貞が3代めとなります。
田原直平は別家を興し、沓掛城へ移りました。
田原直貞は観応の擾乱で足利尊氏方として活動。
長年の功により、国東郷を与えられました。
そして4代めの田原貞広は飯塚城を築城。
田原宗家は以後、飯塚城を本拠としました。
沓掛田原氏は、悪党化し衰退したと伝わります。
田原山城も拠点として利用したのでしょうか・・・


所在地:大分県杵築市大田沓掛 GPS軌跡ダウンロードページ
大分県の城跡/なぽの城跡巡りを表示

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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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