fc2ブログ

吉弘城/大分県国東市

吉弘城は、吉弘氏初期の本拠地でした。
訪問日は2022年12月31日です。

吉弘城【写真位置】 大きな地図を表示

写真へジャンプ
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10

城は「吉広城」とも表記されます。
吉弘氏初代・吉弘正賢により築かれました。
鎌倉時代末から室町時代始めの人物です。
麓には吉弘楽で有名な楽庭八幡社があります。
ほぼ単郭の小さな山城で、横堀で囲まれています。
吉弘城【1】
【1】案内 上に戻る

城跡までは、北の県道から案内があります。
この案内を見つければ、迷う心配はありません。
吉弘城【2】
【2】駐車場 上に戻る

西側の林道から脇道に入り、駐車場に至ります。
これだけ広い平地があるという事は、やっちまった?
この奥にある主郭よりも、駐車場の方が広いです。
そういう目で見ると、駐車所の周りもよく見ておけば。。。
というのは、一歩引いた目でないと思いつきません。
当日は「便利だ!」としか思いませんでしたので(汗)
吉弘城【3】
【3】入口 上に戻る

城跡への入口です。
本当は裏側のはずですが。
手前に特徴的な生垣があります。
この生垣の裏に、小さな堀切があります。
何だか、色々な意味でやっちゃった感が漂います^^;
吉弘城【4】
【4】横堀 上に戻る

その堀切から左右に横堀が続きます。
まずは左側から。
堀というには浅い気もしますが・・・
帯曲輪というには狭過ぎます。
どちらかと言えば、横堀な気がします。
吉弘城【5】
【5】奥の方 上に戻る

横堀といえば、一周するのが私の流儀。
扱いが雑な所が多いので、そのまま藪掻きとなるのが常です。
吉弘城の横堀はというと、だんだん細くなります。
そして、裏に着く前に無くなります。
無理やり歩いた跡がありますが・・・
私はそこまではしません(`・ω・´)
吉弘城【6】
【6】反対側の横堀 上に戻る

正面に戻り、こんどは反対側へ。
一周するのが私の・・・ですからネ!
こちら側も綺麗に残っています。
吉弘城【7】
【7】こっちがわの奥 上に戻る

結末は知ってるものの、行ける所まで行きます。
行ける所まで、というのがココでした。
堀はまだ奥へと続いています。
でも、ミッシリと藪で覆われています。
まだ見ぬ堀が続くなら潜りますが・・・
結末を知っているので、ここまでで引き返しました。
吉弘城【8】
【8】上から見たさっきの所 上に戻る

今度は一段上がり、外周に沿って歩きました。
それで上から見たさっきの行き止まりです。
見る事の出来なかった先の形くらいわかると思いましたが・・・
堀の形もわからぬ程、草が覆い尽くしています。
潜って行かなくてヨカッタ
吉弘城【9】
【9】外周 上に戻る

主郭はこんもりと盛り上がっています。
その外周だけこんな感じで平らになっています。
城の曲輪といえば平らなのが普通です。
平らじゃない吉弘城に、建物があったのか?です。
吉弘城【10】
【10】城址碑 上に戻る

主郭の一番高い所に城址碑があります。
ココのも一点モノですヾ(*´∀`*)ノ
写真でもわかりますが、全く平らではありません。
吉弘氏は100年程ココを本拠としました。
特に要害性があるとも思えず。
南北朝時代のお城だからなのかもしれませんが。


◆歴史◆

吉弘氏初期の居城でした

吉弘氏は、田原直貞の次男・正賢を祖とします。
その吉弘正賢により建武年間(1333~1338年の間)に築かれました。
吉弘正賢は父・田原直貞(正曇)に従い各地を転戦。
筑後にも領地を与えられるなど活躍しました。

姫嶽合戦以後、都甲地区に移りました

姫嶽合戦は1431年、大友持直が討伐された戦です。
吉弘直意は大友持直の偏諱を受け、従っていたと思われます。
一方、子の吉弘綱重は1437年には都甲地区に入部しました。
父とは逆に、大友親綱に従っていたようです。
都甲地区は六郷山の総本山・長安寺のある場所です。
「六郷」は国東半島にある6つの郷を指します。
姫嶽合戦以前は、宇佐一族の都甲氏が支配していました。
都甲氏は領地を没収され、代わって吉弘氏が入ったようです。
吉弘綱重の男子・円仲が六郷山執行に就任。
六郷山執行は、在地武士に対して軍事指揮権を持っていました。
大友親綱は、国東半島の掌握を狙ったようです。
吉弘氏は次第に都甲地区に移り、筧城・屋山城を築きます。
吉弘城の麓には菩提寺の永泰寺があります。
ここにある吉弘氏歴代の墓は、吉弘綱重の孫までです。


所在地:大分県国東市武蔵町吉広 GPS軌跡ダウンロードページ
大分県の城跡/なぽの城跡巡りを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR