2023/02/19
蕪山城/大分県日田市
蕪山城は、日田八奉行・石松氏の城でした。
訪問日は2022年12月30日です。
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蕪山城は、蕪谷川沿いの丘陵上にありました。
日田八奉行・石松氏の城のため、石松城とも呼ばれます。
城域は南北に長く、南麓から尾根に沿って登城します。
主郭は土塁と横堀に囲まれています。
北側はゴルフ場開発に伴って消滅しています。 |
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【1】登城口にある案内 上に戻る
南麓の登城口にある案内です。
ここから城内へ道が通じています。 |
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【2】駐車出来ます 上に戻る
登城口の前は路肩が広く、車を停められます^^ |
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【3】道沿いの土盛り 上に戻る
登城口からは道沿いに土が盛られています。
はじめは右側で、暫く登ると左側になります。
だいぶ登ると、土盛りが段になります。
曲輪のようになっていて、城跡に着いたのかと錯覚します。
知らなければ、勘違いしたまま帰ったかもしれません。 |
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【4】掘られた道 上に戻る
しかし、奥へ進むと山中に通じる道が。
わざわざ掘られた道が続きます。
この道を見て城キチセンサーが反応。
奥に何があるのか確かめねばと進みます。 |
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すると、奥に白い板が見えました。
期待させておいて「山火事注意」だとガッカリですが・・・
ココの城についての説明板でした。
しかも、縄張図付きの超豪華なヤツです♪
事前のリサーチではこの説明板は見つからず。
説明板の日付は令和3年1月でした。
まだ新しいデスヾ(*´∀`*)ノ |
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【6】横堀 上に戻る
説明板は主郭の虎口にあります。
その目の前には、土橋付の横堀が横たわっています。
まずは右側♪ |
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【7】横堀 上に戻る
そして左側も♪
尾根を横一文字にぶった斬っています。
本当はもっとずっと深かったのかもしれませんが。 |
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【8】土塁 上に戻る
主郭はこんな感じの土塁で囲まれています。
往時はこの上に柵か塀があったのかもですが。 |
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【9】主郭を囲む横堀 上に戻る
主郭は西側の造りが凝っています。
土塁は高く、堀は深くなっています。 |
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【10】虎口 上に戻る
造りが凝っていのは、虎口があるからのようです。
パッと見る細い堀切のように見えますが・・・
西側の虎口を上から見るとこんな感じです。
深い横堀から、真っすぐ主郭に入ってきます。 |
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【11】虎口 上に戻る
内側から見るとこんな感じです。
南側の虎口は、真正面から直角です。
でも、ここのは斜めに真っすぐです。
もしかしたら隠し虎口だったのかも。
寄手を正面の虎口に釘付けにして、ここから奇襲!
・・・なんて、妄想が止まりません^^;iv> |
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【12】土塁 上に戻る
土塁は続くよ、どこまでも♪
ここは歩きやすいので、足取りも軽いです♪ |
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【13】北東端の土塁 上に戻る
時計回りに外周を辿り北東端へ。
ここには虎口と堀切がある筈ですから♪
上から見ると、土塁が美しいカーブを描いています^^ |
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【14】北東側の堀切 上に戻る
北東端にある堀切です。
堀切、だと思います。
南側の横堀より浅いですが・・・
虎口もちょっと不明瞭だったかもしれません。 |
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【15】曲輪2 上に戻る
帰りに見た主郭南側の平坦地です。
説明板の図で「曲輪2」と書かれている場所です。
実は取り敢えず撮りだったのですが・・・
城跡でも遺構だったり遺構じゃなかったり。
まだまだ私もヒヨッコだという事デスネ! |
◆歴史◆
大蔵一族・石松氏の城でした
石松氏は、大蔵氏の一族です。
色々ググってみましたが、それ以外あまり出ず。
詳しいことはよくわからず^^;
ネットで出て来たのは
・石松氏は日田永徳流
・石松姓の起源の1つ
・日田郡老、のち日田八奉行
といった事だけです。
日田永徳は、大蔵姓日田氏が滅びる前の当主です。
日田永徳の子が没し、孫と次男が争って滅びました。
石松氏の祖先は、彼らの兄弟だったのかもしれません。
所在地:大分県日田市西有田 GPS軌跡ダウンロードページ
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