2023/01/22
伐株城/大分県玖珠町
伐株城は、とても目立つ山にあった城です。
訪問日は2022年12月29日です。
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別名は玖珠城、高勝寺城とも呼ばれます。
遠目には見た目通り、切株のように見える山にあります。
由来は超巨大クスノキの切株がこの山になったというもの。
神話の世界はとてもスケールがデカイです。
山上は広く平らで、土塁の区画が点在しています。
曲輪の配置としては、かなり不自然です。
そのため、玖珠郡衆による陣城だと考えられています。
2022年7月、西側斜面に新たな遺構が見つかったらしいですが・・・
これを知ったのがついさっき。
ドローンによるレーザー測量で見つけたそうです。
まだ日も浅いので、笹薮に埋もれているもしれません。 |
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【1】駐車場 上に戻る
伐株山は、案内がある山です。
普段から人が集まるようで、駐車場があります。
車道があるので、歩いて来ませんよね?
反対側には登山道もあるようですが。
でも、城キチはそんな面倒な事は致しません(`・ω・´) |
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【2】城内の様子 上に戻る
到着早々のファーストインプレッション!
想像以上に広く、遊んでる人も多いです。
ここで空を飛べたらと思ってましたが・・・
ちょっと無理でした^^;
というより、私とは違う翼をお持ちの方々が。
ますます私が飛んではイケナイ場所なのでした。 |
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【第1~第5土塁】 上に戻る
まずは主要部と思しき広い所から。
かなり平らですが、全面水平という訳でもなし。
要所要所に第○土塁という名前の曲輪があります。 |
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【3】第3土塁 上に戻る
まずは駐車場脇のココから。
手前に土橋があり、土塁に囲まれた空間があります。
もしかしたら横堀に囲まれていたのだろうか・・・
これだけ開発されていると、土塁があるだけでも奇跡ですが。
曲輪なだけあり、キチンと削平されているようです。 |
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【4】第3土塁 上に戻る
土塁という名前の通り、土塁に囲まれています。
「○の丸」と呼ばない城跡も珍しいですが。
そう呼ぶ前に、地元で土塁と呼んだのでしょうか。
復元モノではなく、往時そのままのようです。
そして、草が刈られていてとても見やすいですヾ(*´∀`*)ノ |
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【5】第1土塁 上に戻る
続いて第1土塁です。
番号の付け方が?です。
一番高いのは第7で、第6、第3も第1より高いです。
位置的にも端にあるわけでもなし。
どういう順番なのかが気になります。
ココはパラグライダーの発着場になっています。 |
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【6】第2土塁 上に戻る
第1土塁に隣接して第2土塁があります。
ココだけで撮っても良かったのですが。
先端まで入れて撮ると、ちょっと斜めですね。 |
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【7】畝状竪堀 上に戻る
そんな第2土塁を一周していたら外側が何か変?
10メートル程だけ草が刈られています。
その地面が何だか凸凹で・・・
って、畝状竪堀でした。
こんだけ山上が平らだと意味無い気もしますが。
周りはススキが深いので、刈ってないと見えませんネ♪ |
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【8】第2土塁 上に戻る
第2土塁は空飛ぶ人も居ないので、よく残っています。
土塁に生えている凸凹も綺麗に残っています。
何の凸凹なのかは?ですが(*´ω`*) |
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【9】テラドコロ 上に戻る
先端まで下りた所にも土塁があります。
説明板の縄張図でテラドコロと記された場所です。
なぜここだけ土塁じゃないんだって思いますよね?
その答えは説明板に書かれています。
伐株山には、城よりも先にお寺がありました。
それがココだという事です。 |
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【10】テラドコロ 上に戻る
そういえばココだけよそとは雰囲気が違います。
土塁で囲んでる範囲も狭いですし。
でもこれ、土塁というより基礎でしょうか。
こんな狭くては、区画する意味がありませんからね。
まぁお寺なので、どうでもいいですが^^; |
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【11】テラドコロから見た城内 上に戻る
先端まで来たので振り返ってみました。
お約束デスね!
上から見ると平らですが、下から見ると超ナナメ。
トリックアートのネタバラシを見るような気分です。 |
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先端まで見て来たので今度は反対側へ。
駐車場脇の四阿前に、立派な説明板があります。
これが無い所ばかり回ってると、神様に出会えた気分になります。
背後に見える高い場所が第4土塁です。 |
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【13】第4土塁 上に戻る
ここも低い土塁で囲まれています。
中には、石仏と何かの石碑があります。
一応見てはいますが、記憶にはございません。
城についての記述が無かったものと思われます。 |
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【14】第4土塁と第5土塁(奥) 上に戻る
第4土塁は第1~第3土塁よりも少し高い所にあります。
これらは北にあり、東の少し下には第5土塁があります。
何となくですが、これらをまとめる位置に見えます。 |
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【15】第4土塁 上に戻る
第4土塁も、土塁が綺麗に残っています^^ |
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【16】第5土塁 上に戻る
第4土塁の東下にある第5土塁です。
大まかには平らな場所に区画されています。
周りに堀は無く、低い土塁で囲んだだけです。 |
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【17】道 上に戻る
北側をひと通り見終えたので南へ。
第6、第7土塁と堀切を見に行きます♪ |
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【18】第6土塁(手前)と第7土塁(奥) 上に戻る
第4土塁のすぐ南側です。
手前側の草むらが第6土塁、奥の高台が第7土塁です。
道は車が通れるよう馴らされていますが・・・
それぞれの土塁を崩さず脇を通っています。
恐らくですが、往時も道だったようです。 |
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【19】第6土塁 上に戻る
第6土塁も低い土塁で囲まれています。
南端だけは草が刈られています。
それ以外は凄まじいススキで覆われています。 |
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【20】横堀 上に戻る
第6土塁から道を挟んだ所に横堀がある、はずです。
縄張図にはそのように描かれています。
ということで、横堀デス。
こちらは濃ゆい笹の嵐で、何にも見えません。 |
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【21】第7土塁 上に戻る
第7土塁には電波施設があります。
一番高く見晴らしがいいからですね。
城はここから始まったと考えられています。 |
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【22】虎口 上に戻る
第7土塁は中は見られず。
外側を囲む土塁は何となくわかりました。
電波施設脇を通り奥へ進むと、横一線の土の壁。
そこを通る1本の道があります。
針の耳から城内に通じる道。
ここが城の内外を隔てる場所のようです。 |
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【23】下から見た虎口 上に戻る
それまで平らだった地形が急斜面に。
大きな岩がゴロゴロ転がっています。
虎口の外は、一気に景色が険しくなります。 |
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【24】堀切 上に戻る
そんな急斜面を少し下った所に堀切があります。
ここだけ草が刈られており、とても見やすくなっています。 |
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【25】針の耳・鎖場 上に戻る
あとは針の耳の険しさを体験するのみ。
でもキツイのは嫌だから、鎖場は見るだけ。
そんな感じで下りますが、中々現れず。
早くしないとどんどん下ってしまう・・・
見たいんだか見たくないんだかわからぬまま下ります。
そしてやっと現れた鎖場。
かなり下った所にあります。
あとちょっと下ると、登って来た車道に出ます。 |
◆歴史◆
高勝寺がありました
山上には元々、高勝寺がありました。
何宗でいつ建てられたのかは?です。
山岳寺院ということで、修験の場だったようです。
南北朝時代、高勝寺の僧兵は南朝に味方しました。
そのため1336年、北朝方の一色頼行に攻められました。
8カ月に及ぶ激戦の末に落城しています。
その一色頼行は翌年、南朝方との戦で戦死しています。
1586年、島津軍に攻められました
戦国時代は、大友家の拠点でした。
所在地:大分県玖珠郡玖珠町山田 GPS軌跡ダウンロードページ
玖珠郡一帯を見渡せる要衝だったからです。
耳川の戦で大敗後、大友家は衰退。
島津家は大友家を滅ぼそうと北上します。
大友家臣の玖珠郡衆は、伐株城に籠り抵抗します。
しかし、内通者が火を放ったため落城します。
所在地:大分県玖珠郡玖珠町山田 GPS軌跡ダウンロードページ
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