2023/01/21
松木城/大分県九重町
松木城は、龍神の滝の上にありました。
訪問日は2022年12月29日です。
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城は龍神の滝の上にありました。
車は龍門の滝の駐車場に停められます。
両者は別々の滝です。
龍門の滝は、駐車場の奥へ進んだ所にあります。
龍神の滝は、駐車場の脇にあるようです。
城跡へはお店の列の奥にある旅館裏から登れます。
山道はお堂まで続き、以後は道がありません。
とは言え藪は無く、感覚的にこっちかな?で登れます。
城は単郭で、周囲に畝状竪堀、奥に二重堀切があります。 |
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【1】駐車場 上に戻る
龍門の滝の駐車場を利用出来ます。
今回も貸し切りデス!
瀧は滑り台のようになっており、夏は賑わうようです。
そのせいか、お土産屋さんは1軒も開いてませんでした。 |
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龍神の滝の看板 上に戻る
山側の岩壁に龍神の滝の看板があります。
しかし、水は流れていません。
ググって出て来るのは龍門の滝ばかり。
ヒットした写真は1枚だけです。
その写真では、水がしみ出ただけの感じです。
龍に見立てたのは、水流よりも岩肌でしょうか。 |
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【2】山道の入口 上に戻る
城跡へは、旅館裏の山道から登れます。 |
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【3】お堂 上に戻る
山道はグルっと右へ旋回。
その先にあるのがこのお堂です。
背後は垂直な岩です。
道があるのはここまでです。 |
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【4】細長い傾斜 上に戻る
お堂の右脇を少しよじ登ります。
すると、下草の無い谷底が一直線。
平らなら馬場かもですが、上り坂です。
ここを真っすぐ登ります。 |
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【5】帯状に散乱する石 上に戻る
この谷底っぽい所で、石が帯状に転がっています。
あたかも石垣が崩れたかのように見えます。
猪鹿垣かもですが。 |
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【6】登り切ったら右へ 上に戻る
真っすぐ登り続けると、右に上がる尾根に出ます。
回り右をしたのが上の写真です。
真ん中がぽっこり高くなってますよね?
ココからひたすら高い方を目指して登ります。 |
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【7】横堀 上に戻る
登り続けると、左右に横切る堀にぶつかります。
かなり浅いですが、土塁もあります。
ようやく城域突入ですヾ(*´∀`*)ノ |
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【8】横堀 上に戻る
堀の右の端です。
堀底に沿って進んでみました。 |
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【9】石垣 上に戻る
虎口っぽい所の角に、石が並んでいました。
これ石垣ですよね? |
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【10】石垣 上に戻る
堀底を進んでいると、側面にボチボチ現れます^^ |
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【11】平坦です 上に戻る
曲輪は平坦デス
・・・としか書きようが無いんですよね。
写真撮ってもただの雑木林だしw |
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【12】土塁 上に戻る
ただ、松木城は曲輪内を土塁で区画しています。
高さは1メートル程です。
軌跡は円くなっていますが・・・
土塁はカギ形です。
往時がどういう感じだったのか、ちょっと想像つきません。 |
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【13】土塁 上に戻る
段差ではなく土塁だとわかりそうな写真です。
倒れた木が、土塁に寄りかかっています。
向こう側が高ければ、真横か傾き方が反対になりますよね! |
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【14】犬走 上に戻る
ココには畝状竪堀群がある!
事前情報から外周も注目しました。
曲輪の西側はこんな感じになっています。
畝状竪堀があるときの構造ですネ^^ |
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【15】畝状竪堀 上に戻る
そして、外側の斜面です。
何となくウネウネになってるのがわかりますでしょうか?
現地では、竪堀が苦手な私でもわかりましたが・・・
写真って難しいですね^^; |
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【16】竪堀?虎口? 上に戻る
そしてココのクライマックスへ。
一番奥には二重の堀切があるらすぃ!
そちらへ向かうと、かなり特徴的な場所があります。
二重堀切の手前の尾根が、竪堀っぽくなっています。
真ん中が竪堀になっているような感じです。
両脇が土塁なのかどうなのか。
その端には、石が並べられています。 |
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【17】二重堀切 上に戻る
真っすぐ進んだ所に二重堀切があります。
堀切というか土塁なのか。
とにかく、尾根から城内への進入を阻む感じです。 |
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【18】石垣 上に戻る
ここでも石垣が見られます。
積み方が若干農家っぽく感じられなくもないですが・・・
竪堀っぽい尾根はガッツリ斜め。
畑だったかと言えば、明確にNoです^^ |
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【19】堀切 上に戻る
真横から見れば堀切ですね^^
城内の石垣の無い場所には石はあまり見られません。
ここでは石が横一線に2列転がっています。
もしかしたら、両側が石垣だったのかもしれません。 |
◆歴史◆
大友家臣・松木氏の城でした
築城年代は不明です。
松木氏は平安時代から続く当地の土豪です。
城は少なくとも1517年と1586年の2度攻められたそうです。
1517年は朽網親満の乱です。
ググったら、確かに「松木山城」が登場します。
この時は朽網氏方で、大友軍に攻められたようです。
1586年は、島津軍による侵攻です。
松木氏は抵抗し、落城しています。
その後、松木氏は本村で庄屋になっています。
江戸時代は隠れキリシタンだったようです。
そのお墓が松木氏の墓地から見つかっています。
恐らくそのためでしょうが、1776年に取り潰されています。
所在地:大分県玖珠郡九重町松木 GPS軌跡ダウンロードページ
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