2023/01/18
岐部城/大分県九重町
岐部城は、コンパクトながら見応え十分です。
訪問日は2022年12月29日です。
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岐部城は、単郭の小さな山城です。
しかし、三重堀切や大土塁、畝状竪堀など見所満載。
「九州の杉山城」と言ったら言い過ぎかもですが。
標高は低く登りやすいです。
しかし、周りの道は細く、登城口がわかりにくいです。 |
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【1】入口 上に戻る
岐部城の入口です。
ここから山に入ります。 |
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【2】入口を進むと 上に戻る
この光景、直進一択に見えますよね?
どう見てもそうなのです。
私もまっすぐ進みました。
しかし、すぐに行き止まりになります。
平坦地なので曲輪っぽいのですが。
あれ?あれ?となりました。 |
【動画】登城口 上に戻る
どうやって城跡へ行くんだ?と思っていたら見つけました。
得意の「下の方に山道見えた!」発動です。
いつもは山中を彷徨って見つけるのですが。
写真だとわかりにくいので動画を撮りました。
とても短いので、是非ご覧下さい^^ |
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【3】登城路 上に戻る
笹藪を抜けた先は、掘られた道です。
入口からは想像もつかない程整備されています。
もしかしたら隠していたのでは?
それも、城の仕掛けとしてはアリですが。 |
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【4】搦手陣跡 上に戻る
山道を登り切ると、平坦地に出ます。
土塁っぽい高まりはあります。
が、虎口や堀などはありません。 |
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【5】三重堀切 上に戻る
尾根上を進むと、見えてきました!
ボコっ、ボコっと地面が凹んでいます。
いつもながら写真だとわかりにくいですが・・・ |
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【6】1つめの堀切 上に戻る
目の前までくれば、私のウデでも堀切に見えます^^
横一文字に尾根を断ち切っています。 |
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【7】2つめの堀切 上に戻る
次の堀切は同じ位、だった気が^^; |
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【8】3つめの堀切 上に戻る
そして3つめの堀切は、超デカイです。
深さもありますが、奥側が土の壁です。
テンションアゲアゲです♪ |
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【9】土塁 上に戻る
堀切の左端から城内へ。
今思えば虎口だった、かも?
曲輪に入ると、左側の土塁が目につきます。 |
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【10】大土塁 上に戻る
それより、振り返ると高い土の壁。
3つめの堀切脇にある土塁です。
高さは3メートル程あります。
曲輪内では、とても存在感があります。 |
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【11】左側の土塁 上に戻る
曲輪に上がって左側に見えた土塁です。
奥まで続いています。 |
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【12】畝状竪堀 上に戻る
先端から一段下に下りると、斜面が凸凹です。
苦手な私でもわかる畝状竪堀です。
ぼっこぼこです♪ |
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【13】畝状竪堀 上に戻る
1枚だけでは心配なのでもう1枚。 |
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【14】段曲輪 上に戻る
そして、進めるだけ進んだ右の先端です。
あからさまに切岸で断ち切り、その下に小さな平坦面。
これは下りろということ?
こういうタイミングで黒なぽが背中を押します。
いきなりじゃなくて、ひと声合図が欲しいデス^^; |
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【15】先端部 上に戻る
虎口だったか堀切だったか、忘れてしまいました(大汗;)
軌跡見た感じだと虎口っぽいですが・・・
忘れっぽいのは素敵な事らしいのですが。
保険で動画も撮ろうかと、ちょっと考えてしまうのでした。 |
◆歴史◆
大友家臣・岐部氏の城でした
岐部氏は、国東半島伊美郡浦辺にいた紀氏を祖とすると伝わります。
「岐部城」は国東市にもあって、ココと同族の城のようです。
その岐部氏がいつココに来て城を築いたのかはわからず。
1586年、落城しました
島津軍に攻められ落城したと伝わります。
この頃の島津家は、豊臣秀吉と張り合っていました。
豊臣軍が来る前に九州を統一しようという時期でした。
攻められた大友家は島津方に寝返る家臣が多かったのですが・・・
岐部氏は最後まで城を守ろうと戦ったようですね!
所在地:大分県玖珠郡九重町町田 GPS軌跡ダウンロードページ
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