2022/11/05
鬼ヶ城/京都府福知山市
鬼ヶ城は、登山道が整備された山城です。
訪問日は2022年8月2日です。
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鬼ヶ城は、本格的な山登りをする山城です。
そのため、夏休みの訪問リストでは予備でした。
ここを訪ねたのは、日程が順調に進んだためです。
悪天候に備えて、予定はかなり余裕を持たせていますので。
それを差し引いても、真夏に訪ねても大丈夫な山城でした。
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【1】登城口
登城口は、東北東にある観音寺です。
そこかしこに案内のある有名なお寺です。
正面に見える山門の右手前に駐車場があります。
登山者用なので、気兼ねなく停められます。
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【2】登山口
登山道もそこかしこに案内があります。
迷子スキル青の私でも、迷わず進めます^^
※スキル青:上限に達した状態のことです
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鬼ヶ城は、10~12の主郭を中心とします。
登城は南側の4から登山道を登ります。
地理院の地図で描かれている南東の道は気付かず。
消滅している道かもしれません。
4と5に虎口があり、5の内側から城跡らしくなります。
7~9は腰曲輪が連なり、虎口を経て主郭に至ります。
主郭は東西に細長く、中央に山頂の標示があります。
北北西と北東の尾根には、それぞれ段曲輪が連なります。
北北西の尾根へは、9から主郭の南側へ回り込みます。
14の腰曲輪を経て尾根が始まり、20の方向に続きます。
北東の尾根は、21から斜面沿いに進みます。
明確な道は無く、歩きやすい所を進みます。
22でようやく平坦面が現れ、23の方向に段が連なります。 |
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【4】最初の虎口 上に戻る
杉林の段々からは、普通の山道でした。
お城の何かかと思って勝手にワクワクしてましたが。
しばらく山道が続き、「鬼ヶ城まで○百メートル」にげんなり。
まだかまだかと思っていたここで「ん!」となります。
城キチならすぐに気が付く虎口です。
いよいよ城域に入ったと、テンションが上がりました。
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【5】2つ目の虎口 上に戻る
最初の虎口から間もなく、次の虎口が現れます。
今度のは高さも厚さもだいぶ違います。
しかも、左側には城キチの大好物が!
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【6】虎口の石垣 上に戻る
虎口の内側に、一部石垣が残っています。
山城で期待していなかった分、喜びも弾けますヾ(*´∀`*)ノ
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【7】虎口の内側 上に戻る
2つ目の虎口からは、城跡らしくなります。
入ってすぐの所に、小さな虎口があります。
ここは、二重虎口なんですね^^
奥には小さく連なる曲輪が見えます。
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【8】虎口から見上げる段曲輪 上に戻る
山上に向かって連なる曲輪です。
上がる道は、真っすぐではなく回り込んでいます。
遠回りさせて、上から狙い撃ちですネ!
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【9】腰曲輪にある四阿 上に戻る
段曲輪を一段一段上がると、四阿が現れます。
こういうのって普通は主郭にあるもんですが・・・
すぐ上は木々が無く、空が見えています。
ということは、この上がゴール!
その前にひと休みってコトですね^^
・・・真意の程は定かではありませんw
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【10】石垣 上に戻る
四阿の背後がちょっと気になったので近付いてみました。
遠くから感じた気配は石垣でした^^
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【11】主郭 上に戻る
空の見える所がココです。
木々が伐採され、真ん中が開けています。
おっちゃんのアタマ・・・
なんて想像しちゃいます^^;
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【12】山頂の標示 上に戻る
木々も無い山頂にコレがあります。
山キチさん達へのご褒美ですね!
「城」の字も入ってるので、城址碑代わりでもあります^^
ここに書かれてる標高は544m。
GPSの軌跡に記録されてる標高が552m。
一般人が使えるGPSでは普通の誤差です^^ |
【動画】山頂を一周
空が開けていて風が無いので、絶好の飛行チャンス!
ということで、さっそく相棒の出番です。
最近どんな風に撮ろうかと思案しますが・・・
結局いつもと同じになってしまいます^^;
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【13】北北西の尾根へ 上に戻る
北北西の尾根へ向かうには、主郭の南側から回り込みます。
そのためにはここを通らなければなりません。
これが道に見える時点で、ちょっとヤバイです。
急斜面にある幅の狭い踏み跡がそのルートです。
ただでさえ危なっかしいのですが・・・
右側に茂っている草にはトゲがあります。
ここを通るコツは、上から草を踏みつける感じです。
払いのけようとすると痛いですし、気にし過ぎると転がり落ちます。
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【14】南西の腰曲輪 上に戻る
急斜面の狭い道の先に、腰曲輪があります。
ここから主郭上までは3メートル程です。
ズルをすれば、主郭から直に下りるという手もあります。
まぁでも、粋な城キチは城の構造も理解せねば!
・・・と、ヒヨッコながら思うのであります。
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【15】北北西の尾根 上に戻る
南西の腰曲輪から先は、スムーズに進めます。
視線の先に尾根へ下る踏み跡が見えます。
尾根には、付け根からこんな感じで段が続きます。
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【16】北北西の尾根の曲輪 上に戻る
少し下った所からは、細長い曲輪となります。
幅は狭いですが、かなり安定しています。
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【17】北北西の尾根の石垣 上に戻る
長い曲輪の先端は段になっています。
まっすぐは下りられず、右脇へ避ける感じで下ります。
曲輪の脇には、石垣があります^^
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【18】北北西の尾根の切岸 上に戻る
1つ下の段に下りて振り返った所です。
こうして見ると、回り込まなくても下りられたような・・・
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【19】北北西の尾根の曲輪 上に戻る
先程の一段下も、かなり細長い曲輪です。
それぞれの段は、面積だけなら主郭より広そうです。
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【20】北北西の尾根にある土橋 上に戻る
細長い曲輪の先端は、こんな感じになっています。
両脇が凹んでいる土橋です。
どうやらここが迎撃ポイントのようです。
ただでさえ狭い尾根を、ここだけ狭くしています。
登って来た敵を1人ずつ狙い撃ちですネ!
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【21】北東の尾根へ 上に戻る
主郭へ戻り、今度は北東の尾根へ。
こちらにも尾根に段曲輪が連なっています。
とは言え、入口はこんな感じ。
パッと見、こちらに続きがあるようには見えません。
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【22】北東の尾根の段曲輪 上に戻る
それでも、斜面のうっすら踏み跡を辿ると見えて来ます。
ここから先は、平坦面が続きます。
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【23】北東の尾根の段曲輪 上に戻る
地図で見ると、細長い尾根が長く続いています。
この尾根に、先程と同じような曲輪が連なります。
ただ、全部見ようと思うとキリがありません。
段曲輪の存在だけ確認して、Uターンしました。
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◆歴史◆
築城時期・城主など不詳です
いつ誰が築き、城主が誰だったのかが?です。
某大聖典でも、特定の誰かの持ち城とは記していません。
※某大聖典=日本城郭大系デス
某大聖典に戻ると、明智光秀に抵抗する土豪が籠ったようです。
1570年代、明智軍が丹波・丹後に侵攻しました。
この時、周辺の土豪が鬼ヶ城に拠って抵抗しました。
載っている氏の地名をググると、あちこち分散しています。
彼らは以後も鬼ヶ城に拠り、麓で狼藉を働いたそうです。
そんな訴えに応じて1582年、四方より攻めて陥落させています。
よくわからない時は、付近の神社仏閣をググります。
麓に丁度良さげな観音寺があります。
観音寺は鎌倉時代、行基により開基されたと伝わります。
この地域では、戦国時代に焼失した寺社がかなり多いです。
それで記録の無い所が多いのですが、観音寺には記録が残っています。
18世紀に記されたものだそうですが。
ここでも、鬼ヶ城の城主についての記述が見つからず。
「ググっても」ですが。
田辺の京極氏や牧野氏は、観音寺に寄進するなど大事にしました。
天正の頃からは、当主が代替わりすると参詣したそうです。
その際に鬼ヶ城に登るのが恒例だったとか。
土豪を追い払ってからは、城として機能はしてなさそうです。
所在地:京都府福知山市大江町南山 GPS軌跡ダウンロードページ
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