2022/11/03
北有路城/京都府福知山市
北有路城は、光明寺背後にあった山城です。
訪問日は2022年8月2日です。
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登城路はA~Cと複数あります。
クルマで訪ねるならばCとなります。
Aが一番近く見えますが、駐車場所がありません。
1本道はすぐに行き止まり、歩く道になります。
Bは車でも進めますが、かなり狭いです。
光明寺の前で鋭角に曲がり、ちょっとキツイです。
Cのルートなら、無理なく車で走れます。
地図には載っていませんが、ピンクの軌跡の道があります。
道は墓地に至り、車を停められます。 |
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【1】東側の登城口 上に戻る
Cのルートの入口がここです。
AやBからも光明寺に行けますが、案内はココだけです。
地元のお寺も、ここを通るのを推奨してるんですね!
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【2】光明寺 上に戻る
麓にある光明寺です。
左の道がBのルートです。/div>
お寺の前には立派な石垣が巡ります。
上の石垣は野面積みで「もしや!」と感じます。
城の真下なので、ここも曲輪だったかもしれません。
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【3】駐車場のある墓地 上に戻る
車では、この墓地まで走れます。
ここからは山道を歩きます。
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墓地からは山道1本で、すぐに城跡に着きます。
手前の尾根には、段になった小さな曲輪が連なります。
少し大きめな腰曲輪の上に、展望台のある曲輪があります。
この曲輪が城内では最大です。
展望台脇に、愛宕神社の祠があります。
奥へ進むと、堀切が横一文字に分断しています。
その奥の一段高い所が主郭です。
北東側の尾根にも、段になった曲輪が連なっています。 |
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【4】尾根の段曲輪 上に戻る
墓地からは普通に山道です。
城跡に近づくと、尾根が段々になります。
この段の幅が、少しずつ広くなっていきます。
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【5】腰曲輪の土塁 上に戻る
上の方まで登ると、土塁のある曲輪が現れます。
城の入口に当たり、番所的な所だったのでしょうか。
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【6】展望台 上に戻る
道に戻ると、すぐ上に展望台が現れます。
ここが二郭のようです。
高い所は好きですが・・・
私はあまりこういうものには登りません。
どうせ木しか見えないでしょうからネw
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【7】展望台の裏 上に戻る
駆け出しの頃は展望台の所でUターンでした。/div>
でも、今は行ける所まで行きます。
展望台の裏は、こんな感じの平面が続きます。
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【8】堀切 上に戻る
さらに奥へ進むと、大きな堀切がありますヾ(*´∀`*)ノ
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【9】堀切前から見た展望台 上に戻る
堀切の手前から振り返った所です。
こうして見ると、かなり広いです。
展望台は、入口の端っこにあります。
城下方向を見るなら、そうなりますネ!
城主は由良川の水運に関係がありそうな感じ。
往時も物見櫓があったかもしれません。 |
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【10】堀切 上に戻る
堀底に下りて見ました。
堀切には色んな楽しみ方があると思いますが・・・
皆様はどんな楽しみ方をされるのでしょうか?
私は堀底を行ったり来たりするのが好きです。
なので、そこだけ軌跡がグチャグチャになりますw
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【11】堀切 上に戻る
堀底から見た主郭側です。
やっぱりこっちの方が高いデス^^
木々が少なく、夏でも見通しが良いです。
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【12】帯曲輪 上に戻る
主郭の周りはこんな感じです。
一段低い平坦地が囲んでいます。
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【13】土塁 上に戻る
主郭の周りは、複雑な形状の土塁が見られます。
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【14】北東尾根に続く段曲輪 上に戻る
北東側の尾根です。
大きな階段状の曲輪が見られます。
北有路城の正面はこっちだったのでしょうか?
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◆歴史◆
不詳です
城主は倉橋弥三、矢野五郎左衛門、山名与五郎など。
あちこちの記述をまとめると
・北有路の倉橋氏と南有路の矢野氏が争っていた
・両名とも天正の乱で山名氏に滅ぼされた
という感じです。
某大聖典には上原右衛門少輔も登場します。
推測ですが、倉橋氏の主でしょうか。
1568年に有路郷を安堵されています。
由良川は丹後・丹波随一の川で、水運が盛んでした。
有路はその拠点で、南北の利害係争地だったようです。
あちこちで「天正の乱」が登場します。
ググってもそういう名前の乱はヒットせず。
時期的には、織田軍が侵攻した時を指すようです。
倉橋氏と矢野氏を滅ぼしたのは山名氏ですが・・・
山名与五郎は、赤井氏に従っていたとされます。
赤井氏は織田軍に攻められた丹波の盟主です。
直下には、光明寺という立派なお寺があります。
何か歴史が伝わっていないかと思いましたが何も出ず。
織田軍が侵攻した際、寺社の多くが焼失したそうです。
この辺の歴史がわかりづらいのはそのせいかもです。
所在地:京都府福知山市大江町北有路 GPS軌跡ダウンロードページ
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