2022/10/28
出野城/京都府京丹波町
出野城は、山上の神社が城跡です。
訪問日は2022年8月2日です。
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出野城は、川沿いの独立丘陵上にありました。
城跡には出野八幡宮があり、地図では道が描かれています。
しかし、実際に訪ねてみるとクルマで登るのは無理です。
まぁでも、大した高さではないので歩いて登りましょう!
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【1】登城口 上に戻る
地図では山頂まで車道が描かれています。
しかし、その入口はこんな感じです。
写真を撮ってる時の背後は、民家の庭です。
なので、ここまでバックで来ないと左へ登れません。
もちろん帰りもバックです。
無理にクルマで登ろうとすると、脱輪またはこするリスク大です。
前の道の広い路肩に停めて歩くのが無難です。
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【2】一之鳥居 上に戻る
道は舗装されていますが、ご覧の急坂です。
傾斜は普通に山を直登するのと変わりません。
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【3】二之鳥居 上に戻る
道はやがて、二之鳥居に至ります。
地図ではこの上まで道が続いています。
でもこれ、クルマじゃ無理ですよねw
この段差は、神社のものではなさそうです。
今は石段ですが、虎口があったかもしれません。
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【4】境内 上に戻る
二之鳥居の先の坂を登り切ったら主郭です。
神社の建物って、お城っぽくてイイですね^^
建物の配置は、お城だった時と同じなのでしょうか。
平城跡では堀跡が道なので、そんな風に思えて来ます。
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【5】二之鳥居を振り返る 上に戻る
上から見た二之鳥居です。
鳥居の手前が踊り場のようになっています。
急坂を登って来る敵を迎え撃つのに良さげです。
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【6】帯曲輪 上に戻る
鳥居の右側には、細長い平坦地が続いています。
これ、帯曲輪ですね^^
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【7】境内の端 上に戻る
整った境内見ても面白くないですよね?
草木の刈られた境内の外側は雑木林です。
でも傾斜は無く、曲輪は境内よりずっと広かったようです。
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【8】段差 上に戻る
境内中央は、奥がこんな感じに高くなっています。
下の段が二郭、上の段が主郭なんてお城もあります。
ここはどうなんでしょうか?
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【9】境内の奥 上に戻る
境内の奥も雑木林ですが、平坦地が続きます。
けっこう広いお城だったんですね。
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【10】段々 上に戻る
奥の奥へ進むと、狭い段が続きます。
ここで撮った写真の半分は奥で撮りました。
でも、写真ではほぼただの藪w
うっすらとした溝が沢山あったような・・・
竪堀なのか、横堀なのか、帯曲輪なのか。
とまぁ、こんな感じでした^^; |
◆歴史◆
片山氏、出野氏の城でした。
築城年代は不明です。
城主はこの地域の領主・片山氏、出野氏です。
出野氏は片山氏の一族と考えられています。
片山氏は鎌倉時代、承久の乱での功で地頭となりました。
当地は和知荘と呼ばれ、元々は仁和寺領でした。
新補地頭となった片山平九郎右馬允が下地中分でその一部を領有。
戦国時代の和知荘は、和知三人衆が支配しました。
その中の出野勘九郎が城主だったようです。
1600年、落城しました
関ヶ原の戦で、出野甚九郎は東軍に属しました。
そのため、西軍の小野木重勝に攻められました。
小野木重勝は田辺城を降した後、出野城も攻めました。
出野城には出野勘九郎が100名程で籠城。
急斜面に濡れた竹の皮を敷き、小野木軍を苦しめました。
しかし、竹の皮が乾くと火をかけられ・・・
出野勘九郎は城と運命を共にしたと伝わります。
所在地:京都府船井郡京丹波町出野山根 GPS軌跡ダウンロードページ
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