2022/10/09
芥子谷城/京都府舞鶴市
芥子谷城も、遺構がわかりづらいです。
訪問日は2022年8月2日です。
![]() 別ウィンドウで表示 |
![]()
【1】城跡へ続く道
芥子谷城跡へは、麓の龍勝寺脇から車で登れます。
名前が長岡京市にあるお城と似てますが。
お城のあった山一帯は、このお寺の墓地となっています。
そのため、山道に沿ってお墓が続いています。
山頂に近づくと、若干道が荒れて来ます。
ゆとりをもってUターン出来る場所に車を停めました。
写真奥のヘアピンから先は未舗装です。 |
![]()
【2】主郭跡にある愛宕神社
車を降りてすぐですが、道端に短い石段があります。
その上にあるのが愛宕神社です。
私はヘソが曲がっているので回り込みましたが。
芥子谷城の主郭はココだったとされます。
境内は重機で掘られた感じに見えます。
周囲の土塁も、遺構という感じには見えません。 |
![]()
【3】愛宕神社の先
それでも奥に行けば何かあるかも?
そう思って進んでみました。
しかし、神社から先はご覧の通り。
真夏に突撃するような場所ではありません。
突撃したところで何も無い可能性大ですが。 |
◆歴史◆
不明です
こんな時は、近所の歴史を調べます。
すぐ南西の麓に、倉橋城がありました。
倉橋城は倉梯城とも表記されます。
1517年、丹後守護代・延永春信がここに籠城しています。
延永春信は若狭守護代・逸見国清ととも若狭へ侵攻。
武田元信を攻めますが、越前朝倉氏の援軍があり敗退。
若狭で敗れた延永春信は、倉橋城に籠城したものの陥落。
その後の消息がわからなくなっています。
若狭国は、元々は一色家が守護を務める国でした。
将軍様の気まぐれで、武田氏が丹後守護になった時期もあります。
こうなるとお互い、ジャイアン状態となります。
それが将軍様の狙いでもあるのですが。
所在地:京都府舞鶴市行永 GPSログダウンロードページ
京都府の城跡/なぽの城跡巡りを表示 |
コメント