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芥子谷城/京都府舞鶴市

芥子谷城も、遺構がわかりづらいです。
訪問日は2022年8月2日です。

芥子谷城【写真位置】
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芥子谷城【1】
【1】城跡へ続く道

芥子谷城跡へは、麓の龍勝寺脇から車で登れます。
名前が長岡京市にあるお城と似てますが。
お城のあった山一帯は、このお寺の墓地となっています。
そのため、山道に沿ってお墓が続いています。
山頂に近づくと、若干道が荒れて来ます。
ゆとりをもってUターン出来る場所に車を停めました。
写真奥のヘアピンから先は未舗装です。
芥子谷城【2】
【2】主郭跡にある愛宕神社

車を降りてすぐですが、道端に短い石段があります。
その上にあるのが愛宕神社です。
私はヘソが曲がっているので回り込みましたが。
芥子谷城の主郭はココだったとされます。
境内は重機で掘られた感じに見えます。
周囲の土塁も、遺構という感じには見えません。
芥子谷城【3】
【3】愛宕神社の先

それでも奥に行けば何かあるかも?
そう思って進んでみました。
しかし、神社から先はご覧の通り。
真夏に突撃するような場所ではありません。
突撃したところで何も無い可能性大ですが。


◆歴史◆

不明です

こんな時は、近所の歴史を調べます。
すぐ南西の麓に、倉橋城がありました。
倉橋城は倉梯城とも表記されます。
1517年、丹後守護代・延永春信がここに籠城しています。
延永春信は若狭守護代・逸見国清ととも若狭へ侵攻。
武田元信を攻めますが、越前朝倉氏の援軍があり敗退。
若狭で敗れた延永春信は、倉橋城に籠城したものの陥落。
その後の消息がわからなくなっています。
若狭国は、元々は一色家が守護を務める国でした。
将軍様の気まぐれで、武田氏が丹後守護になった時期もあります。
こうなるとお互い、ジャイアン状態となります。
それが将軍様の狙いでもあるのですが。


所在地:京都府舞鶴市行永 GPSログダウンロードページ

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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