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宮津城/京都府宮津市

宮津城は、跡形も無く消滅した平城です。
訪問日は2022年8月1日です。

宮津城【写真位置】
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城は宮津駅北西を中心にありました。
街の中心部のため、完全に市街地となっています。
9の石と15の移築門ぐらいしか見所はありません。
他に何か無いかと思い、堀跡を辿ってみました。
城跡巡りとしては、かなり地味なものとなりました。
宮津城【01】
【1】堀跡の道

宮津城の堀跡は道になっています。
駅前の道も、堀の形に曲がっています。
普通に歩けばただの道ですが・・・
事前に見た絵図の堀と同じ形です。
宮津城【02】
【2】堀跡の道

ここも堀跡で、道が不自然に曲がっています。
地図では、堀跡部分だけこんな感じです。
ただ、高低差は全く無し。
そういう目で見なければ気付きません。
地図では関西電力の所に案内板があると載っています。
しかし、いくら探しても見つかりませんでした。
宮津城【03】
【3】東側の外堀跡

国道178号に出て東に進むと、小さな川があります。
この川が宮津城の東側の外堀でした。
とは言え、堀っぽさは感じられず。
宮津城【04】
【4】東側の外堀跡

ただ、その流路は堀そのものです。
川に沿って進むと、直角に西へ曲がります。
写真はほぼ駐車場ですが、右端に川があります。
宮津城【05】
【5】東側の外堀跡

堀跡は線路に沿って続きます。
しかし、堀跡ながら高低差ゼロ。
かなり徹底的に破壊されたんですね。
宮津城【06】
【6】東側の外堀跡

川は再び西へ直角に曲がります。
自然の川ではあり得ない流路を辿ります。
少しは城跡っぽさがあっても良さそうなものですが。
宮津城【07】
【7】東側の外堀跡

絵図で見られた外堀は、ここで線路を跨ぎます。
しかし、ここで線路を渡ることが出来ず・・・
宮津駅って、東側に出られないんですね^^;
ということでUターン。
堀跡以外に軌跡を残さないつもりで歩いたので。
宮津城【08】
【8】北側の堀跡

北側の国道に戻り今度は西へ。
国道178号も北側の堀跡です。
海は目の前なのですが、ここも掘ったんですね。
とはいえ、そんな面影は全くありません。
宮津城【09】
【9】石垣の石

宮津武田病院の北側に、大きな石があります。
これは宮津城の石垣の石だそうです。
ということで、説明板もあります。
大きな石は、南のくろがね門の脇にありました。
ここから10メートル南にも石垣があるそうですが・・・
見つけられませんでした(汗)
宮津城【10】
【10】城跡の案内

さて、所々にあるこの案内。
石の脇にもありました。
この矢印の方向は先程見て来たのですが・・・
城址碑や説明板の類は一切なし。
何を指しているのかが不明です。
宮津城【11】
【11】西側の堀跡(大手川)

石の所からさらに西へ。
この川は宮津市の中心を流れる大手川です。
名前の通り、宮津城の大手側の外堀でした。
西の一色氏を警戒していたようですね。
宮津城【12】
【12】大手橋

国道から大手川に沿って南へ。
1本南にあるこの橋が大手橋です。
お城だった時からここに橋がありました。
橋を渡った所に宮津市役所があります。
今も昔も、ここが宮津の中心なんですね!
宮津城【13】
【13】復元された白塀

大手橋から南には、白塀が復元されています。
石垣に乗っかった白い塀は、城キチの心をくすぐります。
宮津城【14】
【14】大手門跡

大手橋の城側が大手門跡です。
それを示す物は何もありませんが・・・
市役所前の案内図にそう描かれています。
宮津城【15】
【15】太鼓門(移築)

大手橋からさらに1本南の橋へ。
その近くにこの門があります。
これは太鼓門で、移築されたものです。
以前は別の場所にあったそうですが・・・
2004年の台風で、宮津は水害に見舞われました。
その復興事業の一環として長塀建設と門の移築が行われました。
太鼓門はこの時、往時の場所の近くのココに移されています。
宮津城【16】
【16】南側の外堀跡

太鼓門近くの橋から東に続く道も堀跡です。
左側が三の丸で右が城外ですが・・・
ここも高低差が全く無く、それっぽさが感じられず。
ただ、この場所にしてはかなり広い道です。
堀もかなり幅があったのかもしれません。
宮津城【17】
【17】南側の外堀跡

南側の堀跡を辿り東へ。
奥に宮津駅が見えます。
この道も堀跡で、線路を越えつながっていました。
ここは何となくですが、城側が若干高くなっています。
宮津城【18】
【18】一色稲荷神社

さて、南側の堀跡から駐車場はすぐ近くですが・・・
「堀跡を歩くんだ!」と謎の決意をした当時。
真夏の炎天下でも、元来た道を戻ります。
黒なぽさんの決意は、物理条件を超越します。
大手川沿いに北上し国道へ。
今度は二の丸の外周沿いに歩きました。
本丸と二の丸の堺は、完全に消滅しています。
二の丸の堀跡を歩いていると、角に神社があります。
ここで城キチレーダーが木陰の白い板に反応。
そこには「一色義清自刃の処」と書かれています。
説明板があるので読んでみましたが・・・
内容的に、ここで自害したのは一色義定のような気がします。
一色義清は、その復讐戦を企てたと書かれていますし。
ただ、その戦で捕らえられここで自害したというのもあり得ます。
とにかく一色家の最期は記録が乏しくわからない事だらけです。
宮津城【19】
【19】内堀跡

理解されにくい城跡巡りも終盤です。
ここは二の丸の堀跡です。
そう言われても全くそうは見えませんよね(汗)
宮津城【20】
【20】内堀跡

そしてスタート地点の宮津駅に戻って来ました。
駅前の緩っと曲がった道も、堀の形のようです。
そう思ったのは、暑さのせいではないと思いたいです。


◆歴史◆

1580年、長岡藤孝により築かれました

長岡藤孝は、一般的には細川藤孝と表記されます。
織田家臣となり長岡京一帯を与えられた時に改姓していました。
細川姓の復姓したのは、豊前へ移ってからです。
なので、ココでは当時の長岡姓で記します。
建部山城を陥落させ一色義道を自害に追い込みました。
しかし、その子・一色義定が弓木城で抵抗を続けました。
丹後で一番の堅城を、長岡軍は攻めあぐみました。
明智光秀の仲介により、長岡藤孝は一色義定と和睦。
丹後国は二分割され、長岡藤孝が南半分を与えられました。
その拠点として宮津城が築かれました。

1582年、長岡忠興が城主となります

明智光秀が本能寺の変を起こしました。
長岡藤孝の直接の上司に当たるのですが・・・
要請には応えず、明智軍には協力しませんでした。
この時に長岡藤孝は隠居し、田辺(旧八田)に城を築き移りました。
子の長岡忠興が家督を継ぎ、宮津城主となりました。
本能寺の変後、明智光秀に協力した一色義定が排除されます。
それが一色稲荷神社のあった場所とされます。
一色義定を誘い出した長岡忠興が、自ら斬ったとされます。
この時に妹の伊也に斬りつけられ、長岡忠興の顔に傷が残ったそうです。
伊也は長岡家と一色家の和睦の際、一色義定に嫁いでいました。
娘の嫁ぎ先をたった2年で滅ぼした黒歴史。
そのせいか、この時の事は細川家の記録には残されていません。

1600年、長岡幽斎により自焼されます

長岡家は関ヶ原の戦で東軍に属しました。
西軍に属した家に囲まれ、1万5千の大軍が攻め込んで来ました。
寄せ手は福知山の小野木重勝と亀山の前田茂勝です。
長岡忠興は出陣しており、長岡幽斎が留守を守っていました。
長岡幽斎は防衛拠点を田辺城に限定。
そのため、宮津城を焼き払いました。
田辺城での激しい攻防戦の末、長岡幽斎は降伏します。
しかし、この時の働きにより長岡家は豊前へ加増移封となります。

京極高知により再築されました

京極高知は京極高次の弟です。
関ヶ原の戦後、兄は若狭一国、京極高知は丹後一国を与えられました。
丹後の主となった京極高知は、居城を宮津城としました。
しかし、当初は田辺城を居城としました。
宮津城は、長岡藤孝により自焼されていたためです。
西軍の猛攻を凌いだ田辺城で良かったと思うのですが・・・
あくまで丹後の中心は宮津という事だったのでしょう。
京極高知は、一国一城令の時に田辺城を破却しています。
そのため、1615年までには再築が完了したと思われます。
京極高知は晩年、領地を3人の子に文知しました。
宮津は嫡男の京極高広が継ぎました。
以後は宮津藩の藩庁となります。

1666年、宮津藩は親子の不和を理由に改易されます。
その後は何度も藩主が代わりつつも、宮津藩は続きました。
そして1873年の廃城令により廃城となりました。


所在地:京都府宮津市鶴賀

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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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