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弓木城/京都府与謝野町

弓木城は、大名・一色家最期のお城です。
訪問日は2022年8月1日です。


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城跡は城山公園になっています。
北側に駐車場も整備されています。
周囲は切り立っており、登る箇所が限定されます。
現在残っているのは南曲輪群と出城です。
北曲輪群は消滅し、現在は小学校になっています。
主郭の8には水無月神社があり、北側に堀切があります。
その直下の7には、稲荷神社があります。
主郭8の南側は一段下がり、11まで細長い曲輪になっています。
南側には大きな竪堀があります。
直線過ぎるので、造り掛けの神社の参道なのかもしれません。
東側の尾根の付け根には広い堀切があります。
16~18にかけて曲輪が連なり、先端は急斜面になっています。
16→22には、斜面に沿って道があります。
主郭北側の堀切の先にも尾根があります。
この尾根にも曲輪が連なり、やはり先端が切り落とされています。
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【1】駐車場にある説明板 城山公園の説明板弓木城の説明板

駐車場の公園寄りに、立派な説明板があります。
それぞれに図が付いている超豪華版です^^
着いて早々ですが、パクらせて頂きました。
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【2】直登した北東尾根

ササッと歩いて終わるつもりでしたが・・・
公園とはいうものの案内がありません。
どこから登るんだろう?と思いました。
案内は無いものの、目の前に尾根が突き出ています。
道はありませんが、猪城キチはそのまま登って来ました。
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というのも、手前にこれがあったからです。
城キチ的には、これ以上のフラグはありません。
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【4】途中で現れた道

何も知らずに尾根に取り付きましたが・・・
歩きやすいのは最初だけで、すぐに断崖に隔てられます。
その端を何とか登ると、何とそこに柵付の階段が。
もちろん私はその柵の外側ですw
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【5】主郭北側の堀切

途中から階段道を登ると、大きな堀切が現れます。
右側の方が高いですが、左側に鳥居が見えます。
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【6】稲荷神社

赤い鳥居といえば稲荷神社です。
堀切の先の小さな曲輪にあります。
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【7】稲荷神社から見た堀切

稲荷神社から見ると、堀切の反対側が切り立っています。
あちら側が主郭で、そちらにも神社があります。
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【8】上から見た堀切

稲荷神社に続いて、水無月神社にもお参り完了!
ということで、裏に回って今度は大堀切を拝みます。
稲荷神社のある場所は、北側の見張り台のように見えます。
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【11】主郭南側

水無月神社からほんの少し低い段が真っすぐあります。
お城的には二郭と呼ぶのかどうか、少し微妙です。
水無月神社の方を向いて右端が少し高くなっています。
もしかしたら土塁の跡かもしれません。
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【10】城址碑

真っすぐ進んだ先の端っこに、低木に埋もれた大きな石が。
もしかして?と覗き込んだら、城址碑でした。
それにしても、周りの低木は自生しているようには見えず。
どういう意図で植えられたのか気になります。
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【9】竪堀

生垣に挟まれた細長い曲輪の先端はこんな感じです。
写真だと堀切っぽく見えますが、竪堀のようです。
ここから一直線に下へ伸びています。
山でよくみるこの感じ、神社の参道によく似ています。
竪堀から真っすぐ進んだ所に、先程の水無月神社がありますし。
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【12】南下の曲輪

先程の参道もどきとは別に、脇から下る道があります。
下りた先は、ちょっとした曲輪があります。
堀も土塁も虎口も無い、踊り場的ではありますが。
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【13】下から見た竪堀

ここから、先程見た竪堀が見えます。
お城の竪堀は、大抵は斜面の横移動を防ぐためのものです。
ここは横移動し放題なので、竪堀としての役割は果たせそうにナシ。
やっぱり神社の参道を通そうとしたのでしょうか?
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【14】真っすぐ下る竪堀もどき?

竪堀もどきはこの踊り場でひと段落。
更に下へと真っすぐ掘られています。
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【15】東側の堀切

踊り場的な場所からは、東の尾根が見えます。
その手前が一段低く、堀のように見えます。
尾根の付け根にあるので、性格的には堀切ですが・・・
ちょっと幅が広いうえに浅過ぎます。
段差を付けることに、何らかの構造的意味があったのでしょうが。
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【16】東の尾根へ

東の尾根には段々に曲輪が連なっています。
そこそこの幅があるので外周を歩いて軌跡をトレース!
マイルールは基本的に時計回りなので、北側から周り込みました。
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【17】東の尾根に連なる曲輪

こんな感じで、一段一段下って行きます。
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【18】東の尾根に連なる曲輪

段になっている様子を、下から撮りました。
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【19】東の尾根に連なる曲輪

尾根はだんだん先細りし、先端はこんな感じです。
ここから先は、急斜面が一気に下ります。
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【20】北東の尾根へ

さて、ひと通り城内も散策したので城外へ。
そのついでに最後に見に来たのが北東の尾根です。
こちらにも目論み通り、曲輪が段々に連なっています。
あとはこの先端から下界へ下りて駐車場へ!
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【21】北東尾根の先端

と思いましたが、こっちも先端が・・・
下に見える道路、けっこう高低差があります。
無理して無理出来ない高さではありません。
が、そんな軌跡皆さんに見せてもねぇ(;'∀')
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【22】東側の横道

ということで、別の道を模索します。
北東尾根の付け根に戻ると、横移動する道があります。
この道を辿ると、東尾根の付け根に至ります。
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【23】東側の登城路

東尾根付け根から下りた道がココです。
案内図に描かれている数少ない道ですが・・・
ちょっち緑濃ゆめデス(草)
まぁ、ヒザ丈も無いので、城キチは気にしません^^
自然な角度で城内に出入りする道はココだけっぽいです。
もしかしたら、往時の大手道なのかもしれません。


◆歴史◆

築城時期は不明です。

弓木城のあった地域は、稲富保と呼ばれていました。
鎌倉時代からは近衛家の所領となっています。
在地の荘官が居たと思われますが・・・
拠点がどこだったのかは?です。
城跡にある石碑には、稲富竜仙が築いたと記されています。

戦国時代は稲富氏の居城でした

稲富氏は元々は山田姓を名乗っていました。
戦国時代に伊賀国から移ったと伝わります。
稲富氏は4代にわたり城主を務めました。
2代目城主・稲富祐秀は、佐々木義国より砲術を習得。
孫の稲富祐直が発展させ『稲富流砲術』を編み出します。

1580年、一色満信が城を譲り受けます

1579年、織田軍の長岡藤孝が丹後に侵攻。
一色義道は激しく抵抗しました。
丹後での攻防戦は翌年まで続きました。
建部山城が陥落して一色義道は逃れますが・・・
家臣の裏切りに遭い自害します。
その跡を継いだのが子の一色満信です。
一色満信は弓木城に籠り、長岡軍に抵抗を続けます。
長岡藤孝の上司・明智光秀が和睦を仲介。
一色満信が丹後北半国を領有し、長岡藤孝の娘を娶りました。
一色満信は一色義定(義俊?)と名を改めたようです。
以後は織田家臣となり、京都御馬揃や甲州征伐にも参加しています。

1582年、廃城となります

明智光秀が本能寺の変を起こしました。
この時、一色義定は明智光秀の要請に応じました。
しかし、長岡藤孝は要請を拒みます。
間もなく山崎の戦で明智軍が敗北。
勝利した羽柴秀吉は、一色義定に謀反の疑いを掛けます。
そのため、長岡忠興が一計を案じます。
長岡忠興は、一色義定を宮津城に招きました。
その酒席で一色義定を謀殺。
一色義定の妻・伊也は、兄・長岡忠興に斬りかかります。
どうやら一家そろって呼び出されていたようです。
急遽、叔父の一色義清が家を継いで抵抗しますが弓木城は陥落。
残った一色軍は長岡軍に突撃し、壮絶な最期を遂げました。
弓木城は以後使われず、廃城となりました。


所在地:京都府与謝郡与謝野町弓木 GPSログダウンロードページ
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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