2022/08/28
下岡別城/京都府京丹後市
下岡別城は下岡城の隣の山にありました。
訪問日は2022年8月1日です。
![]() 別ウィンドウで表示 城跡は集落の北西の小さな山にあります。 周りの道は細くて路駐不可。 ということで、六神社の駐車場を拝借しました。 小さいのに立派な神社だなぁなんて思いましたが・・・ 名前の通り六柱の神様を祀っています。 その内の一柱が、浦島太郎のモデルとなった島子ノ神です。 浦島太郎は『丹後国風土記』に載ってるそうです。 もしかしたら、竜宮城も近所でしょうか(*´艸`*) 城キチとしては放置デキマセンね! |
![]() 【1】下岡城の案内図と説明板(それぞれ拡大表示出来ます) 車を停めようと六神社に向かう途中、こんな公園があります。 何とかレーダーにビビビッと来たので車を停めると・・・ 表の大きな板は下岡城の案内図、その右脇に説明板がありました。 案内図によると、クルマは手前の公民館に停められるそうです。 いつか下岡城を訪ねる際には厄介になろうかと思います。 |
![]() 【2】下岡別城のあった小山 さて、今回訪ねたのは別城の方です。 下岡城は比高が高く、夏休みの城攻めには不向きと思ったからです。 かつて比高600mを登ったお馬鹿さんが言っても説得力ゼロですがw あの時は下る時に過呼吸気味になって大変でした。 一応ちょっとは学んでいるつもりです。 |
![]() 【3】登城口 登城口はこの橋です。 堀を渡る、なんて大げさなモンではありません。 |
![]() 【4】掘られた道 ちょっとした草むらを通り過ぎた所です。 如何にもここから入るといった感じです。 城キチの目には虎口に見えてしまいますが・・・ |
![]() 【5】上から見た所 すぐ上は墓地になっています。 お墓参りか畑仕事の為に掘られたものかもしれません。 |
![]() 【6】腰曲輪群 一応山城なのですが・・・ 割と麓の内から腰曲輪があります。 しかも、結構な数です。 「別城」なので、単郭なのかと思っていました。 望外の遺構に、ちょっとテンション上がって来ました^^ |
![]() 【7】腰曲輪 道は草も無くとても歩きやすいです。 小バエもまとわり付かず、夏でも快適に散策出来ます。 |
![]() 【8】大堀切 ここまで遺構らしいのは腰曲輪群だけでしたが・・・ いきなりとんでもない大きさの堀切が現れます。 掘ったというよりは、地形をそのまま利用したのかもですが。 左右両サイドに、神社のものと思しき石段があります。 |
![]() 【9】虎口 ですが、私も城キチの端くれです。 城としての通路を歩きます(`・ω・´) ということで、左脇から回り込んだ所に上がり口があります。 |
![]() 【10】二郭 神社があるのでこちらが主郭だと思いましたが、二郭でした。 エライ先生方の書かれた某大聖典にそう書かれています。 さっき見たばかりですが・・・w 鎮座しているのは妙見宮です。 ちゃんとご挨拶申し上げました^^ |
![]() 【11】上から見た大堀切 いつも通り見下ろしてみました。 向こう側が見えない位に大きいデス^^ |
![]() 【12】北東側 さて、端っこに小さな曲輪が見えたので見て来ました。 緩く下る尾根に、段曲輪がいくつか連なっています。 上から見て左端に土塁があり、通路になっています。 |
![]() 【13】北西の尾根 続いて北西側の尾根も見て来ました。 こちらは山頂へ向かう尾根です。 堀切の1本でも無いかと期待しましたがナシ。 ほぼ自然地形の尾根でした。 唯一人の手が加わっていると思われたのがココです。 土橋風になっていますが・・・ 城跡で見られるいつものとは少し様子が違いました。 |
![]() 【14】南西の堀切 続いて大堀切の反対側も見て来ました。 これを書くときに見た某大聖典で知りましたが・・・ 神社の無いこちら側が主郭でした。 大堀切からは石段を登らず、堀底から回り込む道を進みました。 すると、西側の尾根をぶった切る堀切がありました。 ここを断ち切らないと、尾根伝いに登れてしまうんですね。 |
![]() 【15】南側の腰曲輪 どこから登るんだろう?と思いながら回り込みました。 大堀切の反対側である南端の尾根に、腰曲輪がありました。 腰曲輪には、スロープ状の土塁が掛かっています。 ここから上がれそうです。 |
![]() 【16】腰曲輪が段状に連なります スロープ状の土塁を上がると、ひと回り大きな曲輪が。 |
![]() 【17】段差 そして、北側には人の背丈よりも高い段差があります。 |
◆歴史◆
ここも不明です
比較的新しく見つかった城跡ということで、史料には登場せず。
某大聖典では、海賊の拠点だったかもしれないと書かれています。
すぐ南西には、一色家の下岡城がありました。
下岡城は1582年、細川軍に攻められ落城しました。
この時、各地から一色家臣が集まって城を守りました。
一色家にとって重要な城だったのでしょう。
下岡別城は、その至近距離にありました。
出城だった可能性はないのでしょうか?
所在地:京都府京丹後市網野町下岡 GPSログダウンロードページ
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