2022/08/27
大森城/京都府京丹後市
大森城は尾根上に築かれた連郭式の山城です。
訪問日は2022年8月1日です。
![]() 別ウィンドウで表示 大森城は、林道脇の尾根上に曲輪が連なっています。 城の主要部は8~11で、上側(3~7)に堀切が連なります。 下側(12~14)は、尾根の傾斜に合わせて段曲輪が連なります。 見た感じの正面は下側で、背後の上側を堀切で断ち切った感じです。 |
![]() 【1】車を停めた場所 事前に調べる時、車をどこに停めるか毎回苦心します。 特にここは道幅の狭い林道沿いに城跡があります。 林道を走りながら「どこら辺が城跡?」という感じでした。 そうこうする内に、路肩の広い場所に着きました。 ここに触れた諸兄はいなかったような・・・ 通り過ぎてしまった?と思いながら下り方向に歩きました。 |
![]() 【2】上がれそうな所 歩いていると、斜面が斜めに削れた不自然な場所を発見! 上がる事しか頭に無いので「ここから上がれる!」としか見えず。 |
![]() 【3】上がった所 ということで、上がった所がココです。 尾根にしては、不自然な位にまっ平です。 人工的ではありますが、城跡らしくはなく・・・ とりあえず下方向へ進みました。 |
![]() 【4】掘られた道 進んだ方向は正しかったようで、城跡らしくなってきました。 掘り込んだ道は、そのまま林道の方へ下って行きます。 ただ、方向的には林道から上がって上に向かう感じがします。 城跡がこの先にあるとすれば、遺構を避けたという事? これはさらに進んで確かめねば! |
![]() 【5】最初の堀切 ということで、それまで平坦だった尾根上に凹み発見! かなりエッジが緩くなっていますが、堀切ですヾ(*´∀`*)ノ |
![]() 【6】2つ目の堀切 さらに進むと、今度はかなり大きな堀切が^^ 堀切は両サイドに竪堀を従え、それぞれ下の道に繋がっています。 左側は登って来た林道、右側にも道っぽいのが見えました。 |
![]() 【7】3つ目の堀切 さらに進むと、またしても堀切があります。 |
![]() 【8】土塁 堀切を登ると、かなり広い平坦地に出ました。 その林道側には、低い土塁と帯曲輪が付いています。 |
![]() 【9】堀切を振り返ったところ せっかくなので、曲輪側からも堀切を堪能します♡ |
![]() 【10】段差 広い曲輪の先端下に、小さな曲輪があります。 少し段差があり、尾根に沿って下るようです。 |
![]() 【11】段差 上の曲輪の先にも、同じように曲輪があります。 段差は先程よりも大きく、高低差があります。 |
![]() 【12】曲輪?堀切? その次の段は、かなり狭いです。 曲輪のような、堀切のような。 |
![]() 【13】尾根先端が見えてきました 堀切なら両サイドに竪堀が落ちるのがセオリーですが・・・ 凹みは右側へ回り込んだ後、こんな感じで尾根先端へ。 これは道ですね! |
![]() 【14】虎口 そのまま進むと、林道までつながっていました。 両脇が盛り上がっているので、虎口のようです。 |
![]() 【15】道から見た虎口 ということで、そのまま林道に出てみました。 普通にお邪魔するなら、ここから登るのが正解のようです^^ |
◆歴史◆
不明です(;'∀')
西の松倉城、東の下岡城ともに、一色家の城でした。
1本の尾根に曲輪を連ねた構造は、松倉城と同じです。
【追記】
某大聖典で下岡城の項に
「大森城および日和田城の松本内蔵之助」
とありました。
1582年、細川軍が丹後北部へ侵攻した時の事が書かれています。
松本内蔵之助はこの時、下岡城を守っていました。
下岡城は細川軍に攻められ落城し、そのまま廃城となっています。
大森城も同じ運命を辿ったと思われます。
所在地:京都府京丹後市網野町木津 GPSログダウンロードページ
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