2022/01/09
山本砦/大分県宇佐市
山本砦は、宇佐インターチェンジ沿いにありました。訪問日は2021年12月30日です。

山本砦は、駅館川沿いの丘の上にありました。
駅館川は「やっかんがわ」と読みます。
駅館は大和朝廷が全国に設置した、馬や人夫を置いた施設です。
宇佐神宮へ向かう宇佐使いが休んだ施設が、この川沿いにあったそうです。
砦は、駅館川が東から北へ蛇行する時にぶつかる丘の上にありました。
川の流れに削られたせいか、川沿いは垂直の断崖絶壁となっています。
岩が露出した直角の壁なので、その上に軍事拠点は理に適っています。
ですがその分、どこから攻めようか迷います。

①登城口付近にある鷹栖観音堂
駅館川沿いの断崖下には、鷹栖観音堂や鷹栖薬師堂などがあります。
いずれも岩盤を掘り、その中にお堂を建てています。
また、その間には「とくしん橋」という、大分県内最古の石橋もあります。
古くから信仰の対象として、川沿いには人の流れがあったようです。
クルマはこの前に停められます。

①登城口付近
さて、事前に地図を見た時に登れそうな所を絞り込みました。
1つは鷹栖薬師堂付近から尾根沿いに登るというものでしたが・・・
岩盤の断崖絶壁が聳え、とても無理だと判断しました。
もう1つが鷹栖観音堂付近で、国土地理院の地図では道が描かれています。
その入口の目印となるのがコレです。
ココを奥に進むと、ソレはあります。

②登城路
地図上に道が描かれているので、散策路でもあるのかと思っていました。
しかし、それらしきものは一切見当たらず諦めかけたその時・・・
道端の藪に光る1本のショッキングピンクのリボンが見えました。
林家P夫妻というか、奥様の笑い声が聞こえて来そうな程鮮やかなピンク色。
他に手掛かりが無いので、そちらの藪へ入ってみました。
まだ早朝だったので、周りの目を気にする必要などありませんでしたし。
すると、奥へ伸びる通り道らしき窪みが見えました。
足元には階段代わりに並べられたコンクリートブロック。
ここ、登るんですね♪

②登城路
訪ねる人が無いせいか、かなり草木に覆われ掛けています。
そんな山道?を登り切ると、今度は岩の壁が目の前に立ちはだかります。
その正面を伝う1本のロープ、、、に見えましたが、つる性の植物でした。
ここを登るのかぁ!と心の何かを燃やしました

「人としての何か」ではありませんよ

②登城路
岩盤に取り付く前に、ちょっと周りを見てみました。
すると、すぐ左脇に岩盤を削った石段がありました。
しかも、ご丁寧に鉄の杭にチェーンの手摺まで付いています。
よく見れば上の写真にも写っていますが・・・
先入観ってオソロシイですね(*´艸`*)

②登城路の末
石段の上からロープ伝いに断崖上を進むと、開けた場所に出ました。
ここが砦跡と言われても頷ける程、まとまった平坦地が広がっています。
地図ではここから右へ進んだ所が砦跡ですが、左側の方が明らかに高い・・・
先輩諸氏が見てない何かあるに違いない!と、高い方へ吸い寄せられました。

左奥へと続く上り坂の頂上には、こんなものがありました。
ここは鷹栖山と呼ばれ、ごくごくレアな山キチ様が訪ねる場所らしいです。
ついつい釣られた城キチは、はぁと溜息をつきながら元来た道を下ります。

③横堀
今度は上がって来た所から、少しずつ下る右側へ。
そこそこ平らな場所なので、このままでも使えそうですが・・・
キュッと地形が締まった先で、再び幅が広くなります。
ただ、こちら側は左側が平らで右側が10メートル程高い地形に。
その左側の平らな所をよく見ると、うっすら掘られているのに気づきました。

④竪堀
横堀脇の斜面を見ると、傾斜が急だーなんて思って思ってました。
しかし、何だか少し凸凹なような気が!
目が慣れてくると、畝状に竪堀が並んでいるのが見えて来ます。
ただ構造的に、そのすぐ上に横堀があるのですが・・・w

⑤横堀から主郭を見上げる
右側の高い所が主郭のようです。
どこかに登れる場所があると思いましたが、奥へ進んでも現れず。
そうなると、登りやすそうな所を見つけて直登しかありません。
奥(北側)の方が比高が無いので、こちら側から登りました。

⑥土塁
高い所に上がってみると、レモン形の大きな曲輪がありました。
その横堀側に、高さ1メートル程の土塁が連なっています。
逆の駅館川側には何も無く、いきなり断崖絶壁となっています。

⑦主郭先端
曲輪内を一周し、今度は先端を見に行きました。
先端部は尾根へと続き、尾根上には階段状に小さな曲輪が連なります。
最初に登って来ようとした側にあり、下りられるのでは?と感じました。

⑧尾根先端
こちらから下りようと思ったのは、あの絶壁を下りたくなかったからです。
もう登り直す気はサラサラ無く、そのまま下りようと思ったのですが・・・
尾根先端はブッツリ切れて、そのまま断崖絶壁となっていました。
主郭から続いていた段曲輪は何だったのか・・・
などとぶつくさ言いながら、登り直すのでした。

⑨竪堀
尾根に続く段曲輪を1段、また1段と登り直しました。
右脇には段差が無くて何となく登りやすそう・・・
そう気が付き、右脇を登りました。
しかし、主郭手前で2、3段大きくうねる凸凹があり、行く手を阻みます。
尾根もだんだんと幅も広くなってきたし、こっちにも曲輪かな?
・・・そう思ってよく見ましたが、凸凹の間隔がそんなに広くありません。
もしや?と思って見直すと、凸凹はそのまま斜面を下っていました。
来る時には「役に立ってるのか?」と疑問に思っていた竪堀ですが・・・
そんな竪堀に、まんまと帰りの足を阻まれたのでした

◆歴史◆
全くわからず

こういう所で不思議と燃える私ですが、お手上げです。
真下の鷹栖観音堂と鷹栖薬師堂は、対岸の観音寺関連の遺物です。
位置的に観音寺が城主と無関係ではあり得なさそうですが・・・
その観音寺は一度廃寺となり、今は無住のお寺となっています。
平安時代に法連により開基され、江戸時代に再建された事しかわからず。
近所の神社仏閣も、さしたる情報を得られませんでした。
地理的な所から攻めると・・・
田原親賢の妙見嶽城から北に約1.8km、至近距離です。
そして構造的にも、竪堀を多用していて共通点も多いです。
すぐ北に隣接している山本切寄は、砦とは異なり堀に囲まれています。
こちらは、西北西約5km弱の光岡城ととても良く似た造りです。
光岡城は、大内家滅亡後の1556年から大友家に仕えた赤尾氏の城です。
1566年に毛利家に寝返った麻生氏を討っています。
しかし、1573年に毛利家に寝返った時枝氏の夜襲で滅びています。
宇佐郡では大友派・反大友派が争いを繰り返す最前線でした。
山本砦・山本切寄ともに、大友派の城と共通点が多く見られます。
所在地:大分県宇佐市山本 GPSログダウンロードページ
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