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山本砦/大分県宇佐市

山本砦は、宇佐インターチェンジ沿いにありました。

訪問日は2021年12月30日です。



【位置・再】山本砦



山本砦は、駅館川沿いの丘の上にありました。

駅館川は「やっかんがわ」と読みます。

駅館は大和朝廷が全国に設置した、馬や人夫を置いた施設です。

宇佐神宮へ向かう宇佐使いが休んだ施設が、この川沿いにあったそうです。

砦は、駅館川が東から北へ蛇行する時にぶつかる丘の上にありました。

川の流れに削られたせいか、川沿いは垂直の断崖絶壁となっています。

岩が露出した直角の壁なので、その上に軍事拠点は理に適っています。

ですがその分、どこから攻めようか迷います。



【1】山本砦

①登城口付近にある鷹栖観音堂



駅館川沿いの断崖下には、鷹栖観音堂や鷹栖薬師堂などがあります。

いずれも岩盤を掘り、その中にお堂を建てています。

また、その間には「とくしん橋」という、大分県内最古の石橋もあります。

古くから信仰の対象として、川沿いには人の流れがあったようです。

クルマはこの前に停められます。



【2】山本砦

①登城口付近



さて、事前に地図を見た時に登れそうな所を絞り込みました。

1つは鷹栖薬師堂付近から尾根沿いに登るというものでしたが・・・

岩盤の断崖絶壁が聳え、とても無理だと判断しました。

もう1つが鷹栖観音堂付近で、国土地理院の地図では道が描かれています。

その入口の目印となるのがコレです。

ココを奥に進むと、ソレはあります。



【3】山本砦

②登城路



地図上に道が描かれているので、散策路でもあるのかと思っていました。

しかし、それらしきものは一切見当たらず諦めかけたその時・・・

道端の藪に光る1本のショッキングピンクのリボンが見えました。

林家P夫妻というか、奥様の笑い声が聞こえて来そうな程鮮やかなピンク色。

他に手掛かりが無いので、そちらの藪へ入ってみました。

まだ早朝だったので、周りの目を気にする必要などありませんでしたし。

すると、奥へ伸びる通り道らしき窪みが見えました。

足元には階段代わりに並べられたコンクリートブロック。

ここ、登るんですね♪



【4】山本砦

②登城路



訪ねる人が無いせいか、かなり草木に覆われ掛けています。

そんな山道?を登り切ると、今度は岩の壁が目の前に立ちはだかります。

その正面を伝う1本のロープ、、、に見えましたが、つる性の植物でした。

ここを登るのかぁ!と心の何かを燃やしましたメラメラ

「人としての何か」ではありませんよ



【5】山本砦

②登城路



岩盤に取り付く前に、ちょっと周りを見てみました。

すると、すぐ左脇に岩盤を削った石段がありました。

しかも、ご丁寧に鉄の杭にチェーンの手摺まで付いています。

よく見れば上の写真にも写っていますが・・・

先入観ってオソロシイですね(*´艸`*)



【6】山本砦

②登城路の末



石段の上からロープ伝いに断崖上を進むと、開けた場所に出ました。

ここが砦跡と言われても頷ける程、まとまった平坦地が広がっています。

地図ではここから右へ進んだ所が砦跡ですが、左側の方が明らかに高い・・・

先輩諸氏が見てない何かあるに違いない!と、高い方へ吸い寄せられました。



【7】山本砦



左奥へと続く上り坂の頂上には、こんなものがありました。

ここは鷹栖山と呼ばれ、ごくごくレアな山キチ様が訪ねる場所らしいです。

ついつい釣られた城キチは、はぁと溜息をつきながら元来た道を下ります。



【8】山本砦

③横堀



今度は上がって来た所から、少しずつ下る右側へ。

そこそこ平らな場所なので、このままでも使えそうですが・・・

キュッと地形が締まった先で、再び幅が広くなります。

ただ、こちら側は左側が平らで右側が10メートル程高い地形に。

その左側の平らな所をよく見ると、うっすら掘られているのに気づきました。



【9】山本砦

④竪堀



横堀脇の斜面を見ると、傾斜が急だーなんて思って思ってました。

しかし、何だか少し凸凹なような気が!

目が慣れてくると、畝状に竪堀が並んでいるのが見えて来ます。

ただ構造的に、そのすぐ上に横堀があるのですが・・・w



【10】山本砦

⑤横堀から主郭を見上げる



右側の高い所が主郭のようです。

どこかに登れる場所があると思いましたが、奥へ進んでも現れず。

そうなると、登りやすそうな所を見つけて直登しかありません。

奥(北側)の方が比高が無いので、こちら側から登りました。



【11】山本砦

⑥土塁



高い所に上がってみると、レモン形の大きな曲輪がありました。

その横堀側に、高さ1メートル程の土塁が連なっています。

逆の駅館川側には何も無く、いきなり断崖絶壁となっています。



【12】山本砦

⑦主郭先端



曲輪内を一周し、今度は先端を見に行きました。

先端部は尾根へと続き、尾根上には階段状に小さな曲輪が連なります。

最初に登って来ようとした側にあり、下りられるのでは?と感じました。



【13】山本砦

⑧尾根先端



こちらから下りようと思ったのは、あの絶壁を下りたくなかったからです。

もう登り直す気はサラサラ無く、そのまま下りようと思ったのですが・・・

尾根先端はブッツリ切れて、そのまま断崖絶壁となっていました。

主郭から続いていた段曲輪は何だったのか・・・

などとぶつくさ言いながら、登り直すのでした。



【14】山本砦

⑨竪堀



尾根に続く段曲輪を1段、また1段と登り直しました。

右脇には段差が無くて何となく登りやすそう・・・

そう気が付き、右脇を登りました。

しかし、主郭手前で2、3段大きくうねる凸凹があり、行く手を阻みます。

尾根もだんだんと幅も広くなってきたし、こっちにも曲輪かな?

・・・そう思ってよく見ましたが、凸凹の間隔がそんなに広くありません。

もしや?と思って見直すと、凸凹はそのまま斜面を下っていました。

来る時には「役に立ってるのか?」と疑問に思っていた竪堀ですが・・・

そんな竪堀に、まんまと帰りの足を阻まれたのでしたあせる





◆歴史◆



全くわからずあせる



こういう所で不思議と燃える私ですが、お手上げです。

真下の鷹栖観音堂と鷹栖薬師堂は、対岸の観音寺関連の遺物です。

位置的に観音寺が城主と無関係ではあり得なさそうですが・・・

その観音寺は一度廃寺となり、今は無住のお寺となっています。

平安時代に法連により開基され、江戸時代に再建された事しかわからず。

近所の神社仏閣も、さしたる情報を得られませんでした。



地理的な所から攻めると・・・

田原親賢の妙見嶽城から北に約1.8km、至近距離です。

そして構造的にも、竪堀を多用していて共通点も多いです。

すぐ北に隣接している山本切寄は、砦とは異なり堀に囲まれています。

こちらは、西北西約5km弱の光岡城ととても良く似た造りです。

光岡城は、大内家滅亡後の1556年から大友家に仕えた赤尾氏の城です。

1566年に毛利家に寝返った麻生氏を討っています。

しかし、1573年に毛利家に寝返った時枝氏の夜襲で滅びています。

宇佐郡では大友派・反大友派が争いを繰り返す最前線でした。

山本砦・山本切寄ともに、大友派の城と共通点が多く見られます。





所在地:大分県宇佐市山本 GPSログダウンロードページ



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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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