2021/12/25
滝田城/千葉県南房総市
滝田城は、里見義堯が一時居城にしたと考えられています。訪問日は2015年2月21日と2021年12月11日です。

滝田城は登城路が整備されており、南北に登城口があります。
2015年は北から、今回(2021年)は南から攻めました。
城の主要部は北側に集中し、南側は尾根伝いの搦手のような感じです。

①駐車場
東側を通る県道に出ている案内に従うと、この駐車場に着きます。
車なら4、5台は停めることが出来、トイレもあります。

①駐車場隅にある案内図 案内図・里見桜の説明板・城の説明板
駐車場の城側には、山全体の案内図があります。
右上には、令和元年の台風被害で登城路が荒れていると書かれています。
事前情報でも通れない場所があるとあり・・・
今回は状況確認で、行ける所まで行って帰るつもりでした。

登城口にある獣避けフェンスです。
ここから急な九十九折れで一気に尾根によじ登ります。

②南側の尾根道
登城口で一気に登った後は、しばらくこんな感じになります。
ここがメインの登城路なら、堀切の1つや2つ現れそうですが・・・
こちら側にはありません。

③伏姫と八房像 近くにある説明板
細尾根からまた急坂を登ると、開けた場所に出ます。
何となく近世に人の手が入った感じですが、物見のようです。
右手前にあるのが、『南総里見八犬伝』に登場する姫と犬の像です。
とても重要な登場人物らしいのですが・・・

さて、私の記憶が正しければ、6年前とはかなり風景変わったような。

▲2015年撮影
2015年に来た時は、像と同じ平場に派手な展望台がありました。
かなり派手ではありましたが、当時すでに立入禁止となっていました。
どうやらあの台風で倒壊してしまったようです。

④堀切
展望台跡からも、しばらくは平坦な尾根が続きます。
しかし、いきなり下りの階段が現れます。
その脇には白いプレートが

まぁ、城キチなら遠くからでもわかりますけどw

⑤腰曲輪
堀切を越えると、一気に高台に登る階段となります。
途中には、踊り場のような腰曲輪もあります。
堀切で足止めし、ここから狙い撃ちにしたのでしょか。

⑥櫓台
階段の上のひときわ高い所は、木々が伐採されています。
その真ん中に鎮座する高圧線の鉄塔。
滝田城最高地点にあるのが櫓台と呼ばれるピークです。
「行ける所まで行ってみる」つもりが、特に支障もなく着きました。

⑦主郭
櫓台のすぐ右下にある大きな曲輪が主郭です。
今まで細尾根を通って来たので、こんな広い場所があるのかと驚きます。

⑦主郭
ここまで崩れていたり倒木で通せんぼだったりは全くナシ。
「台風被害で通れない」は既に回復済みだったようです。
とはいえ、主郭の真ん中には処理したであろう倒木が集められています。

⑧曲輪
主郭からは、もう1つの登城口目指して東側へ下りました。
こちら側には割と大きな曲輪が段々に連なっています。
お城の構造を感じるなら、こちら側から登るべきでした


⑨曲輪
さらに下ると、再び大きな曲輪が現れました。
サイズを残そうと、思わず外周を回ってGPSに形を残しました。
この曲輪は、土塁で手前奥を隠す構造になっています。
里見家のお城は簡素な所が多いですが、ここは長く使われたのでしょうか。

⑩虎口
更に下ると視界が開けてきて、掘り下げられた道が曲がっています。
この脇に「虎口」の白いプレートがあります。
ちゃんと脇に土塁も付いている正統派です


⑪登城口の立て札
虎口からさらに下ると、突き出た土塁脇にこの立て札があります。
土塁は少し幅があり、建物があったかもしれません。

⑫馬場
登城口の立て札の下には、かなり大きな曲輪があります。
ここが馬場です。
パッと見で相当広いのですが、処理された倒木置き場になっています。
完全復活まであと少しといった所でしょうか。

⑬北側の登城口
馬場から下った所が、北側の登城口です。
こちらにも駐車場があります。
元とは違う登城口に出てしまいましたが・・・
今までならまた登り直して帰ることが多かったです。
でも、私も少しだけ成長したのか、麓の道を歩いて戻りました。
「お前歳とったなぁ」なんて言わないで下さいネ。
自己紹介では「二十歳」と言ってますので。
◆歴史◆
稲村の変の際に、一色九郎が守りました。
築城年代や築城者は不明ですが、稲村の変が史料の初見となります。
稲村の変は1533年、里見義堯が従兄弟の里見義豊を討った政変です。
変の詳細は省きますが、変を制した里見義堯が里見家当主となります。
ここを守っていた一色九郎は、里見義豊の妹婿とされます。
一色九郎は、古河公方に仕えた幸手一色氏の出身と考えられています。
一色氏といえば丹後守護を思い浮かべますが、同族です。
幸手一色氏は、九州探題・一色範氏の子・一色直氏を祖とします。
懐かしい名前が登場しました

こういった経緯だけでも、里見家とのつながりがあったとわかります。
一色九郎は、古河公方の安房の御料所を管理していたとされています。
関東管領・上杉家と古河公方が争えば、どちらに属するか一目瞭然です。
超、かなり脱線しましたが・・・
稲村の変では、里見義豊が里見義堯に追われて滝田城に籠りました。
しかし支え切れず、一色九郎に託して上総の武田信清を頼りました。
残された一色九郎は善戦虚しく、猛攻に耐え切れず落城し自刃しました。
翌1534年、里見義豊は武田信清の助力を得て安房に戻ったものの・・・
滝田城近くの犬掛の戦で大敗し、自害しました。
里見義堯が一時期居城にしたとされます。
里見義堯はクーデター成就後、武田信清が急死した上総侵攻を始めます。
その時の居城が滝田城で、のちに宮本城へ移ったと考えられています。
『南総里見八犬伝』では里見義実の城でした。
『南総里見八犬伝』は、ココ滝田城から始まったとされます。
まだ読んでないので詳細は知りませんが・・・
里見家初代・里見義実が暴君・山下定包を討ち、居城にしたとされます。
ココで八犬士の母となる伏姫が生まれ育ちました。
しかし、玉梓の呪いにより・・・
ネタバレつなぎ合わせてもよくわかりませんでした



そのうち読んで、現代風にザックリご紹介できたらと思います。
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