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岡本城/千葉県南房総市

岡本城は、戦国時代に里見義頼が居城としていたお城です。

訪問日は2015年2月21日と2021年12月11日です。



【位置・再】岡本城



岡本城は東西600m、南北300mの規模でした。

大堀切の西側が「北手城」、東側が「南手城」とされます。

城の主要部は北手城で、南手城は聖山とも呼ばれています。

私が歩き回った範囲を計測すると、東西470m、南北は200m。

西側の平地も城域で、「要害」と呼ばれる居住区だったそうです。

そう知ったのは、これを書いてる時ですあせる

あと南北の足りない分は、おそらく南側だと思われます。

何かの絵図で、国道の反対側も城の一部として描かれていました。

そこにある神社にお参りしようと思いましたが・・・

道がわからず断念しました。



【1】岡本城

①切通し



岡本城南部をブチ抜いている国道の切通しです。

絵図でもここは道として描かれており、昔からこうだったようです。

里見義弘が改修した際、城の周囲を削って断崖にしたそうです。

その時にここも削られたのかもしれません。



【2】岡本城

①案内



国道から登城口へ至る細道の入口に、この案内があります。

案内のある城跡は、世間的にはまぁメジャーな部類になるんでしょうね。



【3】岡本城

②登城口



トンネルの脇に山へ入るコンクリートの階段があります。

ここが岡本城の登城口です。

ここにも案内があります。



【4】岡本城

②登城路



登城口から主郭までは、白セメントの道で歩きやすいです。



【5】岡本城

③南斜面にある曲輪



登城路の周りは、どこもかしこも枇杷畑です。

途中で登城路から逸れる道があり、その奥には広い平坦地がありました。

現状が畑なのでどこまで旧状が残っているのか疑問ですが・・・

素直に見れば、主郭直下のかなり大きな曲輪です。



【6】岡本城

④主郭(東隅から)



登城口から3分で主郭に着きます。

現地ではもっと時間がかかったように思いましたが・・・

超久しぶりの城巡りで、体が鈍っていたようですあせる

そんな体で更に5か所回ったので、翌日は体が鉛みたいになりました。



【7】岡本城

④説明板



主郭にある説明板です。

説明板のある城跡、素敵です恋の矢

バッチリ、里見のお殿様のお城でしたヾ(*´∀`*)ノ



【8】岡本城

④城址碑



西側の奥にある城址碑です。

ちゃんと「岡本城址」と刻まれています。




【9】岡本城

⑤小さな堀切と土橋



城址碑の背後に、奥へ続く道があります。

道があると歩きたくなるのが人情というもの。

進んでみると、地面が少し窪んでいる所がありました。

両脇がえぐられ、真ん中に細い通路があるのは土橋さんですね!



【10】岡本城

⑥西端からの眺め



このお城が築かれた理由が、後北条家の水軍対策でした。

東京湾の出口を抑え西側の海も監視出来る。

とても機能的なお城だったようです。



【11】岡本城

⑦主郭東側の階段



西側の先端部から戻り、今度は反対側の東へ。

主郭は草むらで終わり、そこから先が無いように見えます。

しかし、よーっく探すと、東側へ下る階段が見つかります。

一度来た事があるので見つかりましたが、初めてだと見落としたかもです。



【12】岡本城

⑦大堀切



断崖を階段で下りた所に、大きな堀切があります恋の矢

この堀切で城内が東西に分断されています。

いつものように堀切の奥へ進むと、下りていく道がありました。

なので通路を通すための切通しかと思いましたが・・・

改めて見ると、主郭へつながる細尾根を断ち切っています。



【13】岡本城

⑦反対側から見た大堀切



物事を反対側からも見るクセがあり・・・

いつも堀切の底を突き抜けて反対側からも写真を撮ってます。

こうして見ると上の写真とは別の堀切に見えます。

ひと粒で二度美味しいデスラブラブ



【14】岡本城

⑦堀切脇の曲輪



堀切のある所はたいていは尾根ですが・・・

ここは断ち切った尾根の脇にこんなに広い平地があります。

主郭を守る二の丸的な所だったんでしょうか。

そんな曲輪が南側にもありました。

さすがは里見のお殿様のお城です。



【15】岡本城

⑧東側へ続く道



城域はまだまだ続きます。

土が削られ道がありますが、往時がどうだったかは?です。



【16】岡本城

⑨道沿いの曲輪



岡本城はとにかく曲輪が多いです。

現状はそのどこもかしこもが枇杷畑ですが・・・

旧状もこうだったのか、畑としてこうなったのか。

今では知る人もないのでしょう。



【17】岡本城

⑩東端のヘアピン



城内を歩いていても、土塁や堀などは見られません。

本当に城跡なのかと疑いたくなる程、ただの枇杷畑が続きます。

大規模なお城だったので、その曲輪が畑になっている!

そう思いながら淡々と歩きました。

道は下っていくばかりで、城域もここまでか?と思いましたが・・・



【18】岡本城

⑪桝ヶ池



もうここで引き返そうと、ヘアピンの先端まで来ました。

その時ビビッと感じるものがあり、少しだけ藪を掻き分けました。

すると、奥に大きな水たまりがありました。

これが、どんな時にも枯れなかったという桝ヶ池のようです。

山城の生命線である水場がここにある。

岡本城が東西に長い理由は、これだったのかもしれません。



【19】岡本城

⑫気になる跡



さて、東のかなり先端まで見たことだし次行こう!

そう思ってUターンしました。

しかし、どうしても気になる所がありました。

行きは「どうせ何も無いだろう」と通り過ぎましたが・・・

同じ場所を2度通ると、どうしても白なぽ黒なぽが喧嘩を始めます。

正義の味方と言えば白い方ですが、勝った試しがありません。



【20】岡本城

⑫真ん中のピーク



よじ登った小さなピークは、手付かずの藪でした。

こんな光景を何度も見ては「もう進めない」なんて思いましたが・・・

そのたびに黒なぽが勝利すること3度。

マジでもう無理!という所まで進みました。

ここは細い平坦地が続く感じで、何とか小屋程度は建ちそうです。

途中、崩れ落ちた小さな石宮がありました。

「聖山」と呼ばれていたのは、もしかしたらココだったのでしょうか?





◆歴史◆



岡本通輔により築かれました。



岡本城は、岡本安泰の父・岡本通輔により築かれたと伝わります。

岡本氏は古河公方の家臣でしたが、里見義通に従い安房に移住。

そこで里見義通の弟を養子に迎え、岡本通輔と名乗りました。

築城時期は不明です。



1572年、里見義弘により修築されました。



後北条家と対立した里見義弘が、海防の要地として修築しました。

城の周囲を削り取り、断崖に囲まれた城に仕上げたと伝わります。

城には廃嫡されていた里見義頼が入れられました。



1577年、北条氏政と停戦しました。



上総の地を巡り、北条氏政と里見義弘は激しく争っていました。

しかし、里見氏の後ろ盾だった上杉謙信が北条氏政と同盟。

そこで頼った武田勝頼も、長篠の戦で織田軍に大敗を喫しました。

日々状況が悪化する中で、里見義弘は北条氏政と和睦しました。

しかし上総の一部を失い、里見義弘は「遺恨深重」と嘆いたそうです。

この和睦は「房相一和」と呼ばれています。

この時、北条氏政の娘が里見義頼の正室となりました。



1578年、里見義弘が急死しました。



後北条家と和睦した翌年、里見義弘が久留里城で急死しました。

すると、里見家中で家督争いが始まりました。

里見義頼は、なかなか後継ぎの生まれなかった里見義弘の養嗣子でした。

しかし、里見義弘に実子・梅王丸が生まれ、廃嫡された経緯があります。

里見家中は安房の里見義頼派と上総の梅王丸派に分裂。

安房の里見家臣は、里見義弘の葬儀への参列を許されなかったそうです。

両者の争いは、北条氏政の支援を得た里見義頼が優勢でした。



1580年、淳泰(梅王丸)が幽閉されました。



説明板に書かれている1579年は、家督争いの始まった年です。

里見義頼は2年で上総を平定し、佐貫城で梅王丸を捕らえました。

佐貫城を守っていた加藤信景は、開城条件に梅王丸の助命を要求。

その約束通り梅王丸は出家させられ、岡本城の聖山に幽閉されました。

聖山は、岡本城の東半分を指します。

淳泰は後に館山城下の泉慶院へ移り、江戸時代初頭まで生きました。



1587年、里見義頼が没しました。



里見義頼が岡本城で没しました。

家督は嫡男の里見義康が継ぎました。

里見義康は豊臣秀吉に従い、安房、上総、下総の一部を安堵されています。



1588年、城内で火災が発生しました。



どのような規模だったのかは?ですが・・・

この火災の責任を問われ、岡本頼元が追放されました。

岡本頼元は、主に城を譲った岡本安泰の子です。

後に許されて帰参し、100石の足軽小頭となっています。



1590年、上総、下総の領地を失いました。



里見義康は他の近隣大名とは一線を画し、豊臣秀吉に従いました。

しかし、独自に三浦半島へ侵攻して禁制を発しました。

匿っていた小弓公方を鎌倉に復帰させる意図だったとされますが・・・

これが、私戦を禁じた惣無事令違反に問われたと考えられています。

改易は免れたものの、領地を大幅に減らしました。



1591年、廃城になりました。



里見義康が、本拠を館山城に移しました。
岡本城は、この時に廃城になったとされます。





所在地:千葉県南房総市富浦町豊岡 GPSログダウンロードページ



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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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