fc2ブログ

勝龍寺城/京都府長岡京市

勝龍寺城は15年ぶりに訪ねて来ました。
訪問日は2022年7月31日です。

【1】勝龍寺城
【1】JR長岡京駅前にある案内

大阪行きの夜行バスを京都で降り、電車で大阪、そしてレンタカー。
「そっちのが早い」というか早過ぎて、店が開くまで1時間半・・・
ということで、時間潰しすることに。
時間を掛けて予定を立てたのに、思い立ったのはバスの中です。
駅前には、お目当ての勝龍寺城と神足神社の案内があります。

【位置】勝龍寺城
【写真位置】別タブで拡大表示

とは言っても、ガッツリ潰され市街化された平城です。
事前に縄張りと現状の地図と重ね、それっぽい所を歩きました。
99%以上は空振りですが、誰も載せてない物が見つかったりします^^

【2】勝龍寺城
【2】神足神社前

駅から城跡へ向かう途中、この大きな看板が目に付きます。
まぁ、下調べの段階で知ってましたけど^^
こちらへは、後程参ります。

【3】勝龍寺城
【3】本丸北東の角

駅から歩いてまず見えるのがこの光景です。
普通のカメラでは収まり切らないので、iPhone様でパノラマ撮影。
仕上がりはギュッと縮んだ感じなので、レタッチで左右方向に拡大。
もう、画像編集は何でも有りです。

【4】勝龍寺城
【4】堀の外側にある説明板 拡大表示

堀の外側には、こんな感じの説明板が4枚連なっています。
駐車場から城内を見て立ち去ると、お目に掛かれない逸品です。

【5】勝龍寺城
【5】南側の入口

説明板と堀を堪能しながら、メインの入口のある南側へ。
しかしながら門は閉まっています。
まだ朝の7時前なので・・・
内側は15年前に撮影しているので、外だけ見ることに。
ちなみに勝竜寺城公園の開園時間と休園日は以下の通りです。
 開園時間
 4~10月
 11月~3月

 9時~18時
 9時~17時
 休園日 12月28日~1月4日

【6】勝龍寺城
【6】分厚い土塁

ピシャッと閉まった門の左側には、こんなに分厚い土塁があります。
15年前は、見向き以前に視野に映りもしていません。

【7】勝龍寺城
【7】南側の内堀

とりあえず、外側の目に映るあらゆる遺構を堪能しておきます(* ´艸`)

【8】勝龍寺城
【8】堀跡の道

さっそくですが、南側の堀沿いの道は堀跡です。
戦国時代のお城で堀があんな狭い訳ありませんよね(`・∀・´)?
この道の曲がりっぷり、まっ平らな平地で敢えてやる訳ありません。
今マイブームなのは、こんな感じの城跡巡りです。
分からない人には全く理解出来ないと思いますあせる

【9】勝龍寺城
【9】南西側の堀跡

内堀は、本丸と沼田丸を囲んでいます。
南西角を右に曲がった所にこの公園があります。
右奥の沼田丸の方が、1メートル程高くなっています。
この公園の先へは通り抜け出来ないので、Uターンして沼田丸へ。

【10】勝龍寺城
【10】沼田丸の説明板 拡大表示

勝龍寺城跡で曲輪として認識出来るのは、本丸とココだけです。
本丸の西隣にあり、ココも公園となっています。
・・・本物の児童公園です。

【11】勝龍寺城
【11】本丸の土塁

沼田丸から本丸側を見ると、先程の土塁で隔たれています。
児童公園から見えるのはこんな光景だけですが・・・
説明板では、本丸へ通じる虎口があったそうです。

【12】勝龍寺城
【12】沼田丸の堀跡

沼田丸跡の公園の北西隅には、うっすらとした溝があります。
多分と思って撮ったのですが、やっぱり堀跡を示すものでした。
往時の堀がこんな細かった訳ないですけどネ!

【13】勝龍寺城
【13】本丸北側の内堀

本丸・沼田丸の外側を1周回り、本丸北側へ戻って来ました。
こちらがわの散策はこれでおしまいです。
内側は15年前に見たからなのですが・・・
帰宅して15年前に撮影した写真を見てちょっとガッカリ。
内側で撮影したのは↓の1枚だけでした。
【19】勝龍寺城
15年前の私を、1発ポカっと殴ってやりたいです。

【14】勝龍寺城
【14】LAWSON側から見た土塁

さて、お次は少し離れた所にある神足神社です。
ココには勝龍寺城の北東の堀跡と土塁が一部残っています。
勝龍寺城側から向かうと、手前にLAWSONがあります。
その駐車場奥に見える土の壁が土塁です。

【15】勝龍寺城
【15】神足神社(神足城跡)の入口

駅前から勝龍寺城跡へ向かった時に見た看板です。
タイルで覆われた土のこんもりが土塁です。
何の模様かと考えましたが、どうやら土塁の内部構造を表しているようです。

【16】勝龍寺城
【16】堀跡と土塁 堀と土塁の説明板を表示

神社の境内から見ているのですが、手前に堀、奥が土塁です。
城キチ的には「外から」城跡を見ている状況です。
何だかシャツを裏返しに着た時のようなムズムズを感じます。

【17】勝龍寺城
【17】堀跡と土塁

ココは「神足城」としても紹介されている場所です。
実は元々は勝龍寺城とは別のお城で、神足氏の城がありました。
勝龍寺城改修の際に城域が拡張され、その時に取り込まれました。
そのため、現在神足城としての遺構は見ることが出来ません。

【18】勝龍寺城
【18】神足神社

神社なので、まぁ社殿はありますね。
目の前にある茅で出来た輪は、長野県の真田神社でも見ました。
輪の中をバッテンしてあって通れませんが・・・
これは「茅の輪くぐり」というもので、無病息災を願うためのものです。
古い神社で見られるものらしく、通り抜ける際の作法があります。
詳細というか大雑把にも省きますけどw
祭神は「神足大明神」ですが、正体は不明なのだとか。
元々は長岡京遷都の際に天皇に従った神足氏がここに館を築きました。
その時から神社もココにあったそうなので、案外ご先祖様なのかも。
神足氏は戦国時代に細川氏に従い、その転封に従い他所へ移りました。
そのため信仰対象として、神社だけがココに残ったようです。


◆歴史◆

784年、神足氏が館を築きました。
平安時代、九条家の荘官として当地を守りました。
1457年、畠山義就が郡代役所を築いたと考えられています。
1471年、勝龍寺城で戦があったと記録が残っています。
1566年、松永久秀、三好三人衆の属城でした。
1568年、勝龍寺城を巡る戦があり、織田信長の属城となります。
1571年、細川藤孝により改修され、現在の縄張りとなります。
1581年、村井貞勝の与力である矢部家定、猪子高就が城代となります。
1582年、明智光秀が奪い拠点としましたが、以後荒廃します。
1633年、永井直清が山城長岡藩の藩庁として一部改修。
1649年、永井直清移封に伴い廃城となりました。


所在地:京都府長岡京市勝竜寺 GPSログダウンロードページ

京都府の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR