2022/08/08
勝龍寺城/京都府長岡京市
勝龍寺城は15年ぶりに訪ねて来ました。訪問日は2022年7月31日です。
![]() 【1】JR長岡京駅前にある案内 大阪行きの夜行バスを京都で降り、電車で大阪、そしてレンタカー。 「そっちのが早い」というか早過ぎて、店が開くまで1時間半・・・ ということで、時間潰しすることに。 時間を掛けて予定を立てたのに、思い立ったのはバスの中です。 駅前には、お目当ての勝龍寺城と神足神社の案内があります。 |
![]() 【写真位置】別タブで拡大表示 とは言っても、ガッツリ潰され市街化された平城です。 事前に縄張りと現状の地図と重ね、それっぽい所を歩きました。 99%以上は空振りですが、誰も載せてない物が見つかったりします^^ |
![]() 【2】神足神社前 駅から城跡へ向かう途中、この大きな看板が目に付きます。 まぁ、下調べの段階で知ってましたけど^^ こちらへは、後程参ります。 |
![]() 【3】本丸北東の角 駅から歩いてまず見えるのがこの光景です。 普通のカメラでは収まり切らないので、iPhone様でパノラマ撮影。 仕上がりはギュッと縮んだ感じなので、レタッチで左右方向に拡大。 もう、画像編集は何でも有りです。 |
![]() 【4】堀の外側にある説明板 拡大表示 堀の外側には、こんな感じの説明板が4枚連なっています。 駐車場から城内を見て立ち去ると、お目に掛かれない逸品です。 |
![]() 【5】南側の入口 説明板と堀を堪能しながら、メインの入口のある南側へ。 しかしながら門は閉まっています。 まだ朝の7時前なので・・・ 内側は15年前に撮影しているので、外だけ見ることに。 ちなみに勝竜寺城公園の開園時間と休園日は以下の通りです。
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![]() 【6】分厚い土塁 ピシャッと閉まった門の左側には、こんなに分厚い土塁があります。 15年前は、見向き以前に視野に映りもしていません。 |
![]() 【7】南側の内堀 とりあえず、外側の目に映るあらゆる遺構を堪能しておきます(* ´艸`) |
![]() 【8】堀跡の道 さっそくですが、南側の堀沿いの道は堀跡です。 戦国時代のお城で堀があんな狭い訳ありませんよね(`・∀・´)? この道の曲がりっぷり、まっ平らな平地で敢えてやる訳ありません。 今マイブームなのは、こんな感じの城跡巡りです。 分からない人には全く理解出来ないと思います ![]() |
![]() 【9】南西側の堀跡 内堀は、本丸と沼田丸を囲んでいます。 南西角を右に曲がった所にこの公園があります。 右奥の沼田丸の方が、1メートル程高くなっています。 この公園の先へは通り抜け出来ないので、Uターンして沼田丸へ。 |
![]() 【10】沼田丸の説明板 拡大表示 勝龍寺城跡で曲輪として認識出来るのは、本丸とココだけです。 本丸の西隣にあり、ココも公園となっています。 ・・・本物の児童公園です。 |
![]() 【11】本丸の土塁 沼田丸から本丸側を見ると、先程の土塁で隔たれています。 児童公園から見えるのはこんな光景だけですが・・・ 説明板では、本丸へ通じる虎口があったそうです。 |
![]() 【12】沼田丸の堀跡 沼田丸跡の公園の北西隅には、うっすらとした溝があります。 多分と思って撮ったのですが、やっぱり堀跡を示すものでした。 往時の堀がこんな細かった訳ないですけどネ! |
![]() 【13】本丸北側の内堀 本丸・沼田丸の外側を1周回り、本丸北側へ戻って来ました。 こちらがわの散策はこれでおしまいです。 内側は15年前に見たからなのですが・・・ 帰宅して15年前に撮影した写真を見てちょっとガッカリ。 内側で撮影したのは↓の1枚だけでした。 ![]() |
![]() 【14】LAWSON側から見た土塁 さて、お次は少し離れた所にある神足神社です。 ココには勝龍寺城の北東の堀跡と土塁が一部残っています。 勝龍寺城側から向かうと、手前にLAWSONがあります。 その駐車場奥に見える土の壁が土塁です。 |
![]() 【15】神足神社(神足城跡)の入口 駅前から勝龍寺城跡へ向かった時に見た看板です。 タイルで覆われた土のこんもりが土塁です。 何の模様かと考えましたが、どうやら土塁の内部構造を表しているようです。 |
![]() 【16】堀跡と土塁 堀と土塁の説明板を表示 神社の境内から見ているのですが、手前に堀、奥が土塁です。 城キチ的には「外から」城跡を見ている状況です。 何だかシャツを裏返しに着た時のようなムズムズを感じます。 |
![]() 【17】堀跡と土塁 ココは「神足城」としても紹介されている場所です。 実は元々は勝龍寺城とは別のお城で、神足氏の城がありました。 勝龍寺城改修の際に城域が拡張され、その時に取り込まれました。 そのため、現在神足城としての遺構は見ることが出来ません。 |
◆歴史◆
784年、神足氏が館を築きました。
平安時代、九条家の荘官として当地を守りました。
1457年、畠山義就が郡代役所を築いたと考えられています。
1471年、勝龍寺城で戦があったと記録が残っています。
1566年、松永久秀、三好三人衆の属城でした。
1568年、勝龍寺城を巡る戦があり、織田信長の属城となります。
1571年、細川藤孝により改修され、現在の縄張りとなります。
1581年、村井貞勝の与力である矢部家定、猪子高就が城代となります。
1582年、明智光秀が奪い拠点としましたが、以後荒廃します。
1633年、永井直清が山城長岡藩の藩庁として一部改修。
1649年、永井直清移封に伴い廃城となりました。
所在地:京都府長岡京市勝竜寺 GPSログダウンロードページ
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