2021/02/15
要害山城/埼玉県寄居町
ココの要害山城は通称「金尾山城」と呼ばれています。訪問日は2021年2月13日です。

現在ココは「金尾つつじ山」ということで、公園として整備されています。
そのため、歩きやすい道などが整備されています。

①駐車場
入口の真正面には、車が沢山停められる駐車場があります。
いつもこうだったらイイのに!というくらいに広いです。
でも、ツツジのないつつじ山はまぁ、ザッとこんなもんです。
今日も張り切って貸し切りでGo!です。

①入口
駐車場の目の前に、迷いようが無いくらいに目立つ入口があります。
これを見て「どこから登ったらいいの?」なんて言う人がいたら・・・
私ならお友達やめちゃいそうですw

②城キチの入口
私は上の入口ではなく、城キチ用の入口から登りました。
場所は、さっきの所からちょっとだけ上です。
この道、城キチじゃない人にもたぶん見えると思います。

②城キチ専用道
さっきの入口からは、とても綺麗に整備された山道があります。
普段の山にもこんな道があればもっと楽に登れるのですが・・・
でも、それだとどこもかしこも人がいっぱい来ちゃいますよね?
今は密にならないよう、人の居ない山城がお勧めですし。

③尾根に連なる曲輪群
城キチ専用道からは、斜面に分け入った踏み跡がいくつもあります。
私もそっちに進みたい衝動を抑えつつ、人の道を歩み続けました。
そして、人の道を歩み切った所は笹がいっぱい茂る藪でした

曲輪群はここから下の尾根に沿って連なっているのですが・・・
こんな状態では、苦労して分け入っても遺構を見ることが出来ません


③山頂方向
笹藪を5メートルほど掻き分けると、真人間の世界が現れます。
尾根の曲輪群を見られないなら、こっち側から登っても良かったです。
でも、山の雰囲気を味わえる「人の道」を進んだことに後悔はありません。
事前に見た資料では「人の道」で竪堀を2本見られるハズでしたが・・・
気にして無かったので、完璧に見落としました

まだまだ山城に行き足りてないという事デスね!
精進せねば・・・w

④三郭下の段
真人間の世界に入り込んで、最初の平らな場所です。
三郭の下なので四郭かと思いましたが、資料の図には何もナシ。
やっぱり、遺構なのか遺構じゃないのか、見る目がまだまだです。
精進せねば、精進せねばw

⑤三郭から見た主郭
さっきの段から階段を上がった四阿のある所が三郭です。
ここから見た主郭のこんもりが、お城らしくて



変な白亜の張りぼてにしなかった所も、なかなかイケています。

⑥二郭にある春日神社
三郭と並んでいる大きな曲輪が二郭です。
なんか真ん中で幅狭くなってるなぁと思いましたが・・・
1つの曲輪だと思っていましたが、間に竪堀がありました

私、もしかして調子悪い?
きっと公園化で色々いじられているからデス。
草木の茂るいつもの山中でも、やっぱり気付かない気が。
修業が足りませんね・・・

⑥二郭の虎口?
そんな私でも、城キチアンテナが反応した場所があります。
それが、二郭の東端です。
若干つつじの枝に視界を阻まれていますが、土の迷路が見えました。
辿って歩くと、カギ形になって二郭へ入って行きます。
これゼッタイに虎口だと思います(`・ω・´)p

⑦主郭からの眺め
最後に、一番高い所にある主郭です。
カメラを構えたのですが、狭いので展望台の足しか写らず・・・
しかたがないので、上から目線で見下してみました。
ちょっと気分良かったですヾ(*´∀`*)ノ
見通しが良いのと貸し切りだったのとで、空も旅しました♪
◆歴史◆
1532年、藤田重利により築かれたと伝わります。
藤田重利は、後に北条氏邦を養子に迎えた藤田康邦と考えられています。
当時は関東享禄の内乱が終結した頃です。
藤田氏は上杉憲政に味方し、西の丹党・白鳥氏を攻略しました。
同時期に築いた天神山城は、白鳥氏の白鳥神社のある山にあります。
築城当時は根古屋城でしたが、後に北条氏邦が天神山城と改名しています。
白鳥氏の他にも秩父氏らを攻め、秩父一帯を支配下に置いたとされます。
根古屋城(横瀬町)の歴史で秩父氏が登場し、誰?となりましたが・・・
どうやら犬懸長尾氏のようです。
要害山城には、金尾弥兵衛が城主として置かれました。
出自等ぜんぜんわかりませんが・・・
要害山城は、秩父街道が荒川を渡る殿蔵の渡しを抑える位置にあります。
殿蔵は、金尾弥兵衛の蔵があった所と伝わります。
天神山城もこの街道沿いにあり、秩父街道の掌握が目的だったようです。
藤田重利は1546年、河越夜戦の後に後北条氏に降伏しました。
その際に北条氏康の子・北条氏邦を養子に迎えて家督を譲りました。
藤田重利はこの時に用土康邦と改名し、本拠を明け渡しています。
城跡にある説明板では、1560年に愛宕神社が二の曲輪に創建されました。
火伏せの神と導きの神を勧請し、城の守りとして祀ったとされます。
何があったかと思えば、長尾景虎が関東に攻め込んだ年でした。
この時、藤田氏は長尾景虎に味方し、天神山城を攻め落とされています。
北条氏邦が天神山城に入城したのは、その後の1564年です。
藤田氏による秩父統一後も、北条氏邦は城を重視したという事になります。
この頃に、麓の秩父往還を取り込む形に改められたと考えられています。
その後は歴史に登場しませんが、後北条氏と運命を共にしたと思われます。
所在地:埼玉県大里郡寄居町金尾 GPSログダウンロードページ
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コメント
無題
2021/02/17 06:21 by 青空さん URL 編集
Re:無題
クローン、いいですね。
代わりに会社に出勤させたいw
空を飛ぶのはドローン君デス。
2021/02/17 12:58 by なぽ URL 編集