2021/01/28
虎ヶ岡城/埼玉県美里町
虎ヶ岡城は、稜線上に築かれた山城です。訪問日は2021年1月1日です。

①円良田特産センター
山城へ行くときはいつも、どこに車やバイクを停めるか悩みます。
でも、ここなら大丈夫です。
流石に元日は開いてませんでしたが、イイ物手に入りそうです^^
この辺の地名は円良田で、お城の別名も円良田城と呼ばれていました。

②案内
虎ヶ岡城へは、特産センターから道の左側を北へ進みます。
交差点にこの案内がある所で左の脇道へ入ります。


③登山口
住宅街を抜けてしばらく進むと、白いガードレールの橋があります。
路肩が広い所があるので、ここいらに車を停めても良さそうです。
ここからは、正面から左斜めに上がる遊歩道へ入ります。

④築坂峠
遊歩道は傾斜が緩く、楽々と峠まで辿り着きました。
楽勝♪楽勝♪なんて、この時までは思ってましたが・・・

⑤南側の階段
峠から先は徐々に傾斜がキツクなり、ついに苦手なアイツが現れます。
段数数えてたのですが、145まで数えた所で吹っ飛びましたw
こんなキツイ斜面を上がる道は、往時からあったのかが気になります。


⑥南側の腰曲輪
階段を登り切った所が、南側の腰曲輪です。
特に虎口なども無く、いきなり平坦面に出ます。
他の部分の構造からして、やはり往時は無かった道だと思います。

⑦主郭
一段上がると四阿があり、ここが城内で一番高い所です。
周囲の展望も良く、睨みを効かせるのにはとても良い場所です。

⑧東側の腰曲輪
東側を見ると、一段下に広い曲輪があります。
こちら側にも特産センターへと通じる道があり、大手はこちらでした。

⑨東側1つめの堀切
大きめの腰曲輪の端からは、深い堀切様が見えました

キッチリざっくり掘られた、まじめな感じの堀切様です。

⑨東側1つめの堀切
振り返って見たら、堀切と曲輪の段差が圧縮されて凄い高さに!
間がすっ飛ぶと、とても迫力あります




⑨東側2つめの曲輪
堀切の先は細長い尾根ですが、ちゃんと平らに馴らされてます。

⑩東側2つめの堀切
端っこにある堀切です。
斜めなのと凹んでるのとで、慌てて通ると落っこちそうです。
ここに柵を置いて迎え撃つと、守備側がとても有利ですね。

⑩東側2つめの堀切
先程のような光景を思い描いて振り返ってみました。
主郭から距離がありすぎて、堀切の段差しか見えず・・・
これはこれで大好きです

⑩→⑪まで歩いた動画(テキストを追加しました 2021/11/24)
凸形のお城を、真ん中からスタートしてしまいました。
片方の端まで行くと、次に繋げるのがちょっと不自然・・・
ということで、繋いじゃいます。
反対側の端まで歩いた時に撮りました。
視点が頭の高さなので、実際に歩いた気分になれる!と思います


⑪西側の道
ワープして、反対側の端っこから城外を見た所です。
西側が搦手だったと考えられています。
ただ、こちら側にもしっかりした道があります。
後北条流の、道をお城に取り込んだ構造でしょうか。

⑪西側の道
西の端っこからお城側を見た所です。
道が少し低くなっていて、コースが限定された感じがします。
凹んでいるのは、ハイキングで歩く人が絶えないからかもですが。

⑪西側の段差
西側の坂道を上がると、まずは小さな段差があります。
横展開しているので、ここに弓持った兵士が並んだかもしれません。

⑪西側の虎口?
小さな段差の上で、凹んだ道がグネッと曲がっています。
傾斜的にはまっすぐでも上がれそうなので、虎口かもしれません。

⑫西側の1つめの曲輪
虎口っぽい所を上がると、かなり広い平坦面になります。
雰囲気的には倉庫っぽい感じがしなくもないかな?と思います。

⑬西側の1つめの堀切
大きな曲輪の主郭側に、派手に凹んだ堀切があります。
凹凸が激しいので、主郭までの間がデコボコに見えます


⑬西側の1つめの堀切
やっぱり、横顔がお美しいです


⑬西側の1つめの堀切
主郭側から見ると、かなりザックリ逝ってます。
上から槍の雨あられが降ってきそうな地形です。

⑭西側の2つめの曲輪
堀切から見た主郭側です。
削平が甘いのには、どういう意図があるのか興味があります。

⑮西側の2つめの堀切
主郭西側の真下にある堀切です。
こんなに堀切が沢山あるとは思っていませんでした。

⑯西側の堀切から南側の腰曲輪へ
堀切からは、右側に平坦面が続いています。
動画では主郭からまっすぐ下りてしまいましたが・・・
正しいルートは、主郭→南側の腰曲輪→西側の堀切ですね。

⑥南側の腰曲輪から見た主郭
最初に上がって来た腰曲輪に戻ってきました。
変則的ではありますが、これで城内を一周しました。
思いがけずお腹いっぱいの、とても良い山城でした^^
◆歴史◆
鉢形城の支城でした。
築城時期は不明です。
鉢形城への食糧供給が主目的だったと考えられています。
そのため、鉢形城のある東が大手、西が搦手だったとされます。
地理的には、この辺りの大族・藤田氏の勢力圏内です。
また、すぐ東には猪俣城がありました。
そのため、藤田氏または猪俣氏により築かれたと考えられています。
1590年、豊臣軍に攻められました。
小田原征伐の際、後北条氏は兵力を小田原に集中させました。
そのため、各地の城は軒並み捨て置かれたのですが・・・
そんな中、この城には守備兵が置かれていました。
城を守ったのは、矢那瀬大学を中心とする100名程でした。
鉢形城が落城するまでの20日間、真田昌幸の攻撃に耐えたと伝わります。
戦後、矢那瀬大学は麓で帰農し、姓を野原に改めています。
所在地:埼玉県児玉郡美里町円良田 GPSログダウンロードページ
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コメント
無題
2021/01/28 06:16 by 青空さん URL 編集
Re:無題
動画は始めたばかりで、後から見返すと「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と反省ばかりです。蜂、蛇、蜘蛛、蛭、ダニ、毛虫の心配が要らない季節だからこその山城散策ですが、あまり出歩くのも・・・なご時世、早く終息して欲しいもんですね。
2021/01/28 23:16 by なぽ URL 編集