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贄川城/埼玉県秩父市

贄川城は、小学校の裏山にありました。
訪問日は2020年12月30日です。

【位置・再】贄川城

県道37号線から小学校への道に入ります。
さらに行き止まり道に入って一番高い所が登城口です。
小さな山城なので、休憩のつもりで間に入れました。

贄川城【1】
①登城口

切通しの削り残しが中途半端ですが・・・
きっと往時はこっちから城には入らなかったと思います。
城跡へは、削り残しの切通しの幅の狭い左側から行けます。

贄川城【2】
①切通しの削り残し

ここからしか城跡へは行けませんが・・・
上だけ見ると、戸吹城や比丘尼城の激細土橋っぽく見えます。
まぁ、ここで滑り落ちても多寡が知れていますけど。

贄川城【3】
②尾根

ほんのちょっとですが、尾根を登ります。
切通しが無い時にどうだったかがちょっと気になります。

贄川城【4】
③主郭手前にある竪堀

というのも、城跡のすぐ手前に竪堀があります。
こちら側にも備えがあったということですね。

贄川城【5】
③主郭

最初に到達するのが、一番高い所にある一番広い曲輪です。
現代の登城ルートは、往時あったとすれば搦手ですね。

贄川城【6】
③主郭

誰かが付けてくれた城跡の証です。
こんなものでも、あると嬉しいです恋の矢

贄川城【7】
④一段下の曲輪

主郭のすぐ下には、1メートル程低い曲輪があります。
主郭内で段差がある1つの曲輪なのかもしれませんが。

贄川城【8】
⑤もう一段下の曲輪

小学校側には、さらにもう一段あります。
こちら側が往事の表側ですね!
そう思って下を覗き込んだのですが、ただ尾根があるだけでした。
そりゃ、数百年人が通らなければ道も消えますよねあせる


◆歴史◆

不明です

城の正面っぽい南側には、贄川宿がありました。
『新編武蔵風土記稿』では、地名の由来は詳らかならずとしています。
贄川宿は秩父と甲州を結ぶ秩父往還沿いに出来た宿場です。
江戸時代に三峰山信仰や秩父札所巡礼が流行って始まったそうです。
それ以前は獣害が酷く、耕作に向かない土地だと同書にありました。
なので、集落を守ったり、集落を根小屋とする城ではなかったようです。

私なりの考えでは
・塩沢城と熊倉城の間にあり、長尾景春に関連があったかも?
・秩父往還(現国道140号)や県道37号の街道監視かも?
のいずれかではないかと思います。


所在地:埼玉県秩父市荒川贄川 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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