2021/01/18
熊倉城/埼玉県秩父市
熊倉城は奥まった山中にありますが、とてもよく整備されています。長尾景春が最後に籠った山城で、日野要害と呼ばれていました。
訪問日は2020年12月30日です。

熊倉城へは、武州日野駅付近から道があります。
この道は舗装道で、美道専用バイクで走ることが出来ました。
しかし、城跡一歩手前のヘアピンカーブだけは砂利がコロコロしてました。
急坂+砂利コロコロだとタイヤが空回りするので迷いましたが・・・
怖かったのはその1か所だけでした。
ただその先、土砂が崩れて2メートルほど路面を覆っている個所もあります。
平らな場所だったのでそのまま乗り越え、峠まで辿り着きました。
尚、地図では峠から北西へも道が続いていますが、ほぼ砂利道でした。

①登城口
峠は広々としていて、両側に登山口があります。
反対側のほうが色んな案内があって、登山口らしさに溢れています。
熊倉城へは、登山口らしくないこちら側から登ります。

②入口
奥に何か見えるなぁと近付くと、熊倉城跡入口の標柱があります。
何を隠そう私は反対側に登ってしまい、あれ?あれ?となりました。
皆様もお気をつけ下さいw

③城跡への道
城跡まで遊歩道が整備されています。
事前リサーチではすぐに城内に着くはずでしたが・・・
なんだか、ちょっと、高くね?とビビりました。
まぁでも、あそこまで登ればあとは平らに違いねぇ!と気合を入れます。

④最初の堀切が見えてきました
標高を稼ぐのは最初だけで、あとはこんな感じになります。
稜線のような尾根のような、そんな道を歩いていると見えて来ました。
見えますか?^^

⑤最初の堀切
尾根のような稜線のような道が、互い違いのように掘り下げられています。
深さはそんなにありませんが、人為的なものを感じます。

⑥最初の曲輪
堀切の奥は、やや幅の広い平らな面となります。
それまでがこんもりだったので、明らかに形が変わっています。
ここからが城域のようです。

⑦2つめの堀切
すぐに次の堀切が現れます。
今度のはハッキリとした堀切です。

⑧二の郭の脇
堀切の先で遊歩道は、城跡から遠ざかっていくように見えました。
この時はw
こりゃあかん!ということで、上の平らな所に上がりました。
遊歩道は二の郭をなぞっているので、そのまま歩いても大丈夫でしたがw

⑨二の郭内部
広くて平らです^^

⑩堀切
二の郭と本郭の間にある堀切です。
真ん中に土橋があり、そこそこの規模です。

⑪説明板
堀切の右側には、とてもきれいな説明板があります。
これがあるとは知りませんでしたが、望外の成果です


⑫説明板の図 拡大表示
説明板に載ってる図、頂きます

大きく描かれていますが、二の郭の上半分はかなり傾いています。
それにしても、きっちり綺麗に区切っています。
築城者の性格を反映したものでしょうか。

⑬土塁
堀切の本郭側には、低い土塁が巡っています。

⑭本郭内部
ハイ、平らで広いデス^^

⑮本郭西側の段差
左側は緩い傾斜があり、その下は本郭に沿って平らになっています。
腰曲輪、と言われればそんな風にも見えますが・・・
なぜこんな構造してるのかがナゾです。

⑯本郭と三の郭の間の堀切
本郭の奥に行き当たると、三の郭との間の堀切に出ます。
自然な形で残っていて、原形を留めている感じがします。
遊歩道が曲輪の脇に迂回しているのは、そういう意図なのかもしれません。

⑰本郭と三の郭の間の堀切
堀切を三の郭側から見ると、本郭の方が高いのがよくわかります。
幅も本郭の方が広く、三の郭が奪われてもここで防げそうな感じです。

⑱三の郭
三の郭だから、という訳ではないでしょうが三角形です。
削平はやや甘く、奥の方が少し低くなっています。

⑲三の郭北側にある横堀
三の郭の先端から尾根が下っています。
その付け根に横堀があります。
横堀は通路が土橋状になっていて、進路がを限定しています。

最後に、上からも写真撮りました^^
せっかく連れて来たので、ちょいちょい働いてもらってます。
手前が峠で、奥のそれっぽい所が城跡です。
天然の地形ですが、前方後円墳っぽい形をしています

◆歴史◆
長尾景春の乱で登場します。
長尾景春は、関東管領・山内上杉家の家宰・長尾景信の子です。
当時の山内上杉家は古河公方・足利成氏と20年ほど争っていました。
1476年に長尾景信が没すると、上杉顕定は長尾忠景を家宰としました。
これに反発した長尾景信の嫡男・長尾景春が、謀反を起こしました。
・・・有名な乱ですし、詳細は割愛します。
1478年7月に鉢形城が陥落し、長尾景春は児玉郡や秩父郡で抵抗。
1480年1月に夜襲で塩沢城が攻め落とされると、熊倉城に移りました。
そして1480年6月、水の手を絶たれ落城。
『新編武蔵風土記稿』では瑞巖寺の岩窟で生け捕られたとあります。
長尾景春はその後古河公方・足利成氏を頼り、再起を図ります。
その後の熊倉城については記録がありません。
所在地:埼玉県秩父市荒川日野 GPSログダウンロードページ
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