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古御嶽城/埼玉県横瀬町

古御嶽城は、石碑が沢山ある比高270メートルの山城です。
訪問日は2020年12月29日です。

【位置・再】古御嶽城(全体)

古御嶽城へは、石灰石の採石工場脇から登れます。
ただし、周辺にはバイクですら停められそうな所がありません。

古御嶽城【1】
①猿田彦神社の前

ストビュー見まくって、北東の猿田彦神社前に停めました。
ここから西へ向かって歩いて行きます。

古御嶽城【2】
②登城口

猿田彦神社前の道を進むと、大きな採石場っぽい所に出ます。
その出入口の左脇に、山中へ入っていく階段があります。
古御嶽城へはここから登れます。

古御嶽城【3】

一応送電鉄塔の保守路のようですが・・・
はっきりした道は無く、何となく尾根の真ん中を登ります。
この傾斜のキツさで、いきなり息上がります。

古御嶽城【4】
③鉄塔前の広い場所

キツイ尾根を登り切ると、嘘のように平らな場所に出ます。
ここが城跡、、、という事はなく、奥に鉄塔があります。
この広さは自然地形のようですが、お城の何かがあったかも。
横幅が広く道が無いので、戻って来た時に帰り道がどこか迷います。
登って来た所に目印を付けることをお勧めします。

古御嶽城【5】
④再び尾根

鉄塔前の広い場所からは、とりあえず奥へ。
そして、目の前にある尾根をひたすら登ります。
ズンズン登ると、尾根は右へカーブします。
その先で、左から右へと尾根が走っています。
こっちの尾根の方が傾斜が緩く登りやすそうですが・・・
地図で見ると、そっちの尾根は工場のド真ん中でブッた切れます。
なので、そちらから登ることは出来なさそうです。

古御嶽城【6】
⑤岩の壁

尾根をぜーぜー登ると、目の前を岩の壁が阻みます。
右の脇も、左の脇も、ほぼ垂直な岩の壁。
うわ、無理wwwなんて弱音が出ますが・・・
じぃっと見てると、城キチにはだんだんと見えて来ます。
上がる道!
岩の壁よく見ると、真ん中がV字形になっています。
登ってみたら、右斜め上に上がれました。

古御嶽城【7】

岩の壁を登り切った所です。
この辺から、やたらと石碑があります。
とは言っても、まだちょっとキツイ尾根が続きます。

古御嶽城【9】
⑥曲輪!

尾根を登り切ると、端っこに石碑があります。
そこから細長い平坦地が奥へと続いています。
30分かけて、ようやっと山上の曲輪に出ました!

古御嶽城【15】
⑦左側の腰曲輪

上がってすぐの所から、左脇に腰曲輪が見えます。
削平はかなり甘いですが・・・

古御嶽城【16】
⑦もう1つ下の曲輪

傾斜のあまあまな曲輪の下にもう一段、もっと大きな曲輪があります。
キツイ尾根やキツイ尾根やキツイ尾根と岩の壁だったのに・・・
こんな平らな場所があるのが信じられませんでした^^

古御嶽城【10】
⑧上がってきた曲輪の奥

元の細長い曲輪に戻り奥へ進むと、真ん中に小さな石碑があります。
何となく主郭っぽさを感じてガッツポーズでした。

古御嶽城【11】
⑧石碑のすぐ後ろ

だいぶ城跡らしさを感じられたのですが、すぐ裏に堀切様がラブラブ
平らな細長い曲輪をブッた斬る感じでいらっしゃいます。
断面を見た感じでは、岩を削った力作のように見えます。

古御嶽城【12】
⑨主郭

堀切の奥にもまだ続きがありそうで進みました。
すると標柱と大きな石碑のある曲輪に出ました。
これだけ色々あると、ここが主郭っぽいです。
これまでは石碑だけでしたが、ここで初めて標柱が。
こんな大変な所に立てるなら、案内も欲しい所デス。

古御嶽城【13】
⑩主郭の向こう側

細長い尾根がまだまだ続くので、つい欲が出ます。
こういう地形見ると、まだいらっしゃるのでは?とつい期待しますラブラブ

古御嶽城【14】
⑩主郭の奥の堀切

そうしたら、ありました!
たぶん、堀切です恋の矢
ここだけ凹んでいるので、そういう事に!
これだけ高い所でも、裏から攻められたら大変ですから。
大机山の山頂は、まだまだこの先にあります。

【位置・再】古御嶽城(城内)

岩の壁から先の城内の軌跡です。
道の定まらない尾根は、やっぱり右へ左へブレています。
岩の壁から最初にとりついた曲輪、30メートルも登ったんですね・・・
1日中山城ばかり巡った後なので、トドメのようなキツさでした。
この後、さらに根古屋城にも行きましたけどw


◆歴史◆

根古屋城の支城だったと考えられています。

根古屋城は、古御嶽城から北北東に約1kmの所にありました。
築城時期は不明ですが、1515年に上杉憲房により復興されました。
武蔵国だったのですが、山内上杉家の支配地域だったんですね。

古御嶽城で伝わっている事は、1546年の出来事だけです。
当時、古御嶽城は山内上杉家臣・永田外記の居城だったそうです。
河越夜戦で敗れた山内上杉憲政は、しばらく根古屋城に滞在しました。
この時「小御嶽ら物見をす」とあり、物見の城だったようです。
やがて平景光が挙兵し、山内上杉憲政を攻めました。
山内上杉憲政は逃れ、永田外記が中野という所で討死しています。

永田外記は、ほぼ上に書いた事しかわかりませんでした。
何しろ「土人の伝へには」ですからねあせる
武甲山御嶽神社の縁起では、戦国時代に焼失したそうです。
この時に、根古屋城や古御嶽城の記録も燃えてしまったかもしれません。

平景光をググって出てきたのは
・犬懸長尾氏族で秩父姓を名乗っていた(長尾氏は平氏です)
・養子の北条氏康の四男・氏邦が秩父新太郎氏邦と名乗った
ぐらいです。
北条氏邦の養父として有名なのは藤田康邦ですが・・・
武蔵七党・猪俣党の出身で、秩父姓は名乗っていないそうです。
「邦」の字は藤田康邦から継いでそうなので藤田→秩父→北条かもです。

根古谷城はその後、後北条家の城として存続しました。
1572年までは朝見氏が城主でしたが、その前後が?です。
小田原征伐の時に攻められ開城したと伝わり、その時まで続いたようです。
根古谷城の物見だったっぽい古御嶽城も、同様だったと思われます。


所在地:埼玉県秩父郡横瀬町横瀬 GPSログダウンロードページ

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コメント

無題

案内板、駐車場も無く大変なお城ですね。よっぽどマニアの人しか来ないのでしょうか。今は石碑と曲輪が当時を語っていて、ロマンを感じます。お疲れさまでした。

Re:無題

>青空さんさん
私はこういう城跡が大好きです(^^)
季節を選ぶので今が旬なのですが・・・
次は来年になっちゃうかもしれません(^_^;)
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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