2021/01/12
本陣山城/埼玉県飯能市
本陣山城は、川沿いにある尾根上に築かれていました。訪問日は2020年12月29日です。

本陣山城は、いよいよ本命の道なき城跡です。
②から③はひたすら高い所を目指し、あとは尾根伝いです。
尚、東側の尾根を下から登った方もいらっしゃるようで・・・
これを知ったのがこれを書いてる時。
行く前に知ってたらそっちから登ったのに残念!

01 路肩
本陣山城へは、西側からアプローチしました。
城跡探訪者用の駐車場は無いので、私は路肩を利用しました。
ここから奥に写っている橋を渡り、右の駐車場の突き当りまで進みます。
そこから左斜めの道を上がると、お墓があります。

02 登城開始
ここからは道は無いので、お墓を避けて斜面を登ります。
斜面直登は傾斜がキツイです。
何となく先人が辿ったっぽいジグザグをなぞり、少しずつ登りました。
そうなると感じた時に、どこに下りればよいのか目印を付けました。
帰りは目印を回収しながら、同じルートでジグザグに下りました。

03 西側の尾根に到達
そんなこんなでようやく西側の尾根に到達。
尾根上は斜面とは違って、一番高い所を辿ればokです。
傾斜が直登の時よりも緩く感じますが、それなりです。

04 東側の尾根へ
西側の尾根を左にカーブしながら辿ると、真正面を横切る尾根が現れます。
城跡はあっち側の尾根を下った所にあります。

05 最初の堀切
下った分また登り直すんだと思いながら下ると、正面に見えて来ました。
ある1点を境に、向こう側がムンッ!と高くなっています。

06 最初の堀切
道も案内も何も無い山の中だとだんだん心配になって来ますが・・・
堀切様がいらっしゃると、一気の心のモヤモヤが晴れ渡ります

だからと言って心が清らかになる訳ではありませんがw

07 堀切の先の曲輪
堀切から先が城内、ということになるようですが・・・
尾根が多少平らに馴らされてるかな?という感じです。
地形的にこれ以上広くは出来ないですけどw

08 2つ目の堀切
今度はもっと大きな堀切様が現れました

真ん中には土橋が通され、一本橋のようになっています。

09 2つ目の堀切
土橋があるので、真横から見てもザックリ感がありません。
ひと目見た時からそうだとはわかっていましたが・・・
ほぼ条件反射で、落ちそうになりながら脇へ回ってしまいます。

10 2つ目の曲輪
堀切の先には小さな曲輪があり、城塁の足元に小さな石宮があります。
ここでも二礼二拝一礼のご挨拶です。

11 主郭
石宮の先にある曲輪です。
ここが一番広かったです。

12 主郭先端の下にある段
主郭先端からは、尾根が下っています。
上から見て「尾根下ってるなー」で終わるハズでしたが・・・

13 3つ目の堀切
上から見た尾根から先がザックリ見えず、もしやと思って下ってみました。
そしたら、ここにも堀切様いらっしゃいました

傾斜が急なので、上から見ると隠れてしまうんですね。

14 堀切の先の尾根
もうこれでおしまい!と思いもう1枚撮ったのですが・・・
なんだか真ん中に段差がありそうな感じ!ということで再び下ります。

15 尾根を塞ぐ大きな岩
今度は堀切様ではありませんでしたが、大きな岩が段差になっていました。
上から見た時「これ下りるの無理」と思ったのですが・・・
見える時には見えちゃうんですね!
上から見て左端から、下りられそうな足場がありました。
そのまま斜めに下り、岩の下まで来ることができました。
下から見ると、まさに岩の壁です。
斜めに登るのは、そんな風に彫ったのでしょうか。
これはこれで、虎口の役目を果たしそうです。
◆歴史◆
ここも不明です

名前が戦時の一時的な城のように聞こえます。
尾根を登った先の頂上が本陣山なので、地名をとったかもですが。
ただ、城主や築城時期が伝わっていないので、陣城の可能性大です。
説として挙がっているのが、1530年の吾那蜆城での戦です。
吾那蜆城は今なお所在地が不明なままのお城です。
後北条家の重臣・遠山景直が兵を率い、河越城を窺った城です。
しかし、奇襲攻撃がバレ、逆に吾那蜆城が扇谷上杉軍に奇襲されました。
遠山景直は兵を退き、勢いに乗った扇谷上杉軍がさらに南下しました。
吾那蜆城の「吾那」は吾野の古い地名だったそうです。
範囲は越生町の大半と飯能市我野までのかなり広い地域を指しています。
最有力候補は大築城だそうですが・・・
余勢を駆って川崎や世田谷まで攻め込むような場所ではありません。
そうなると、ココの近所から出発しても大して変わらないのですが

近くで戦がありました
天文年間(1532-55)に、後北条軍が扇谷上杉方の岡部氏を攻めました。
その岡部氏が拠ったのが、南東約4kmにある龍崖山です。
岡部氏の屋敷はその中腹にあり、長辺60メートル程の大きなものでした。
それなりに兵力のある強敵だったようです。
本陣を構えるのは麓だと危険で、少し離れた所にするかもしれません。
前面に堀代わりの川が流れ、街道の目の前にあるココが良さげです。
攻められた岡部泰忠は、後北条軍に対し兵を出して迎撃しています。
もしかしたら、対岸から本陣山城目がけて矢を放ったかもしれません。
・・・あくまで一匹の城キチの推測ですけど
所在地:埼玉県飯能市南川 GPSログダウンロードページ
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