2021/01/09
大河原城/埼玉県飯能市
大河原城は、龍崖山の山頂にありました。訪問日は2020年12月29日です。

①登城口・八耳堂
「りゅうがい」シリーズ追加!と意気込んでやってきました。
大河原城は、龍崖山(りゅうがいさん)の山頂にあります。
現地での標示が特になければ「龍崖山城」と紹介するつもりでしたが・・・
説明板があり「大河原城」表記だったので、野望は潰えましたw
登城口としてメジャーなのが、北東の麓にある八耳堂です。
八耳堂側は駐車お断りで、前の道も駐車禁止です。
真正面やや右に敷地の広い民家があり、入口に駐車場と書かれています。
一応有料で、ストビューには「1日300円」と写っています。

①八耳堂と軍荼利神社の説明板
城跡やその周辺にある神社やお寺は、お城と関係あることが多いです。
「歴史不詳」と紹介されてるお城でも、何かが掴めることがあります。
ここもやはり城主様との関係大で、説明文の半分を占めています。

①軍荼利神社
八耳堂から城跡へは、まず軍荼利神社へ進みます。
名前からして、戦国時代っぽさが漂います。
恒例の二礼二拝一礼のご挨拶を済ませ、いざ城へ!

②第一ロープ坂
軍荼利神社からは、ゆるゆるゆったりな坂道でした。
さすがハイキングコース!楽勝!と思ったのも束の間・・・
すぐにこんなのが現れました。
「ロープ坂」という名前だけでもキツそうなのに「第一」までw
第二、第三がありそうだと、さっそく何かがポッキリ鳴りました。

③三四郎平
第一ロープ坂を息を切らしながら登り切ると、大きな平坦地に至ります。
三四郎平と呼ばれる曲輪で、大河原氏の屋敷があったとされる所です。
平時の居館でも、かなりキツイ所に住んでたんですね。

③第二ロープ坂
第一があった時から覚悟はしていましたが、やはり第二ありました。
折れそうな心を「ここまで来たんだから、あと少し!」と頑張ります。
とても、年末年始シリーズ1発目とは思えないヘタレぶりです


④主郭
第二ロープ坂を登り切ると、傾斜が少し緩くなります。
道が分岐していましたが、そちら側には特に何も見当たりません。
主郭の城塁に付けられた細道を上がり、ついに攻略です(*´▽`*)
山頂は木が伐採されており、とても眺めが良いです。
初日の出に備えてか、飾りつけをされてる方がいらっしゃいました。

④説明板
小さな城跡ですが、ちゃんと説明板があります。
表記が「龍崖山城」だったら、「りゅうがい」シリーズだったのですが


④主郭から堀切への道
大河原城は、事前リサーチで見つけた図に堀切が3つ描かれていました。
南側の堀切へは、ココから見に行けます。

⑤南側の堀切
主郭から下ってすぐの所に、超べっぴんさんいらっしゃいました

遊歩道は堀底を通っており、虎口の役目も兼ねていたようです。
さらに南側には尾根が続きますが・・・
眼下に大きな工場があり、尾根自体もかなり改変されているようです。

⑥西側の尾根
2つ目の堀切様に会うべく、今度は西側へ。
道は不明瞭ですが、踏み跡を辿る感じで下ります。
それっぽい細尾根は続いているのですが・・・
肝心の堀切様は見付けられませんでした_| ̄|〇

最後は、南側と同じくらい大きく描かれていた北側の堀切様です。
こちら側へ下れそうな所が見当たらず。
唯一それっぽいのがココでした。
連戦錬磨の猛者ならここを平気な顔して下るのでしょうが・・・
シティーボーイの私には、ここに足を踏み入れる勇気がありませんでした。
ということで、大河原城ですんなり見ることの出来る堀切は1つです。

大河原城で私が歩いた軌跡です。
小さな山城なので、割と素直に描けています。
三四郎平は、等高線的には左側の方が良さげに見えます。
現地の地形は、実際に足を運ばないとわからないものですね。
◆歴史◆
大河原氏の城と伝わります。
築城年代は不明です。
麓の軍荼利神社は、鎌倉時代初期に大河原四郎が創建したと伝わります。
平時は殿屋敷で暮らし、戦時の備えとして龍崖山に砦を築いたとされます。
殿屋敷は三四郎平ではなく、八耳堂から500メートル程西にありました。
大河原氏は児玉党あるいは丹党の一族で、秩父を本拠としました。
鎌倉時代初期なので、領地の地名を姓にするのが一般的な時代です。
合併して飯能市になる前は大河原村でしたが・・・
『元亀天正年間絵図』では「軍荼ヶ根村」だったそうです。
つまり、大河原氏が居た当時の地名は「大河原」ではありませんでした。
「大河原村」の初見は『慶長三年検地帳』です。
これらから城キチ的妄想をこねると・・・
・軍荼利神社を創建した大河原四郎は、龍崖山や殿屋敷を築いていない。
・戦国時代に当地に大河原氏が配置され、龍崖山に城を築いた。
といった所でしょうか。
小倉城も城主は不明確ですが、有力城主候補の姓が地名となっていました。
後北条家臣の大河原氏が、城主として配置されたのかもしれません。
所在地:埼玉県飯能市大河原 GPSログダウンロードページ
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