2020/10/20
烏ヶ森城/高知県北川村
烏ヶ森城は無名の城ですが、真夏でも大きな堀切が見られる山城です。訪問日は2018年8月6日です。

①登城口前
とにかくすごい山奥ですが、目の前まで舗装された林道があります。
細い道だったので車停められるか心配でしたが大丈夫。
城跡へと続く山道の前に、かなり長い離合帯があります。
その端っこに停めて、ここから徒歩です。

未舗装の林道を進むと、②の所でさらに細い道が分岐しています。
城跡へはこっちの細い道へと進みます。

③遊歩道
とはいえ、普段の山城とは比べ物にならないくらいに綺麗な道です。
真夏でも安心して山城を攻められるのは嬉しいです

実はこの道、かつては旧柏木村への1本道でした。
柏木村が山と川に挟まれていたためです。
幕末の志士・中岡慎太郎も、この道を通っていました。

④二重堀切
車を降りてから10分程で、地形に変化が現れます。
突然現れた橋と階段は、山城の堀切と切岸です。
堀切の手前にも、わずかながら石積みが見られます。

⑤1つめの堀切
堀切なので、人が歩かない所へw
やっぱりこの角度が最高です


⑥2つめの堀切
そして、堀切の向こう側の切岸です。
堀切があるので、往時はこんなに通りやすくはなかったでしょうが・・・
どんなだったんだろう?と妄想が膨らみ始めます。
でも、この階段は階段であるだけでなく、橋でもあります。

⑦切岸の上から見た二重堀切
手前からは見えませんでしたが、上から見ると二重堀切です。
これ、かなりエグイです


⑧烏ヶ森展望台
二重堀切を渡った先に、舞台状の展望台があります。
ここが主郭のようです。
木々に囲まれてはいますが、麓の様子がとてもよく見えます。

⑨手前から見た虎口
主郭から奥へ進むと、段差を下りる所があります。
平たんな曲輪の端っこから、細い道が続きます。

⑩奥から見た虎口
反対側から見た所です。
山城ではよく見る構造ですね^^

⑪手前から見た堀切
さらに奥へ進むと、再び大きな堀切が現れます。
この写真だとそんなに深いように見えませんが・・・

⑫奥から見た堀切
立体感が無く写ったので浅く見えましたが、こんなに高いです。
堀切自体は浅いですが、切岸の足元が掘られています。

⑬展望台の案内
どこまでが城域なんだろうと奥へ進むと、展望台の案内が。
通り過ぎたので矢印が後ろ向きですが、私が来た方にはありませんでした。
奥から来るのが一般的なのでしょうか?


⑭浅い堀切
細い尾根道を進むと、浅い堀切があります。
堀切なのかどうなのかが?なレベルですが・・・

⑮まだまだ続く遊歩道
さらに進みますが、城跡らしい構造物は無し。
どうやらさっきの堀切?が最後のようです。
道は北側の中岡慎太郎の故郷へと続きます。

写真のだいたいの位置はこんな感じです。
1枚1枚書き込むとゴチャゴチャしますね

◆歴史◆
安芸家臣・北川氏の城でした。
築城年代等は?ですが、安芸家臣・北川氏の城でした。
事績等サッパリ???ですが、多くの家臣を抱える大身だったようです。
ググって名前が出てきたのは、戦国時代の北川玄蕃頭だけです。
北川玄蕃頭の名は北川道清で、安芸国虎に仕えていました。
主家亡き後も、長宗我部軍に抵抗を続けました。
1569年、長宗我部元親に攻められ落城しました。
長宗我部元親が安芸国虎を攻め滅ぼしました。
多くの安芸家臣が内応したため安芸城が陥落。
安芸国虎は、城兵と家臣の助命を条件に自害しました。
安芸家臣の多くは長宗我部元親に従いましたが、北川道清は抵抗しました。
24日間に渡る激闘の末、単身敵陣に突撃して討死したそうです。
所在地:高知県安芸郡北川村柏木 GPSログダウンロードページ
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