2020/09/27
四稜郭/北海道函館市
四稜郭は、五稜郭支援のために築かれた野営陣です。訪問日は2009年8月16日です。
かなり昔なので、現状とは合ってない所が多々あるかもしれません


北海道ツーリングへ行く時に存在を知り、気になって立ち寄りました。
地図を片手に迷い迷い走ると、この案内が現れとても安心しました。
形がやっぱり・・・ですね(#^^#)

ようやく到着です。
目の前には立派な石碑があります。

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説明板もちゃんとあって、図も載っています。
パッと見は前方後円墳っぽいですが、内側にちゃんとあります。

石碑の後ろに写っていましたが、最初に見たのはこんな感じです。
思った程土塁は高くありませんが、向こう側は見えない横一線です。

土手っぽい写真1枚では飽き足らず、いいアングルを求めて歩きました。
1か所だけある虎口がココです。
もうちょっと欲張って真ん中に大きく撮れば良かった・・・
こういう反省を繰り返しながら、腕を上げるしかありませんね


土塁の角に上がって、内部を見渡してみました。
五稜郭のようなタワーが無いので、なかなか「四」を実感出来ません。
今行けば、間違いなくドローン飛ばして空撮しますが・・・
11年前ですからねw

どうにか西洋式稜堡を実感したい!
そんな思いで撮った出っ張りです。
トンガっていますよね?
◆歴史◆
1869年、函館政権により築かれました。
当時は、旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争の最中でした。
北へ北へと追い詰められた旧幕府軍は函館に集結。
五稜郭を拠点として、最後の抵抗を続けていました。
この時、五稜郭を支援するための拠点として築かれました。
兵士200人と近隣住民100人で突貫工事により数日で完成。
井戸は無く、籠城には向かない野戦用の陣でした。
5月11日、新政府軍が五稜郭への総攻撃を始めました。
旧幕府軍は四稜郭にも兵を置き、新政府軍に備えていましたが・・・
四稜郭と五稜郭の間の拠点が、長州軍の攻撃により陥落。
退路を断たれることを恐れた旧幕府軍は、五稜郭へと撤退しました。
一週間後の5月18日に旧幕府軍が降伏し、四稜郭は役割を終えました。
国の史跡に指定されました。
1934年に国の史跡に指定されました。
函館戦争後は特に手入れもされず、周囲は畑となっていました。
土塁の一部は崩されていたそうですが・・・
1973年に整備され、崩されていた土塁も復元されました。
所在地:北海道函館市陣川町
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