2020/08/31
種里城/青森県鰺ヶ沢町
種里城は、大浦氏発祥の地です。訪問日は2018年5月4日です。

種里城跡は観光地となっていて、とても目立ちます。
そりゃぁ、津軽のお殿様の出身地ですからね!

まぁでも、居城としたのは初代のみ。
なので、館の名前も初代様のものです。

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上の説明板に載っている図です。
曲輪が沢山あったんですね・・・
目の前にある谷が、実は堀跡だったりします。

入口からこんな山道を歩きます。
大げさに書いてますが、ほぼこれだけな感じです


あっという間に主郭に到着。
応仁の乱が明けた頃のお城ですからね。
まだ城攻戦は無かった時代、かも?

館の前には銅像があります。
こんな浴衣があったら欲しいです


館のある平坦面だけではないのが種里城です。
主郭の周りにも色々あります。
時計回りに雑木林の中の道に入ると、早速ありました。
ダム状の細長い土橋のような土塁のような・・・

上を歩いてみたら、途中でボコっと堀切がありました。
やっぱり、ここは歩いて欲しくなかったみたいですねw

元の道に戻り、さらに奥へと進みます。
堀底道のように見えますが、ただの水の通り道のような・・・

そんな道でも、ちゃんと裏まで続いています。
裏側は、主郭の城塁の途中にある腰曲輪な感じです。

この目立たない所に、城主様のお墓があります。
すぐ近くには、お気に入りの家臣のお墓もあります。

さっきの山道は、主郭の周りを巡って主郭の反対側に戻って来ます。
建物のある所が館跡だと思っていましたが・・・
裏に回ったら見てしまいました、地面に並ぶ柱の跡!
脇にある説明板によると、ここに主殿があったそうです。
少なくとも4回以上は建て替えられた跡があるそうです。
◆歴史◆
1491年、大浦光信により築かれました。
南部氏が安東氏に備え、津軽西部に配置したとされます。
大浦光信は南部一族である久慈氏の出身と考えられています。
当時は南部光信または種里光信と呼ばれていたようです。
南部氏と安東氏(安藤氏)は津軽を巡り、南北朝時代に激突。
1453年に安藤盛季が蝦夷へ逃れ大勢が決します。
ただ、南部氏が津軽郡代を置くまで40年以上かかっています。
その間、安東氏による津軽奪還の攻撃が続いたと思われます。
1502年、大浦光信は大浦城を築き、養子の大浦盛信を城主にしました。
当人はその後も種里城に留まり、1526年に没しました。
「死後も西の備えたらん」と遺言し、鎧のまま葬られています。
主郭の裏に墓地があったのは、安東氏側を睨んでいたんですね。
その後の大浦氏は大浦城を本拠とし、津軽で勢力を拡大。
1590年には南部家から独立し、大名・津軽氏が誕生します。
種里城は、廃城後も津軽氏の聖地として大事にされたそうです。
所在地:青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町字大柳 GPSログダウンロード
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