2020/07/20
乳井茶臼館/青森県弘前市
乳井茶臼館は、展望台となっています。訪問日は2018年5月5日です。

茶臼館への入口はココです。
道端のお堂の前に駐車場があります。

そのすぐ近くに案内があります。

案内の指す先のセメント農道を上がります。

セメント農道は段々になったリンゴ畑に続きます。
この段々、畑のかもしれませんが、城の遺構かもしれません(`・ω・´)

頂上に近づくにつれて、段差も顕著になります。
ここなんかもう、虎口っぽさが隠し切れません


一番高い所には、立派な四阿があります。
展望台というだけあって、視界はかなりいいです。

頂上の後ろは、ちょっとグダグダとした感じ。
ここは籠って守ろうというより、物見台という感じです。

茶臼館から見た乳井古館です。
ここから見た感じだと、古館を攻める時の付城っぽい感じです。

反対に、古館側の乳井神社から見た茶臼館です。
斜面の段々が、駆け上がれない仕掛けに見えてきます。
古館も茶臼館も乳井氏の城とされますが、関係が?です

◆歴史◆
天正年間(1573-92)に大浦為信が築いたとされます。
勢力圏でいえば、福王寺別当・乳井氏の本拠の目の前です。
乳井氏は南北朝時代から福王寺別当を務め沙門大名と呼ばれていました。
1565年に乳井玄蕃が滝本重行に暗殺され一時衰えましたが・・・
1571年に子の乳井建清が反撃に転じます。
滝本重行は、南部家の重鎮・北信愛の孫を預かる勇将でした。
滝本重行が乳井氏領との境に築いた高畑城を攻略。
時を同じくして南部家にキバを剥いた大浦為信に臣従します。
乳井建清は、自ら奪った高畑城の城主となります。
1575年、南部信直が滝本重行に高畑城攻めを命じました。
乳井建清は善戦し、南部軍から城を守り切りました。
大浦為信が乳井茶臼館を築くとしたら、この時期かもしれません。
乳井城や乳井古館が包囲されないよう、後方を固めるのにいい位置です。
翌年正月、大浦為信は滝本重行の虚を衝き大光寺城を奪取します。
滝本重行は居城を失い、出羽へ逃れたと思われます。
1579年、比山六郎が本陣を置きました。
比山六郎は、元・大光寺城の城主・北信愛の孫です。
弟の七郎、育ての親の滝本重行と、智将・北畠顕則を従え攻め込みました。
北畠氏は大浦為信に滅ぼされた浪岡北畠氏の一族です。
比山六郎の狙いは大光寺城の回復で、安東愛季の力を借りて攻め込みました。
大浦為信は、浪岡北畠家を滅ぼしたことで安東愛季と対立していました。
この時乳井建清が留守だったため、乳井茶臼館・古館・乳井城は陥落。
比山勢は乳井茶臼館に本陣を置きました。
対する大浦為信も兵を集め応戦。
乳井城のすぐ北を流れる六羽川周辺で両軍が激突しました。
比山勢は大浦為信をあと一歩で討ち取る所まで追い詰めました。
しかし、大浦為信は態勢を立て直して比山六郎を討ち取ります。
総大将を失った比山勢は総崩れとなり、出羽へ撤退しました。
これ以降、乳井茶臼館は歴史に登場しなくなります。
所在地:青森県弘前市大字乳井字茶臼館 GPSログダウンロードページ
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