2020/05/30
田頭城/岩手県八幡平市
田頭城は、遊具の並ぶ公園になっています。訪問日は2017年5月5日です。

駐車場からの登り口です。
ストビューだともっと引いたアングルで、全体が見えます。
何だか裏口っぽいな~なんて思っていたら、やっぱりそうでした。
東側の郵便局脇が大手口っぽい感じがします

そちらには、かなり広い駐車場があります。
たぶん私は、歩く距離が短いからこっちに来たんだと思います。

城跡は公園となっていて、遊具がたくさん並んでいます。
見た目が綺麗なので、割と新しめな感じがします。

裏から登っているという自覚はたぶんなく、さすが山城♪と登ります。

1つ上の曲輪からは、主郭までショートカットする階段があります。
絶対に往時の通路ではあり得ませんが・・・
当時の私には、唯一と思っていた通路なのでココから上がりました。

ということで、アッサリ主郭に到着です。
綺麗に整備されていて、とても散策しやすい公園です。
訪ねた時にはほぼ散っていましたが、桜の木が沢山植えられています。

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上の写真で奥に見える緑色の説明板に載っている図です。
等高線付きだと詳しく見えますが、ザックリ描かれています。
わかっている人にはわかるんでしょうが・・・
なんとなく、草履の真ん中に土踏まず的な堀切があるように見えます。

城跡で説明板を見つけたら、必ず裏も見るようにしましょう!
こんなことが、割とボチボチあったりします。
こっちの方が年季入ってますが、捨てるに捨てられずな感じがします。

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こちらにも図ががあります。
かなりザックリに見えますが、先ほどのものよりわかりやすいです。
公園として整備されているのは二の丸と本丸のようです。
図の通りだとすると、実はかなり広大なお城だったようです。

本丸は、真ん中がポッコリと高くなっています。

キョロキョロしていたら、端に橋が見えました。
橋があるということは、渡れというコトです(`・ω・´)

橋の下には、クッキリと堀がありました

上の図でゾウリムシが切腹してるのがココです。

深さは人の背の高さ程ですが、明確に本丸を二分しています。
公園として整備する時に、よくぞ残してくれました!と拍手喝采です。
ブルドーザー操ってたら、何となく埋めたくなっちゃう浅さですからね。

一段低い方の本丸です。
四阿がありますが、土塁も見えます。
全般的に城跡らしさが残された感じに見えます。

上から見た所です。
帯状に本丸を囲んでいるのが見えます。
高低差がかなりある上、傾斜もキツイです。
この高さなら、上に居る守備側が圧倒的に有利ですね♪
◆歴史◆
田頭氏の城でした。
田頭氏は岩手郡代を務めた工藤氏(厨川氏)の一族です。
葛巻信祐が次男に田頭の地を与えたのが始まりです。
母親が雫石詮員の娘なので、1540年代以降ですね。
(雫石氏は1540年頃に斯波家から派生した一族です)
よく南部家臣と紹介されますが、元は高水寺斯波家臣だったのでしょう。
1591年、落城しました。
九戸政実が謀反を起こした際、田頭直祐は南部家側でした。
そういえば、厨川氏も南部家方でした。
当時の南部家は三戸を本拠としており、九戸家の方が近かったです。
そのため九戸方の平館城主・一戸政包に攻められ落城しました。
田頭直祐は搦手から脱出しましたが・・・
追手に追いつかれ自害しています。
田頭城はこの時に廃城になったようです。
所在地:岩手県八幡平市田頭字館山 GPSログダウンロードページ
岩手県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント
無題
よく父から田頭の城は西根町にあったと聞かされていました。
最近、私自身でも調べましたら、南部藩の時期藩主の件で、南部藩側に加担したら 九戸政実に追い込まれたとか。。。
女・子供は落人となり、樋ノ口地区(現 一戸町)に逃げたと。。
今でも、一戸町樋ノ口は田頭の苗字が多いです。
今度、里帰りしたら田頭城を観に行きたいと思います。
有難うございました。 田頭 真弓
2020/12/02 18:22 by 舞pace URL 編集
無題
ネットで探しても出てこないお話が伝わっているものなんですね。九戸政実は単独では南部本家を圧倒していたので、当時の人々はどちらに味方すれば生き残れるか、さぞ難しい選択を迫られたことと思われます。ご先祖様、大変でしたね。
2020/12/02 20:40 by なぽ URL 編集
無題
お返事有難うございます。
なぽさんの このブログを私のFacebookでご紹介させて頂きました。
もし、差し支えある様でしたら 削除致します。
Facebookは『田頭真弓』です。
何卒よろしくお願いいたします😊💖
2020/12/04 10:56 by 舞pace URL 編集