2020/05/25
志波城/岩手県盛岡市
紫波城は、坂上田村麻呂が築いた鎮守府でした。訪問日は2017年8月7日です。

古代城柵・紫波城跡は、バッチリ復元されています

外郭南門の外側に、超オサレな奴が立ってます。
私的には銀ギンの奴は外して、文字は手書きが良かった・・・
そのうちバーチャルでなんて、創造欲が掻き立てられます♪

外郭南門の外側には、モニュメントが沢山あります


拡大表示
ここにある図を拝借します♡
中心にある政庁を、正方形の外郭で囲むおなじみのスタイル。
ですが、その一辺が川です。
このパターンは初めてです。
ただ、この構造が後に悲劇を引き起こします


外郭城壁の外側に、一直線に溝が掘られています。
この溝、ただ溝があっただけでしょうか?
リアルを撮った写真を見て、脳内でいろいろ足しちゃってますw

外郭の城壁です。
南門の近くは土壁ですが、少し離れた所は木で表現しています。
ちょっと大きめな生垣でしょうか

物見櫓はあるので、ここはもうちょっと頑張って欲しかった・・・

外郭南門付近の城壁です。
やっぱりこうでなきゃ♪

外郭南門の内側です。
両端の梯子とか、手作り感溢れています。
ミニチュア造ってみたくなります♪♪♪

外郭南門から見た政庁です。
木で視界が遮られているせいか、小じんまりとして見えます


拡大表示
政庁南門の前にも、色んなパネルがあります。
その中に、上空から撮った政庁の写真があります。
文字の配置が絶妙で、見やすくてわかりやすい!
私もこういうの作りたいです(`・ω・´)

拡大表示
イイモノばかりだったので、さらにもう1枚パクリます。
イラストなので、フルに復元されています。
古代政庁なので、基本真四角です(#^□^#)
周りにポツポツある建物は兵舎でしょうか。

政庁の南門です。
近くで見ると、雰囲気あります。
脳内では、左右に槍を持った衛士が立ってます。
・・・仁王様ではありません


政庁も、丸まる一周復元とはいかなかったようです。
正方形なら、それぞれの辺で違った見せ方もあるという事でしょうか。

東門です。
塀が短かしw

でも、向こう側に西門が見えます。
望遠でもうちょっと圧縮すれば、あっち側も生垣隠せました


そして、北門跡です。
これでも何もしてなかったらただの野原ですね。
逆に、こういうのを復元するとあーなるよ!でしょうか。
色んなパターンがあると、想像が膨らみます。
◆歴史◆
803年、坂上田村麻呂により築かれました。
第三次蝦夷討伐で、坂上田村麻呂が初めて征夷大将軍を務めました。
801年に陸奥へ出征し、11月には京へ凱旋しました。
翌年、胆沢城造営のため再び陸奥へ下向し、阿弖流為が降伏しました。
紫波城は胆沢城よりも更に北で、阿弖流為の降伏と関係ありそうです。
803年に完成すると、紫波城が鎮守府となりました。
約10年で役割を終えました。
これは蝦夷討伐が終わった訳ではなく、機能不全に陥ったためです。
それは、北側を流れる雫石川が氾濫したためです。
この時、城の北辺が削られた跡が今でも残っているそうです。
・・・見ていませんが

このため、やや後方に徳丹城が築かれて鎮守府は移転。
紫波城は、前線基地としての役割を終えました。
所在地:岩手県盛岡市中太田・下太田
岩手県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント