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大巻館/岩手県紫波町

大巻館はとても整備されており、真夏でも堪能できる城跡です。
訪問日は2017年5月4日です。

大巻館【1】

城跡への入口は、道沿いに標柱と説明板があります。
そのすぐ脇の路肩がキモチ広いです。

大巻館【2】

入口から見た城跡への道です。
今思えば、まだ車で行っても良さそうです。

大巻館【3】

轍は杉林の中へと吸い込まれて行きます。
その両脇が土塁っぽく、虎口がここにありそうな感じです。

大巻館【4】

そのまま進むと、ちょっとドキドキな切り株があります。
城跡へはここで左へ曲がります。

大巻館【5】

ここまでなら、4WDではなくても大丈夫そうな感じです。

大巻館【6】

道はそのまま、帯曲輪へとつながっています。
一番奥から振り返ったので、進行方向とは左右逆です。
城内へ向かう時は、右側に城塁が見えます。

大巻館【7】

帯曲輪の突き当りには、小さな祠があります。
これは千手観音様のお堂だそうです。

大巻館【8】

お堂の脇から上がって行く道があります。
この規模のお城なので、本当は道じゃないかもしれませんが・・・

大巻館【9】

上がると、一段上の帯曲輪に出ました。
もう一段上が主郭です。

大巻館【10】

主郭です。
上は平らで広いです。
いつも同じコメントですみません( ;∀;)

大巻館【11】

上から見た帯曲輪です。
こちらは西側のもので、昔は端に土塁があったそうです。

大巻館【12】

私にとっては城跡ですが、世間一般には山なんですね。
両方の意見を取り入れた名前になっていますラブラブ

大巻館【13】

奥へ進むと、土の高まりがありました。
その向こう側が、こっち側よりも若干低くなっています。
これは、もしや、の、アレですね恋の矢

大巻館【14】

主郭と二郭を隔てる堀切があります。
大巻館は、細長い独立丘陵を堀切で隔てた連郭式です。

大巻館【15】

その周りを帯曲輪や横堀で囲まれた構造になっています。
ここら辺ではお馴染みの造りですね♪
こちらは、土塁の上から見た東側の横堀です。

大巻館【16】

ぐるっと一周するため、堀切から西側の帯曲輪に下りました。
せっかくなので、城塁の角度を堪能しますラブラブ

大巻館【17】

帯曲輪に沿ってグルっと反時計周りに進みました。
南端でUターンすると、東側は土塁の付いた横堀となっています。
西側も本当はこんな感じだったのかもしれません。

大巻館【19】

帯曲輪に沿って北へ進むと、やがて左へカーブします。
その先には、最初に見た千手観音様のお堂があります。


◆歴史◆

河村氏の城でした。

河村氏は、相模を本貫地とする一族です。
相模で河村といえば、障子堀が特徴の河村城を思い出します。
調べてみたら、その河村城出身の河村氏でした。

鎌倉時代に築かれたと考えられています。

1189年の奥州合戦の功により、河村千鶴丸が領地を与えられました。
河村氏は源平合戦では平家に味方したため、没落していました。
河村千鶴丸はこれを機に元服し、河村秀清と名乗りました。
与えられた領地は東北地方の3か所です。
まだ兄は領地を没収されたままなので、下向したと考えられます。
ただし、河村秀清は承久の乱で得宗家側で活躍しました。
兄も流鏑馬の腕前を誉められ、領地を回復していました。
しばらくは代官による統治が続いたと思われます。
大巻の地には河村秀興の代に下向したと考えられています。
周辺には一族を配置し、大萱生・栃内・江柄・手代森氏らが派生しています。

南北朝時代は南朝方でした。

河村氏は相模・陸奥の両家ともに南朝方として活動しました。
最終的に両家とも北朝方に敗れ、相模の宗家は領地を失っています。
陸奥の河村家は、奥州管領・斯波家の軍門に降る事で存続しました。
その時期は1355年頃と考えられます。
その後、1384年になり河村秀基が佐比内館に居城を移しています。
ただし、大巻館は廃城にはならなかったと考えられています。

1588年、高水寺斯波家が南部家に滅ぼされました。

斯波家は本家の大崎家同様、戦国時代は次第に勢力を弱めました。
河村氏が仕えていた高水寺斯波家も、南部家と争い領地を削られました。
1573年に敗れた斯波詮真は、南部家から養子を押し付けられました。
しかし、斯波詮直に代替わりした1586年、その養子が出奔しました。
斯波詮直は養子を追って南部領に侵攻しますが、返り討ちに遭います。
稗貫広忠の仲介で和睦したものの、領地を大きく削られます。
南部家は斯波家から出戻った高田康実を、高水寺城近くに配置しました。
斯波家中は動揺し、南部家に内通して岩清水義教が謀反を起こしました。
南部軍が侵攻すると斯波家臣は従わず、斯波軍は敗れました。

この時、河村一族は傍観し、斯波家が滅びるに任せました。
ただ、斯波詮直が落ち延びる際に佐比内館の河村秀政が助けたそうです。
河村秀政は傷を負いましたが、主君を逃がした後は帰農しています。
また、大萱生玄蕃は頼って来た斯波詮直を匿い、南部軍に包囲されました。
そのため一緒になって落ち延び、大萱生玄蕃も帰農しています。
その後の大巻館については伝わらず、廃城になったものと思われます。


所在地:岩手県紫波郡紫波町大巻字花立 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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