2020/05/22
大迫城/岩手県花巻市
大迫城(おおはさまじょう)は、桂林寺の南の山上にありました。訪問日は2017年5月4日です。

まずは目印の桂林寺へ。
結果論では城跡に行けてましたが、当時はそれすら?でした。
辿り着いても?でしたので、そこまでの行き方という事で紹介します


境内には大迫城についての説明板があります。

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この図を事前に印刷して現地へ乗り込みましたが・・・
クルクル回しながら、どっち?と首を傾げていました。
方位では南だと簡単に言えますが、現地の感覚では右にある山です。

お寺の右に車道があり、途中から山中へ入っていく道があります。
城跡へはここから上がって行けます。

しばらくは轍がありますが、次第に細くなります。
それでも、山道としては明確な方ではあります。

お寺から10分ほどで、道の右側に竪堀が現れます。
現地では竪堀、、、だったらいいな?ぐらいな感じでした。
訪問当時の私は、ここで合ってるのか?、今どこなのか?な状態でした。

道は次第に荒れ、倒木で塞がれるようになります。
まぁ、いつも通りさ(*´▽`*)なんて思いながら進みますが・・・
どうせ道無き道ならと、Uターンして竪堀を登りました。

すると、上にも道っぽいのがありました。
こっちで合ってるか?だけど進める!ということでそっちへ。
今思えば、左前方でなく右手前に進めばよかったかもしれません。

だいぶ標高稼いだなと思った時、右後方へ入っていく道がありました。
どっちが城跡なのか?な状態なので、どうしようか少し迷いました。

右斜め後ろに入って行くと、平坦面に出た、気がしました。
ちょっと段差になっている様子が写っています。
とはいえ、まだ上があるなぁ、城跡あそこかな?と見上げています。

そう思って行ける所まで逝く!で辿り着いた平坦面です。
私はまだ「今どこやろ(*´▽`*)?」状態でしたが・・・
当時はまだ無かった巨匠様達のサイトを拝見すると、主郭南端のようです。

大迫城を訪ねた時の写真は、最後の3枚は地面ばかり撮っていました。
きっと何かを見て「もしかしたら?」と撮ったのですが・・・
たぶん、土橋だと思います。
中央からやや左が高く、両端が低く見えるからです。
某大御所様がGPSログを載せて下さったので、答え合わせをしてみました。
私は誰?ココは何処?状態でしたが、主郭南端の土橋までは来てました

ただ、私は自分の居る位置が大迫城のどの辺なのか把握出来ていませんでした。
そのため、正解とは正反対の南へ突進



そのまま沢に出て、もういいや(/・ω・)/と坂を下るに任せたのでした。

私が歩いたルートは、たぶんこんな感じじゃないかと思います。
んんんんん、惜しい(´∀`;)
◆歴史◆
稗貫氏の一族・大迫氏の城でした。
城が築かれた時期は不明ですが、大迫氏の城でした。
城主の大迫氏は、稗貫氏から派生した一族とされます。
戦国時代の稗貫氏は、歴代の当主が他家からの養子が続きます。
大迫氏が歴史に登場するのが戦国時代なので、稗貫氏との繋がりが?です

初登場が稗貫氏との戦なので、なおさら???です。
城の構造がシンプルなので、大迫氏自体は古くから居たと思われます。
永禄年間(1558-70)に大迫右近が登場します
理由は?ですが、稗貫氏と戦っています。
稗貫家当主は養子が続いており、利害が対立したものと思われます。
大迫右近は1582年、九戸政実に従い和賀軍侵攻に従軍しています。
1591年の九戸政実の乱でも九戸に駆けつけています。
稗貫家臣というよりも、九戸氏に従った独立勢力的な感じがします。
1591年、大迫氏が城を去ります。
九戸政実の乱で九戸城に馳せ参じた大迫右近でしたが・・・
豊臣秀吉が全国の大名を動員し討伐する報に接し、九戸城を抜け出します。
大迫城に戻った大迫右近は、重代の書物を桂林寺に預け城を去りました。
その後は江刺郡人首に隠棲し、その地で没したとされます。
1592年、廃城になりました。
和賀・稗貫一揆鎮圧後、稗貫郡や和賀郡などの城の多くが破却されました。
大迫城もこの時に廃城となり、九丁目町十郎兵衛が代官を務めています。
大迫は金山開発のスペシャリスト・田中彦右衛門に預けられました。
その甥・田中藤四郎が派遣され、代官支配となりました。
現在の大迫高校のある場所に、藤四郎館が築かれました。
1600年、大迫又三郎が一時占拠しました。
関ヶ原の戦の際、奥州では和賀忠親が旧領回復の兵を挙げました。
大迫又四郎・又左衛門兄弟も参戦し、田中藤四郎を討ちました。
一時的に大迫城を手に入れた大迫兄弟ですが・・・
南部軍の猛反撃を受け、大迫城を去り岩崎城に籠りました。
その後、討伐軍に攻められ大迫又三郎は討死。
大迫又左衛門は降伏したものの、処刑されました。
大迫右近の弟・十郎兵衛は、一揆には参加しなかったようです。
「仕 松斎」とあり、北信愛に仕えたようです。
ただ、その後がわかりません

所在地:岩手県花巻市大迫町大迫古館 GPSログダウンロードページ
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