2013/09/02
児山城/栃木県下野市
児山城跡は華蔵寺の隣にあります。訪問日は2011年7月16日です。

▲入口に城址碑
お寺に着くとすぐに城跡がどこなのかわかりました。その入口にあるのがこれ!あぁ、これがあればもう帰ってもいいw・・・でも見たい・・・

▲すぐにある説明板
そしてまたすぐに説明板があります。いいですね♪

▲大きな空堀が!
そしてそして!すぐに現れた大きな空堀!思ってた以上に深いのがヽ(´ー`)ノ

▲土塁が!
土塁もちゃんとあります。

▲土塁の上から空堀を見下ろす
行ってから2年以上経ったのでどこだかもう覚えてませんが・・・おそらく櫓台っぽい所に登った、かもしれません。堀との高低差がすごいです^^
◆歴史◆
児山城は建武年間(1334~38年の間)に児山朝定により築かれたとされます。児山氏は宇都宮氏庶流で、宇都宮頼綱の4男・多功宗朝の次男(or 3男)の朝定を祖とします。朝定には跡継ぎが生まれなかったため、娘の子で三浦義行の5男・朝行を養子に迎えています。
その後の児山氏の事蹟は不明ですが、宇都宮氏に忠実に従ったとみられます。それからおよそ200年後、ふたたび児山城が歴史に登場します。
1558年、長尾景虎が葦名盛氏とともに下野制圧の兵を差し向けました。景虎が出馬した訳ではなさそうですが・・・長尾軍は上野国から宇都宮城を目指しました。
先鋒は佐野小太郎こと佐野氏14代当主・佐野豊綱でした。長尾軍は小山氏を降伏させ、壬生城も降して多功城に攻め寄せました。
宇都宮氏は援軍を集めたため、多功城で決戦となりました。戦いは宇都宮軍が佐野小太郎を討ち取ったことで勝利。退却する長尾軍を上野国まで追い、岩付城の太田三楽齋が仲介して和睦したそうです。
勝利を収めた宇都宮軍ですが、払った代償は大きく多くの戦死者を出しました。祖母井吉胤、矢板前司、野沢将監らとともに児山兼朝も討死しています。これにより児山氏が絶え、廃城になったと考えられています。
真っ先に攻め込んで来た佐野小太郎が悪者みたく思えますが・・・佐野氏は山内上杉氏、扇谷上杉氏、古河公方の勢力境に本拠がありました。後に上杉謙信と後北条氏、後北条氏に反発する小山氏や結城氏、宇都宮氏などに囲まれます。いつまで経っても戦乱の絶えない地にあり、絶えず苦労を強いられ続けていました。
城跡の隣にある華蔵寺ですが、こちらも児山朝定が1334年に「復興」したのだそうです。はじめに建てられたのがいつかはわかりませんが・・・両者のつながりを考えると、児山氏のお墓があっても不思議ではありませんね。
所在地:栃木県下野市下古山
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