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岩谷堂城/岩手県奥州市

岩谷堂城は、藤原経清の砦があったと伝わる城跡です。
訪問日は2017年8月7日です。

岩谷堂館【1】

城跡は現在、館山史跡公園として整備されています。
麓には駐車場があり、城館をイメージした休憩所もあります。

岩谷堂館【2】

まずは案内に従って公園を一周してみました。
入口に立派な石碑と、公園の案内図があります。

岩谷堂館【3】
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公園の案内図なのですが、曲輪の形が割とはっきり残っています。
右側の大きな曲輪が主郭、左側の小さな曲輪が中ノ郭です。
城域はさらに広く、南西のグラウンドが二郭でした。

岩谷堂館【4】

公園にはなっていますが、堀や土塁はかなりいい状態で残っています。
園路は堀や土塁に沿っており、普通に散策しながら遺構を楽しめます。

岩谷堂館【5】

そして、所々に説明板もあります合格

岩谷堂館【6】

この公園を整備した方は、きっと城跡に造詣のある方ですねラブラブ

岩谷堂館【7】

一番高い所で土塁に囲まれているのが、館山八幡神社です。
妙見神社ではなく八幡神社なんですねーw

岩谷堂館【8】

主郭の周りは、土塁の外に帯曲輪が巡っています。

岩谷堂館【9】

おそらく、神社は公園になる前からあったんでしょうね。
参道なので、構造物無視で一直線に麓へ伸びています。

岩谷堂館【10】

下りに下って一番下の所でも、土塁が見られます。

岩谷堂館【11】

参道から道に出た所には「藤原氏御館跡」の石碑があります。
この「藤原氏」は、藤原経清サマラブラブの事です。

岩谷堂館【12】

主郭と中ノ郭の間には、見事な堀跡が残っています。
薬研堀だったのか、箱堀だったのか・・・
どちらでもよくなる位に見事な堀です恋の矢

岩谷堂館【13】

きれいに整備されているので、真夏でも堀底を歩けますラブラブ

岩谷堂館【14】

中ノ郭内部です。
図では小さく見えますが、実際はかなり広いです。

岩谷堂館【15】

ここは中ノ郭なのですが、二の丸の説明板があります。
二の丸は現在は高校のグラウンドになっている所です。
江戸時代には主郭や中ノ郭は使われず、二の丸がメインだったそうです。

岩谷堂館【16】
拡大表示

その図がこちらです。
建物がビッシリひしめいています。
ここまで詰めるなら、中ノ郭も使えば良かったのにw


◆歴史◆

藤原経清の砦があったと伝わります。

城砦としての歴史は不詳ですが、藤原経清の砦があったと伝わります。
藤原経清は安部頼時の娘婿で、前九年の役で源氏により処刑されました。
藤原経清とその子・藤原清衡の居館は、2km南にあった豊田館でした。

江刺氏の居城となります。

奥州藤原家滅亡後、葛西5郡が葛西清重に与えられました。
その中から江刺郡が千葉胤道に与えられ、ここに城を築いたとされます。
千葉胤道は江刺姓を名乗るようになります。
江刺家には葛西宗家から養子を迎え、重臣として重きをなします。
ただし、葛西宗家との争いも絶えませんでした。
江刺隆見は1483年から1505年までの間に4度、葛西宗家と戦っています。
これは葛西家で内紛が続き、北の南部家の圧力があったためと思われます。
江刺隆見を破った葛西政信は、自分の孫に江刺家を継がせました。
以後も葛西領北辺にあり、南部家の脅威に晒され続けます。
そして1590年、奥州仕置きによって主家・葛西家とともに改易されました。

木村吉清家臣・溝口外記が城代となりました。

豊臣家臣・木村吉清・清久父子が、大崎・葛西旧領30万石を与えられました。
しかし、1591年に葛西大崎一揆が起こり、溝口外記は討死しました。
この一揆の責任を問われ、木村父子は領地を没収されます。

1591年、伊達家の城となります。

木村父子失脚後、伊達政宗の城となりました。
岩谷堂城は、桑折摂津守をはじめ伊達家臣が交代で配置されました。
1659年には伊達宗規が岩谷堂の領主となります。
伊達宗規は仙台藩2代藩主・伊達忠宗の七男です。
跡継ぎの無かった伊達国隆の養子となります。
伊達国隆は伊達姓ではありますが、岩城氏の嫡流だったりします。
その辺の事情はここでは触れませんが、佐竹氏に乗っ取られたためです。
仙台藩3代藩主となった実兄により、岩谷堂3000石を与えられます。
以後は岩谷堂伊達家が明治時代まで続きました。


所在地:岩手県奥州市江刺区館下 GPSログダウンロードページ

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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