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多賀谷氏館/秋田県能代市

多賀谷氏館は檜山城廃城後に築かれた、城主・多賀谷氏の館です。
訪問日は2018年4月14日です。

多賀谷氏館【1】

居館跡への入口が、道端にあります。
とても目立つので、迷うことは無いと思われます。

多賀谷氏館【2】

入口はとても綺麗でしたが、奥へ進むとこんな感じです。
これはちょっとヤバクネ?と思いましたが・・・クローバー

多賀谷氏館【3】

笹薮の中の曲がり角を曲がったら、開けてきました。
この奥が館跡です。

多賀谷氏館【4】

段差の所に「表門跡」と書かれていました。
この段差は堀跡でしょうか。
周りはよく見ていませんでしたあせる

多賀谷氏館【5】

内部は、まぁ、平らですw

多賀谷氏館【6】

ここは「囲裏門跡」です。
何と読むんだろうとググってみましたが、ココしか出ず。
結局、読み方もどんなものかもわかりませんでしたあせる

多賀谷氏館【7】

他に、井戸の跡などもあります。


◆歴史◆

1620年に築かれました。

一国一城令により、檜山城が廃城となりました。
そのため、当時城主だった多賀谷宣家が檜山城の麓に館を築きました。
多賀谷宣家は久保田藩主・佐竹義宣の弟です。
義父の多賀谷重経は、元々は結城家臣でした。
小田原征伐後に徳川家康の子が結城家を継いだ事に反発。
結城家寄りだった嫡男・多賀谷三経を追放し、佐竹家に移りました。
この時に佐竹家当主・佐竹義重の四男・宣家を養子に迎えています。
しかし、朝鮮出兵に非協力的であったため改易され、流浪の身となります。
この時、養子の多賀谷宣家は実家の佐竹家に戻っています。
佐竹家が秋田に移ってからは重臣となり、いくつもの城の城主となります。
その中に檜山城もありました。
その後、亀田藩主が佐竹宗家を継いだ時に、その岩城家を継ぎました。
代わりに多賀谷家は、佐竹一門・戸村義門の次男・隆経が継ぎました。
多賀谷家は久保田藩の家老も排出し、明治まで檜山を拠点としました。


所在地:秋田県能代市檜山霧山 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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