2020/02/17
日出城/大分県日出町
日出城は、別府湾北岸に築かれた総石垣のお城でした。訪問日は2020年1月1日です。

日出城は日出町の中心部にあります。
駐車場に苦労するのかと心配でしたが、大丈夫でした
本丸跡である小学校にすぐ隣に、二の丸館という施設があります。
ココの駐車場がいつでも無料で停められます


二の丸館は文字通り二の丸だった場所にあります。
その本丸側の南東角には、移築された裏門櫓があります。
元々は本丸東側にありましたが、民家を経て現在地に移築されています。

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裏門櫓の真正面には、観光案内の案内図があります。
一見ただの観光案内ですが、要所要所にお城の遺構が描かれています。
事前に知らなかったので見ていませんが、門の跡があちこちにあります。

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私の目はどちらかと言うと、こっちに釘付けでした。
描かれているのは本丸のみで、北東側からの視点となっています。

その隣には、意外な方がいらっしゃいました。
喫煙がバレて焦るお兄さん像・・・ではありません

岡城にもあった、瀧廉太郎像です。
瀧家は江戸時代、日出藩の家老を務めた家柄だったそうです。
瀧廉太郎の父親はエリート官僚で、各地に転勤していました。
その中に大分県竹田市にも居たことがあり、それがあの曲に繋がっています。
『鳩ぽっぽ』ではありませんよ




案内図や銅像の背後には、デカい堀があります


この堀は、普通に堀底を歩くことが出来ます。
やっぱり、堀は底を歩いてなんぼです。

土橋の真ん中に開けられたトンネルを抜けると、鬼門櫓が出迎えてくれます。
この櫓も元々は二の丸の北東角にあった隅櫓で、移築されてきています。
ココはかつて、月見櫓があった場所なのだそうです。

かなりデカい堀ですが、南側が開口しています。
元々は地続きだったものを、くり抜いて切り離したんですね!
物凄い土木量です。

角から振り返った所です。
右側が本丸で、建物は日出小学校のものです。

開口した堀から、本丸に沿って進みます。
本丸の石垣、高いですね


こうして見ると、日出城の堀ははじめから空堀だったようです。
堀がこうやって曲がってるのって、城跡らしくてイイです


そのまま海側に出ると、角に立て札がありました。
ここにあるのは人柱祠です。
人知れずひっそりと本丸の南西隅角の下にあります。
昔は迷信が信じられ、築城が難航すると生贄が捧げられていました。

海側を東へ進むと、富士山形の大きな石垣が現れます。
これが日出城の天守台です。
初日の出を浴びて、オレンジ色に染まっていました


南西側に櫓台があり、この辺りは少し複雑な造形になっています。

本丸の東側にも、大きな堀跡が開口しています。

袋小路になっていますが、入口からは見えないようになっています。
石垣が二段になっているのは、敵をココに誘いこむためでしょうか?

この出っ張った石垣の上にも何か建っていたのかもしれません。
天守台の真下にあるので、勝手に色々妄想を楽しんでいます♪

東側の入口脇の櫓台上に、鐘が吊るされています。
この鐘は時鐘と呼ばれ、日出藩内に時を知らせる役割がありました。
この鐘も、元々は別の場所にあったそうです。
移築されて残っていたものが、色々と城跡に戻って来たんですね!

本丸を一周し、今度は堀の上を進みます。
堀の中央にあった土橋の上には、城址碑があります。
「暘谷城」は元々の地名で、日出城の別名です。
素直に「日出城」にしない辺り、地元愛が感じられます。

日出城で一番の見所とされる、鬼門櫓です。
鬼門の北東隅にあって、その角を削った全国的にも珍しい櫓です。

あまりにも珍しいので、角を削った側ばかりが紹介されます。
なので、たぶん誰も紹介していない裏側も載せておきます。
普通ですねw
民家と間違えそうです。
◆歴史◆
1602年、日出藩主木下家の城として築かれました。
木下延俊は豊臣秀吉の正室・ねねの兄の子で、小早川秀秋の同母兄です。
しかし、関ヶ原の戦では細川忠興の助言に従い、当初から東軍でした。
父・木下家定の姫路城城代を務めており、すぐに東軍に差し出しています。
はじめ西軍に属した小早川秀秋は、徳川家康に静観する許しを得ていました。
そのため姫路城に入ろうとしましたが、木下延俊は拒否しています。
さらに戦後、義父・細川藤孝の田辺城を襲った小野木重勝を攻めています。
これらの功により、1601年に速見郡日出3万石を与えられました。
藩主となった木下延俊は総石垣の城を築き、翌年完成しました。
その後、大坂の陣でも徳川方として参戦し、島原の乱にも出陣しています。
1642年に没し、四男・木下延次に5千石が分け与えられました。
以後16代にわたり、加増も減封も無く木下家の城として明治まで続きました。
所在地:大分県速水郡日出町(日出小学校) GPSログダウンロードページ
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