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一萬田氏館/大分県豊後大野市

一萬田氏館は、大友家重臣・一萬田氏の平時の居館でした。
訪問日は2019年12月30日です。

一万田氏館【1】

館跡への入口は、北西の道沿いにあります。
ここだけ路肩広くなっており、車を停められます。

一万田氏館【2】

入口には、ちゃんと標柱もあります合格

一万田氏館【3】

坂道を上がると、土が段のようになっているのが見えます。

一万田氏館【4】

土の段の手前側です。
ここから奥に入って行けます。

一万田氏館【5】

この土の段に見えるのは土塁です。
高さは3メートル程あります。
畑作により大部分が削られ、残っているのはほんの一部分です。

一万田氏館【6】

元の道に戻り、行儀よく進んだココが入口のようです。
大友家の加判衆も務めた一萬田鑑実の館ですが、それっぽさがありません。

一万田氏館【7】

入口には説明板が落ちていました。
一萬田氏は、平時はここで暮らしていたと書かれています。

一万田氏館【8】

入口に大きな木があり、その陰にも説明板があります。
これは石塔についてのもので、大永8年(1528年)のものだそうです。
具体的に誰なのかは?ですが、一萬田家の夫人のものと考えられています。

一万田氏館【9】

土塁の内側には、土塁についての説明板があります。
ここには「関係者の善意と保護が無ければ消失する」と書かれています。
どうやらココは私有地のようです。

一万田氏館【10】

入口に土塁や石塔がある以外は、こんな感じです。
大物武将の居館があったとは感じられない、一面の野原です。
所々に畑が耕されており、私有地のようです。
ただ、畑の端には境界線がハッキリ引かれています。
行政による買収が進んでいるのかもしれません。


◆歴史◆

一萬田氏の平時の居館でした。

一萬田氏は、大友家初代・大友能直の六男・時景を祖とする一族です。
大友能直は源頼朝の寵臣で、1193年に豊前・豊後の守護となります。
大友能直は早くに父親を亡くし、母の姉婿・中原親能の養子となります。
中原親能は大野郡の荘官・大野氏を滅ぼし、大野郡を手に入れました。
その後母親に譲られた大野郡は、1240年、4分割して子へ譲られました。
大野郡を与えられた大友能直の弟達が、一萬田氏や志賀氏の祖先です。
一萬田時景は、山城の小牟礼城や鳥屋城を築いたとされます。
ただ、ココの居館が築かれた時期は?ですあせる

手掛かりとなるのは、付近にある石塔に刻まれた年号です。
一萬田家当主夫人のお墓と見られる石塔は「大永8年(1528年)」
一萬田家当主の名が刻まれた付近の六地蔵塔は「応永17年(1411年)」です。
おそらく、居館はそれ以前からあったと思われます。

一萬田鑑実は大友家の主要な戦で活躍した重臣中の重臣です。
戦に明け暮れた一萬田鑑実は、お城らしくないココを好んだようです。
館の敷地内には墨染桜という、珍しい桜の木があったそうです。
春に花が咲くと、一萬田鑑実は誰でも自由に花見をさせていました。
噂を聞きつけた大友宗麟が興味を持ち、一萬田鑑実が招いています。
墨染桜の下に仮屋を建て、二夜三日能楽や酒宴を楽しんだそうです。

1588年、一萬田家嫡流が滅びます。

1586年、島津軍が豊後へ侵攻しました。
島津軍は日向ルートと阿蘇ルートの2手に分かれ豊後へ侵入。
阿蘇ルートは島津軍一の猛将・島津義弘が率いていました。
はじめは入田宗和が寝返り、志賀一族の大半を誘って寝返らせています。
そして、一萬田家当主・一萬田鎮実も島津軍に寝返りました。
(一萬田鑑実は嫡男の一萬田鎮実に家督を譲っていました)
一萬田鑑実は島津軍に敗れ自害したとも降伏したともされ?です。
この時、岡城の志賀親次が奮闘し、時間稼ぎに成功。
豊臣秀吉による九州征伐により、大友家は生き延びることが出来ました。
しかし、直後に大友宗麟は病没し、大友義統が当主となりました。
すると、先の島津軍侵攻の際に寝返っていた家臣の粛清を始めました。
一萬田家では一萬田鎮実ら3名が、大友義統の命により自害。
一萬田家嫡流はこの時に滅びてしまいました。

その後生き延びた一萬田氏には、一萬田宗賢がいます。
一萬田宗賢は一萬田鎮実の弟で、大友義統に従っていました。
大友義統が改易された後は、黒田如水に従って戦った記録があります。
遅くともこの1593年までに、館は主を失ったと思われます。


所在地:大分県豊後大野市朝地町池田 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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