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森藩陣屋/大分県玖珠町

森藩陣屋は、瀬戸内海の元海賊・来島氏が築いた江戸時代の陣屋です。
藩主の名前から久留島陣屋とも呼ばれています。
訪問日は2019年12月28日です。

森陣屋【1】

南側の三島公園から見た陣屋跡です。
厳密に言うと、三島公園には久留島庭園や末廣神社なども含まれています。
この公園は1974年に玖珠町都市公園として認可され整備されたものです。

森陣屋【2】
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公園の説明板です。
森藩のことも書かれ、案内図もあるので載せました。
本当はもっと載せたい図があったのですが・・・
真ん前にナンバープレートの外された廃車があり撮れませんでしたあせる

森陣屋【3】

グラウンドの右奥に、思わせぶりな石畳があります。
これは陣屋とともに築かれた御長坂で、色々仕掛けががあったそうです。

森陣屋【4】

御長坂を上がり鎮守の杜に入ると、壮大な石垣が現れます。
これが「お城のようだ」と噂の陣屋の石垣です。
江戸時代に三島神社の改築を願い出て、どさくさに紛れてやってます。
(末廣神社は明治時代に合祀されてからの名前です)
城主格ではない大名の「一城の主」に対する執念が感じられます。

森陣屋【5】

その石垣の上にあるのが末廣神社です。
陣屋が無くなってから移されたのかと思っていたら、そうではなさそうです。

森陣屋【6】

城郭風になったのは、1837年に三島神社改築の時でした。
三島神社自体は、初代が陣屋を構築した時に勧請されています。
今の本殿は1828年9月竣工したことがわかっています。
城郭風に改修する前からここにあったという事ですね。

森陣屋【7】

本殿を囲む石垣です。
さすが江戸時代だけあって、隙間の無い積み方をしています。

森陣屋【8】

神社の周りは、このような石垣で囲まれています。
陣屋を囲まなかったのがミソなのかもしれませんw

森陣屋【9】

神社の左奥には、清水御門があります。
現存の門で、その下には「池」があります。
藩主様はこの光景がお気に入りだったかもしれませんラブラブ

森陣屋【10】

清水御門から右へ進んだ奥には丸木御門があります。
すぐ外は住宅街ですが、間に深い堀跡があります。

森陣屋【11】

門は石垣の縁にあり、かつては長塀があったかもしれません。


◆歴史◆

1601年、来島康親により築かれました。

来島康親は、瀬戸内海を席捲した海賊・村上氏の一族です。
関ヶ原の戦で西軍として戦ったため、一時領地を失いました。
その後復権し、海の無い豊後森に領地を与えられ陣屋を築きました。

父・村上通総は、実子の無かった河野通宣が跡継ぎに望んだ程の人物でした。
しかし、河野家は河野通直が継ぎ、本家の村上武吉とも対立します。
そのため、中国地方へ進出してきた羽柴秀吉に助けを求め寝返りました。
本能寺の変があり羽柴秀吉が撤退すると、本拠地・来島城を追われます。
村上通総は大坂へ移り、豊臣秀吉から「来島」と呼ばれ厚遇されました。
この事がきっかけとなり、来島と改姓しています。
その後、四国征伐での大活躍により旧領を回復。
来島家は、豊臣秀吉にとても大きな恩があったのでした。

関ヶ原の戦では西軍に属した来島長親は、領地を没収されました。
しかし、朝鮮出兵で父親と縁のあった福島正則のとりなしで家名は存続。
得意な海は無いものの、旧領とほぼ同じ石高の玖珠郡を与えられました。
1万4千石ですが無城格のため、城を持つことが許されませんでした。
そのため、角牟礼城を破却し、麓に陣屋を築きました。
森藩を立藩した来島長親は、来島康親と改名します。

2代目藩主・来島通春は、幕府の天下普請による財政難を乗り切ります。
姓を来島から久留島に改めたのは来島通春の代です。
久留島通春は老臣を遠ざけ、積極的に優秀な人材を登用しました。
古くからの腐れ縁を断ち切るための改姓だったのかもしれません。

1837年、第8代藩主・久留島通嘉が石垣を築きました。

久留島通嘉は藩政を改革し、専売制や上米制で財政を立て直しました。
藩校・修身舎を創設するなど、藩主としてはかなり優れていたと思われます。
また、三島神社の造営を名目として、陣屋をお城のように整備しました。
石垣や庭園、栖鳳楼を築き、清水御門もこの時に建てられました。
無城格の大名になぜこのような事が出来たのかは???です。

時代背景を追うと、江戸幕府は11代将軍・徳川家斉の時代でした。
寛政の改革の頃の重臣達は歳をとり、第一線から退きつつありました。
そんな中、徳川家斉は側用人の水野忠成を重く用いています。
水野忠成は前代で禁じられた賄賂を公認したため、幕政が腐敗しました。
綺麗事を並べ過ぎた反動だったのかもしれませんあせる
歴史の授業で習った大塩平八郎の乱が起きたのも、1837年の出来事です。
・・・多分、そういう事なんですねw

1871年、廃藩置県により森県となりました。

森県となってからも、陣屋は森県庁として使用されました。
翌年、三島神社は他の神社と合祀され、末廣神社と改名されました。
その後、大分県に編入されてからも、役場の庁舎として利用されました。
陣屋の建物は昭和初期までは残っていたそうです。


所在地:大分県玖珠郡玖珠町大字森(末廣神社)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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