fc2ブログ

浦城/秋田県八郎潟町

浦城は、かつての姿を想像しやすい城跡です。
訪問日は2017年8月10日です。

浦城【1】

山城としては珍しく、専用の駐車場があります。
結構人気がある城跡のようです。

浦城【2】

副川神社の石段が登城路の目印です。
奥に見える赤い矢印が、城跡の案内です。

浦城【3】
拡大表示

ココにある案内図です。
鳥居をくぐってそのまま進むと、城跡ではなく神社へ。

浦城【4】

案内図に従い、城跡へは脇道へ進みます。
登城路はとても整備されています。
杉林ということもあり、下草もあまりありません。
春先以外は快適に歩けます。

浦城【5】

登城口から5分で、キリっとした谷間に出ます。
ココには「薬研堀」の案内があり、堀切でしたラブラブラブラブラブラブ
この堀切が、西側の山と城域とを分断しています。

浦城【6】

堀切の斜面に付けられた通路から城内へ入ります。

浦城【7】

お城は細長い尾根の上面を削った、細長い構造です。
両脇に帯曲輪があり、端には木の柵が付けられています。
この木の柵がピッタリで、城跡らしい雰囲気を盛り上げています合格

浦城【8】

先程の堀切の真上には、木で組まれた物見櫓があります。
造りは簡素ですが、木の柵に囲まれていてとてもリアルです恋の矢
煙や〇〇でなくても、登りたくなりますよね?w

浦城【9】

帯曲輪に挟まれた高い所が「お屋敷」と呼ばれていた曲輪です。
細長い曲輪を奥へ進むと木の柵が閉じ、向こう側にも木の柵があります。
この柵と柵の間が低くなっており、空堀で隔てられています。

浦城【10】

堀切を入れないと、ただただ長い平坦地になってしまいますからね。
時折こんな感じで、単調になりがちな曲輪をブッた斬っています。

浦城【11】

2つ目の曲輪を奥まで進むと、次の曲輪はかなり高低差があります。
こういう地形は山城ではよく見かけます。
いつも「どうやって上がるんだろう?」と思っていました。
こうだったんですね(*'▽')キラキラ

浦城【12】

ここにも先程と同じ形の櫓があります。

浦城【13】

もちろん登ります。
だって、城キチですから(*´ω`*)

浦城【14】

一気に高くなりましたが、その先は同じ高さです。
櫓台的にそこだけ高くしたというより、そういう地形だったようです。
すでに奥で木の柵が閉じているのが見えますが・・・

浦城【15】

またしても急に高くなっています。
上に何やら屋根が見えていますが、ここは回り込む道があります。
これはこれで、攻めにくくするための工夫ですねラブラブ

浦城【17】

上に見えた屋根は、鐘撞堂のものでした。
こういうのを見るとつい鳴らしたがる輩がいますが・・・
私もその一味ですw

浦城【18】

振り返ると、下にある「お屋敷」の曲輪がとてもよく見えます。
ここに弓兵や鉄砲隊を配置すれば、かなりの敵を倒せそうです。

浦城【19】

先を見るとしばらく同じ高さが続き、奥がまた高くなっているのが見えます。
しかも、今度のは階段と柵、門まで見えます。

浦城【20】

柵は手前側にやや傾き、逆茂木のようになっています。
階段があるとはいえ、門は一人がやっと通れるような狭いものです。
段差があるとはいえ緩やかなのを、柵と門で通りにくくしています。
この上こそ本丸だ!なんて思いましたが・・・

浦城【21】

かなり広い曲輪ではありますが、奥がもう一段高くなっています。
ここが二番手の曲輪「兵溜まり」です。

浦城【22】

何度も越えた段差ですが、ココは雰囲気が違います。
門の脇の木柵も、これまでのものより密で高くなっています。

浦城【23】

上がってみると、中央に家紋付きの立派な建物があります。
奥に高い段が見えず、ここが主郭のようです。

浦城【24】

奥まで進むと、今度は下り坂になっています。
やっぱりここが一番高い所だったんですね(*´Д`)

浦城【25】

もう1つ奥の曲輪から主郭を振り返りました。
こちら側には堀切などの障害物がありません。
防御施設が無いので、詰の丸的な所だったのかもしれません。

とてもいい雰囲気を堪能し、山道を下り駐車場へ。
その途中、ジャラジャラと熊鈴を鳴らしながら登って来る方がいました。
ここって結構来る人多いんだ、と思っていたら、今の城主様でした。
城主様曰く、城跡の管理は自腹でなさっているのだとか。
ただ、県の文化財課から勝手にいじるなと怒られた事もあるのだとか。
城主様は城跡を紹介するNPOの代表でもあるそうです。
あちこち城巡りをしていると、こんな事がたま~にあります。


◆歴史◆

築城時期は不明な、三浦氏の城でした。

城主は三浦義豊、三浦盛永の名が伝わります。
三浦氏の来歴は不詳ですが、いくつかの説があります。
古い順に書くと

①大河兼任の乱討伐のため派遣され土着

大河兼任は奥州藤原家臣で、奥州合戦後に源頼朝の御家人となりました。
しかし、その直後に反乱を起こし、その規模は1万人前後だったとされます。
この乱の討伐に派遣された三浦一族が土着したとする説です。

②宝治合戦の後、甲斐から来たと伝わります。

三浦氏は鎌倉幕府の中枢に位置した大族で、領地は相模国の大半でした。
しかし、幕府執権の北条得宗家は、こうした大族を次々と粛清します。
三浦一族は1213年に和田義盛の乱、1247年に宝治合戦で討伐されます。
これらの乱で、三浦氏は全国に持っていた領地へ分散。
甲斐へ逃れた後、出羽に移って来たとする説です。

登城口にある常福院は、三浦氏に所縁の深いお寺だそうです。
こちらを調べれば何かわかると思いましたが・・・
江戸時代に一度廃れたようで、菅江真澄がお寺の跡を探したそうですあせる

湊騒動の際、檜山安東軍に攻められ落城しました。

サイト様により年はバラバラですが、1585~89年の間とされます。
この湊騒動は第三次で、湊安東家の安東通季が檜山安東家に起こした謀反です。
1つ前の第二次湊騒動により、湊安東家は勢力を大幅に縮小されました。
10年以上も溜め込んだ不満が、カリスマ大名・安東愛季の死で爆発します。
安東通季は、安東愛季が争った戸沢氏や小野寺氏、南部氏を味方に付けます。
不利を悟った檜山安東家の安東実季は、平城の湊城から山城の檜山城へ撤退。
以後、約5か月にわたって湊安東連合軍の包囲に耐えました。
浦城主・三浦盛永はこの時、湊安東家に味方しました。

しかし、出羽北部の雄・檜山安東家は、ここから劣勢をひっくり返します。
安東実季は宿敵・大浦為信を味方にすることに成功します。
大浦為信は南部一族ですが、宗家と争って津軽地方を分捕った武将です。
また、南の由利衆を味方に引き込みました。
由利衆は小野寺氏と争っており、さらに南の最上家ともつながっています。
こうして包囲軍を1つ1つ引き剥がすことにより形勢が逆転、したと思います・・・
ここで一旦和睦に持ち込みますが、由利衆が湊城を攻めました。
これにより湊安東軍が崩壊し、ついには南部家を頼って落ち延びました。
檜山安東軍はそこから湊安東家に味方した武将を各個撃破。
この時に浦城も攻められ、城主・三浦盛永は自害して果てました。

その後の三浦氏

三浦盛永の遺児・千代若は、一族の三浦左衛門により庄内方面へ逃れます。
その後、1597年に秋田実季(第三次湊合戦後に改名)に赦されます。
旧領を安堵された千代若は三浦盛季と名を改め、押切城に入ります。
すると、三浦旧臣が集まり、三浦家の再興が果たされました。
しかし、家臣の小和田甲斐守が秋田実季に讒言し、三浦盛季は誅殺されます。
押切城は小和田甲斐守のものとなり、三浦家は滅びました。
三浦盛季の正室・小柳姫は、家臣の古井兼次とともに落ち延びます。
しかし、小柳姫は心労で没し、残された2人の遺児はお寺に預けられました。
古井兼次は黒川(秋田市)へ移って帰農し、開拓に励みます。
後に三浦盛季の2人の子を招き、三浦氏は代々黒川の肝煎となりました。


所在地:秋田県南秋田郡八郎潟町浦大町盥沢 GPSログダウンロードページ

秋田県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

無題

宝治合戦の説ならば、鎌倉時代以前のダイナミックさを具体的に見れてくれるお殿様、ありがたいですね!
非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR